覚え書:「今週の本棚:渡辺保・評 『慶應本科と折口信夫−いとま申して2』=北村薫・著」、『毎日新聞』2014年12月07日(日)付。

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今週の本棚:渡辺保・評 『慶應本科と折口信夫−いとま申して2』=北村薫・著
毎日新聞 2014年12月07日 東京朝刊
 
 (文藝春秋・1620円)

 ◇誰も語らなかった名国文学者の光と影

 ミステリィで知られる作家北村薫が、亡父宮本演彦(のぶひこ)の遺(のこ)した日記を考証し、自分の印象も加えて、昭和初期に生きた人々の姿を再現した。これが面白い。

 演彦は、明治四十二年横浜保土ケ谷の医者の旧家に生まれた。日記は全三巻のうちの第二巻。昭和四年二十歳で慶應義塾大学予科在学中に始まり、昭和八年卒業するまでの四年間を扱う。第三巻は未刊である。

 当時は一方に昭和恐慌の不景気があり、一方に満州事変、五・一五事件から国際連盟脱退の動乱期。演彦の生家は土地持ちであったにもかかわらず借金の窮状に喘(あえ)いでいる。

 そのなかで演彦の通う三田の大学では、国文学の折口信夫(おりくちしのぶ)、英文学の西脇順三郎戸川秋骨、中国文学の奥野信太郎、心理学の横山松三郎ら、そうそうたる教授陣が講義をしていた。ことに彼がその学問に傾倒、師事した折口信夫の姿が際立っている。最初に彼が見た折口信夫は、三田の山上を大勢の学生を引き連れて歩いて来る異様な姿であった。その後授業を受け、直接親しく教えを受けるようになって、その思想のユニークさのとりこになっていく。これまでも折口信夫については多くの人が語っているが、この本の姿が違っているのは、一人のごく普通の学生の素直な心にその魅力がどう浸透したかが描かれている点である。折口はよく学生の面倒を見て、その才能を見抜いていく教育者でもあった。

 演彦は折口の周囲の人々とは距離を置いている。この本の圧巻は、一年目に折口の主催する「万葉旅行」に参加した感動と、史学科の教授たちと「万葉旅行」と全く同じ時期に違うルートで奈良に行った時の体験である。彼には『古代研究』はじめ多くの折口の著作に惹(ひ)かれながら、同時に歴史の真実に触れたいという引き裂かれた感情があった。それがかえって折口の魅力を正確に把握させ、一人の学生が折口をどういう風に享受したかを鮮明にしている。これは今までだれも語らなかった折口像であり、折口学の光と影を描いて新鮮である。

 勉強のかたわら、演彦はまた歌舞伎が好きであった。冒頭いきなり十五代目市村羽左衛門が出て来たのには驚いたが、昭和四年四月の歌舞伎座羽左衛門は多くの名優たちに囲まれて「賀の祝」の桜丸を演じていた。その時桜丸の女房八重を演じていたのが五代目中村福助。この女形が、この本のもう一方の主役である。福助はその上品な美貌をもって一世を風靡(ふうび)した人気役者。その「一本刀土俵入」初演のお蔦、「刺青奇偶」のお仲、そして最後の舞台になった「髪結新三」の白子屋お熊の姿がイキイキと描かれている。

 私が驚くのは、演彦の舞台を見る鑑賞眼の正確さである。同級生に後の演劇評論家、加賀山直三(なおぞう)がいたとはいえ、素直な青年の目がよく名優たちの芸の勘どころをとらえている。

 日記は全文が引用されているわけではないから残念だが、たとえば明治大正の名女形四代目沢村源之助の芸談を聞いた時のノートが含まれていればどれほど貴重だったか。

 福助は昭和八年八月十一日、三十四歳の若さで世を去った。花の散り際のようなその死をもって本書は終わる。

 この本は、一人の青年の青春の体験として、昭和史の一頁(ページ)として、あるいは折口信夫の実像として、昭和歌舞伎史の一幕としても貴重である。しかしそれ以上に一編の読み物として面白い。昭和かくの如(ごと)きか。非情な時間のなかに生き、消えていった人々の姿があざやかに目に残る。それもこれも亡父の遺品を抱いて父親の青春に寄り添った著者の愛情のためである。
    −−「今週の本棚:渡辺保・評 『慶應本科と折口信夫−いとま申して2』=北村薫・著」、『毎日新聞』2014年12月07日(日)付。

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慶應本科と折口信夫 いとま申して2
北村 薫
文藝春秋
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