覚え書:「今週の本棚:内田麻理香・評 『東洋天文学史』=中村士・著」、『毎日新聞』2014年12月21日(日)付。

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今週の本棚:内田麻理香・評 『東洋天文学史』=中村士・著
毎日新聞 2014年12月21日 東京朝刊

 ◇中村士(つこう)・著

 (丸善出版 サイエンス・パレット・1080円)

 ◇農業生産に必要な暦は権力者の象徴

 夜空に輝く月や星を見ると、人はロマンチックな気分になる。月や星を愛(め)でる十五夜や七夕の風習もある。日本最古の物語が『竹取物語』と言われているように、天体から生まれた物語も歌も多い。人々の心を惹(ひ)き付ける力が強いからこそ、職業的科学者ではないアマチュア天文学者も多いのだろう。

 かつて信じられていた天動説に対し、コペルニクスガリレオケプラーによって地動説が証明され、ニュートンの手により科学革命が完成された。科学革命は西洋天文学での「転回」が契機だ。この西洋天文学と同じく、東洋天文学も対になって発展していた。そのあまり知られていない東洋天文学史を紐解(ひもと)いたのが本書である。この本が扱う対象は、古代オリエントギリシア、インド、中国、朝鮮、東南アジア、そして日本と幅広い。

 話は古代文明が発生した四千−五千年前にさかのぼる。気候の寒冷化と乾燥化に伴い、四大古代文明が始まったという説があるらしいが、それと時期を同じくして天文学も誕生したと考えられている。収穫効率の高い生産農業が営まれるようになると、支配階層や知識階級が生まれ、学問や芸術が発達するようになる。これが都市革命であり、文明の発祥である。

 雨が多く湿潤な天候では、天体を観測することができないが、気候の変化で、月や星を観察し、その規則性を見いだすことができるようになる。それが科学としての天文学の誕生だという。古代の支配者は、権力と国土の維持のために収穫効率の高い農業の生産を求めたはずで、農業と天体との関係解明を学者らに命じただろうと著者は考える。今の私たちにとっては、夜空を眺めることは風情ある行為だが、古代人にとっては権力を保持する道具だったかもしれない。天文学と切っても切れない暦だが、暦は権力者の象徴でもある。その悠久の時を経た暦が今の私たちの生活にも根ざしている。古代エジプト天文学から生まれた暦が、現在使われている太陽暦の起源なのだ。

 西洋天文学の歩んできた歴史と同じように、東洋の天文学も天動説が中心であった。自分中心で、円形や球形で優美に表現される世界観から逃れるのは、どの世界でも難しいようだ。

 学問の発展には、各地の文明との交流が必須であった。古代文明で生まれた天文学は、紀元前五世紀の数学者集団、ピタゴラス学派の力を借りて飛躍的に発展した。インド天文学は、バビロニアギリシア天文学の影響が大きいが、そこにインドでの十進法やゼロの発見があり、天文学史上、大きな貢献を果たした。

 日本の天文学の誕生は、四世紀末以降の中国や朝鮮の文化の流入を待たなければならなかった。その後、戦国時代の終わりには、東洋だけでなくポルトガルやスペインとの交易が生まれるものの、すぐに鎖国が始まる。しかし、十七世紀後半になり、天文暦学、儒学神道に通じた渋川春海という才人が、和算家の関孝和の手も借り、科学的方法論に則(のっと)って日本独自の貞享(じょうきょう)暦を作り上げる。続いて、自然科学や数理的な思考法を好む徳川吉宗が、日本国内の天文学を発展させる。吉宗は、パトロンであり、かつ天文学に対峙(たいじ)する将軍であった。

 天文学の誕生には、その土地の文明が深く結びついている。そして、交流した地の学問に影響を受け融合していった。日本の場合、特に近隣の中国や朝鮮からの学びが大きい。自然科学の場合、特に西洋に視線が向きがちだが、東洋や日本での学問の成り立ちを知ることも重要だろう。 
    −−「今週の本棚:内田麻理香・評 『東洋天文学史』=中村士・著」、『毎日新聞』2014年12月21日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20141221ddm015070017000c.html





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