覚え書:「東直子さん(歌人)と読む『尾崎放哉全句集』」、『朝日新聞』2014年12月21日(日)付。
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東直子さん(歌人)と読む『尾崎放哉全句集』
[掲載]2014年12月21日
(写真キャプション)東直子さん(歌人)最近は歌集より小説の出版の方が多いくらいで、近作に『いとの森の家』『いつか来た町』など。=西田裕樹撮影
■心をニュートラルにする力
『尾崎放哉全句集』 [著]尾崎放哉 [編]村上護 (ちくま文庫・929円)
尾崎放哉の作品に初めて出会ったのは、十代の半ばころ。そのころ私は、「手塚治虫ファンクラブ」に入っていた。そのくらい手塚漫画が大好きで、漫画だけではなく、手塚氏のエッセーなども読みはじめていた。そのエッセーの中で、尾崎放哉の自由律俳句に出会ったのだ。
入れものが無い両手で受ける
手塚氏が最も好きな句として絶賛していたのだが、思春期の私も、理屈抜きで痺(しび)れた。なんだこれは。ものすごくかっこいい。
心の底にその句を仕舞ったまま十年ほどが過ぎ、私は定型詩である短歌を作るようになった。その延長として俳句を読み、自由律俳句というジャンルを知り、尾崎放哉の作品に再会した。文庫になったこの全句集を買ってからは、いつも本棚の一隅に置き、折節に開いている。
思春期に心ゆさぶられたものは、他の時期に出会ったものとは生涯異なる響き方をする。俳句作品で巧(うま)い、と感心するものはいくつもあるが、放哉の作品は、情感にダイレクトに響くのである。
ひどい風だどこ迄(まで)も青空
病人らしう見て居る庭の雑草
ころころころがつて来た仁丹をたべてしまつた
ページを開けば、彼のこぼした一瞬の心の風景が句ごとにあり、読んでいる自分の心が刹那(せつな)それに同化する。彼の低い声のつぶやきを目の前で受け止めたかのように。そのとき私は、誰でもない一人になれる。この世の空中に、ふわっと身体が浮いたような感じがする。放哉の作品は、読む者の心をニュートラルにする力があると思う。どんな心の状態の人も受け入れ、しばし寄り添い、またふっと遠くへ去っていく。
心がざわついたとき、悲しいとき、怒っているとき、空しいとき、浮足立っているとき。開く度に、こちらの心理状態に合わせて響き方が変わる。開く度に、新鮮に驚き、なんでもない時間のかけがえのなさを痛感するのである。
−−「東直子さん(歌人)と読む『尾崎放哉全句集』」、『朝日新聞』2014年12月21日(日)付。
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http://book.asahi.com/reviews/column/2014122100017.html