覚え書:「読み解き経済:一票の格差 理論経済学を研究する松井彰彦さん」、『朝日新聞』2014年12月11日(木)付。

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読み解き経済:一票の格差 理論経済学を研究する松井彰彦さん
2014年12月11日

 ■まだ見ぬ将来世代に思いを

 民主主義を体現するための最大のイベント、国政選挙が数日後に迫ってきた。選挙の度に考えさせられるのは、より民意を反映できる制度はないのか、理想的な選挙制度とは何か、といった問題である。

 例えば、現実の日本の国政選挙は1回きりの投票で国民の代表を決めるが、仏大統領の選挙のように、決選投票を行う場合もある。煩雑な選挙が可能であれば、社会的な選択の全てに民意を反映できると考える向きもあるかもしれない。

 しかし、人々の意思を的確に反映する理想的な制度はあり得ない。この衝撃的な「不可能性定理」は、今から約50年前にケネス・アローによって示された(アローはその業績によってノーベル経済学賞を受賞)。

 アローは、社会選択のルールが人々の意見や好みを反映する形で決められるべきだと考え、ルールが満たすべき条件を提示した。その条件とは、(1)全会一致性、および(2)二者間の優劣の第三者からの独立性(以下、独立性)である。

 (1)の全会一致性とは、全構成員が選択肢AをBよりも望ましいと考えるならば、社会的にもAが望ましいとされなくてはならない、というものである。(2)の独立性とは、AとBを比較していたときはAが望ましかったのに、新たな選択肢(とくにAやBよりも劣る選択肢)Cが登場すると、突然BがAよりも勝ってしまう、というようなことがないという条件である。

 アローは、可能な選択肢が三つ以上あるならば、人々の意見を集約する汎用(はんよう)性のある社会的なルールのうち、(1)の全会一致性と(2)の独立性を満たすものは独裁的なルールに限られる、すなわち民主的なルールは存在しない——という定理を証明したのである。

 アローの定理は、工夫を凝らした選挙制度をあざ笑うかのようである。例えば、前々回2007年のフランスの大統領選挙を見てみよう。

 この選挙では、保守系サルコジ氏と革新系のロワイヤル氏が争っていた。そこに割り込んだのが、中道のバイル氏である。落ち着いた語り口により、穏健派の支持を集め、選挙終盤では三(み)つ巴(どもえ)の様相を呈した。

 もし、右派のサルコジ氏と中道のバイル氏が争うならば、中道から左派の票によりバイル氏が勝利する可能性が高い。一方、左派のロワイヤル氏とバイル氏が争うならば、やはり中道から右派の票によりバイル氏が勝利するであろう。しかし、現実の選挙では、右派と左派にはさまれたバイル氏は3位に沈み、決選投票に進んだ2人のうちサルコジ氏が当選することとなったのである。

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 日本の選挙制度は、残念ながらアローの定理を心配する以前の水準にある。一票の格差問題がそれだ。今回の衆院選では、一票の格差は最大で2・14倍との報道がなされた。この数字は様々な問題を投げかける。例えば、社会保障問題一つ取ってみても、その改革の遅れが、将来世代に与える負担は大きい。

 ここで指摘したいのは、一票の格差ゆえに、社会保障制度改革の遅れによって不利益を被る若年世代の有権者の声が不当に小さくなっている点である。20歳以上50歳未満の有権者と50歳以上の有権者の比は、一票が最も軽い東京1区で57%対43%、一票が最も重い宮城5区で41%対59%となっている。若い世代がより多い選挙区の一票の軽さがそのまま彼らの発言力の軽さにつながっていると言ってもよい。

 しかし、本当の一票の格差は現在の若年世代と高齢世代との間にあるのではない。真の格差は未(いま)だ生まれ来ぬ子どもたちと私たち大人の間にある。当たり前のことだが、どのように選挙制度を改革しようとも(仮に今の子どもたちに選挙権を与えることができたとしても)、未だ生まれ来ぬ子どもたちに選挙権を与えることはできない。

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 選挙権ないし代表を送るなどの参政権のない人間に不当な負担を課せば、生じる結果は反乱や革命である。「代表なくして課税なし」という言葉に示されるように、米国の独立戦争の一つの大きな契機は、英国が代表を送っていない米国等の植民地への課税を強化しようとしたことにある。今、日本国民が手を染めつつある最大の過ちは、社会保障や税制の改革の先送りをすることによって、未だ生まれ来ぬ子どもたちに、1人当たり数百万円もの借金を生まれながらに押し付けようとしていることである。

 選挙制度はアローの定理が述べるように完全なものにすることはできない。しかし、不完全なものを少しでも大義ある制度に近づけようという努力を怠ってはならない。選挙権のある者同士の間での平等がその第一。そして、第二は、選挙権のない者への押し付けを慎むということである。これらの原則が守られなければ、私たちはいずれ、未だ生まれ来ぬ子どもたちの反乱や革命を招くことになるであろう。選挙がどのような結果に終わっても、一票の格差の解消と、将来世代を借金まみれにしない努力だけは超党派で行うことを心からお願いしたい。

 ◆朝日新聞デジタルで連載中の「読み解き経済」を随時、掲載します。

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 まついあきひこ 62年生まれ。東京大学大学院経済学研究科教授。専門は他にゲーム理論、障害と経済。著書に「高校生からのゲーム理論」「市場(スーク)の中の女の子」など。
    −−「読み解き経済:一票の格差 理論経済学を研究する松井彰彦さん」、『朝日新聞』2014年12月11日(木)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11500634.html





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