日記:真っ暗な闇の中を歩み通す時、助けになるものは、橋でも翼でもなく、友の足音である、2014年厳冬。

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「社説 秘密保護法施行 息苦しい社会にするな」

ウォーターゲート事件ニクソン米大統領を辞任に追い込んだ記者を支え、10月に亡くなった米ワシントン・ポスト紙の元編集主幹、ベンジャミン・ブラドリー氏は「政権と政府はうそをつくものだ」という言葉を残している。

 きょう特定秘密保護法が施行される。歴史に照らせば、政府にうそはつきものだ。この法律がそれを後押しすることを懸念する。

 自民、公明両党は2012年の前回衆院選で法の制定を公約として掲げなかった。だが、国民各層の懸念の声を振り切って昨年12月、不十分な審議で法を成立させた。衆院選の最中だからこそ、秘密法のもたらす影響について目を凝らしたい。

 ◇解除後には一律公開を

 政府は、秘密法の制定に当たり、「外国と情報共有する上で必要な法律だ」と説明してきた。だが、原案の協議過程で内閣法制局が「実際の秘密漏えいが少ない」などと立法の必要性に疑問を投げかけていた。

 私たちは、安全保障上必要な国の情報を一定期間、秘密にすることの必要性は理解する。しかし、この法律は民主主義の基盤である国民の「知る権利」を阻害するなど副作用が大きすぎる。政府内の議論も踏まえれば本来なら廃案にすべきだが、施行された以上、マイナスを最大限減らさねばならない。

 国の安全保障に著しい支障を与える恐れがあるとの理由をつければ、行政機関は意のままに特定秘密という箱に情報を放り込むことができる。そこがこの法律の本質だ。対象は防衛や外交、スパイ活動防止やテロ防止の4分野55項目に及ぶ。

 しかも、秘密指定は5年ごとの更新で30年、60年と延長でき、例外に該当すれば60年超でも秘密のままだ。箱から情報を取り出すのは容易ではない。国の情報は国民の公共財であるとの視点が欠けている。

 最大の問題は、政府の不正行為や腐敗を隠蔽(いんぺい)するために秘密指定がなされる可能性があることだ。

 1972年の沖縄返還に伴う密約を思い起こしたい。日本が米国に財政負担することを両政府が合意した密約について、日本政府は米国立公文書館で密約を裏付ける文書が見つかった後も、文書の存在を認めなかった。あるものをないとする体質がある以上、秘密法の下で文書の廃棄がされ「政権と政府のうそ」が一層巧妙に隠されるのではないか。 

 政府は審議官級の独立公文書管理監のポストを新設し、秘密指定の妥当性をチェックするという。だが、管理監から情報の開示や資料提供を求められても、各省庁は安全保障上著しい支障を及ぼすと主張すれば拒否できる。このような小さい権限ではまともな判断は期待できない。主権者である国民に正しい情報を知らせる。そうした立場で監視役が動ける仕組みに改めるべきだ。

 秘密の箱を開けたが、何も入っていなかった−−。そうした事態も起こり得る。公文書管理法の規定では、作成から30年以下で指定を解除された秘密文書は、首相の同意で廃棄できる。首相が直接目を通すわけではなく、所管庁の意向に沿って廃棄が決まるのが大半だ。

 国民に公開すべき情報が永遠の秘密にならぬよう公文書管理法を改正して法の穴を埋めるべきだ。

 ◇内部通報者を保護せよ

 秘密法は、自由な言論や健全な情報の流れが保障された民主主義社会の空気を変える恐れもある。厳罰で人を縛る法律だからだ。

 特定秘密を漏らした公務員には最高懲役10年が科せられる。秘密に迫ろうとした側も、「そそのかし」「あおりたて」「共謀」があったと当局にみなされれば、最高懲役5年だ。これは、ジャーナリストか市民かを問わない。記者の取材や議員、市民グループからの資料要求に対し、法の足かせで公務員が萎縮し、抑制的になることが当然予想される。

 政府は10月に閣議決定した運用基準で、違法な秘密指定を通報した者への配慮を盛り込んだ。だが、特定秘密そのものを通報した場合、過失漏えい罪で処罰される余地が残る。保護措置は極めて不十分だ。

 安倍晋三首相は衆院解散時、秘密法に触れて「報道が抑圧されるような例があったら(首相を)辞める」と述べた。そこまで首相が言うのならば、法の拡大解釈などによる抑圧はないと信じたい。ただし、いったん法が施行されれば、立法時の意図と無関係に動くこともある。

 戦前の軍機保護法は、国家の存亡にかかわる軍事機密を漏らした者を罰するためにできた。だが、旅先で見かけた海軍飛行場のことを友人の外国人教師に話した学生や、遠くの島に大砲が見えたことを仲間に話した漁師が実刑判決を受けた。

 「そそのかし」といったあいまいな規定がある秘密法も警戒が必要だ。逮捕・起訴しなくても、捜索だけで十分、威嚇効果はあるだろう。

 徐々に自由な言論の場が狭められていく息苦しさが社会を覆うことを恐れる。権力から独立して国民の「知る権利」を守るべき報道機関の責任と役割が一層問われる場面だと自覚したい。10年、20年後、秘密法の施行が時代の転換点になったと振り返ることがあってはならない。
    −−「社説 秘密保護法施行 息苦しい社会にするな」、『毎日新聞』2014年12月10日(水)付。

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http://mainichi.jp/opinion/news/m20141210k0000m070141000c.html



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衆院選 秘密法施行—「不特定」の危うさ
2014年12月10日(水)付

社説

 特定秘密保護法が施行された。

 何が秘密か、わからない。「特定秘密」は特定できず、行政の恣意的(しいてき)な判断の余地を残している。それを監視すること自体、難しい。危うさを抱えたままの施行である。

 衆院解散の直前、安倍首相はテレビ番組でこう語った。

 「特定秘密(保護)法は、工作員とかテロリスト、スパイを相手にしていますから、国民は全く基本的に関係ないんですよ。報道が抑圧される例があったら、私は辞めますよ」

 安倍首相がそう思ったとしても、そもそも国民が全く関係ないとは言えない。

 政府内の情報を求めて動く報道機関や市民運動などの関係者は対象となり得る。乱用を許せば、時の政権の意に染まないメディアや団体への牽制(けんせい)に使われないとも限らない。

 安倍首相が辞めるかどうかも問題ではない。問われるのは、どんな政権であっても法を乱用できないようにするための措置であり、その実効性だ。現行法のままでは、それが担保されているとも言えない。

 多くの国民の懸念や反対を押しきって施行にこぎ着けた安倍政権が言いたいのは、要するに「政権を信用してほしい」ということだろう。

 その言い分を、うのみにするわけにはいかない。

 政府内に監視機能が設けられるが、権限は強くない。衆参両院の「情報監視審査会」はまだできていないが、いずれ発足して秘密の提出を求めても政府は拒否できる。指定期間は最長60年で、例外も認める。何が秘密かわからないまま、半永久的に公開されない可能性もある。

 行政情報は本来、国民のものであり、「原則公開」と考えるべきだ。それを裏打ちする情報公開法や公文書管理法の改正は置き去りにされている。

 安全保障上、守らなければならない秘密はある。しかし、それは不断の検証と将来の公表が前提だ。制度的な保証がなければ、乱用を防ぐための歯止めにはならない。

 民主党政権下で秘密保全法制を検討した有識者会議の報告書に、こんな一節があった。

 「ひとたび運用を誤れば、国民の重要な権利利益を侵害するおそれがないとは言えない」

 懸念は払拭(ふっしょく)されていない。

 ちょうど1年前、安倍政権は数を頼みに特定秘密保護法を成立させた。そして衆院選さなかの施行となった。世論を二分したこの法律がいま、改めて問われるべきだ。
    −−「衆院選:秘密法施行—「不特定」の危うさ」、『朝日新聞』2014年12月10日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/ASGD93CV8GD9USPT003.html


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