覚え書:「漱石 三四郎ふたたび:この年になって時代を脱却したね 金子兜太×ドナルド・キーン」、『朝日新聞』2015年01月03日(土)付。


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漱石 三四郎ふたたび:この年になって時代を脱却したね 金子兜太×ドナルド・キーン
2015年01月03日

(写真キャプション)俳人金子兜太氏(左)と日本文学者のドナルド・キーン氏=いずれも関口聡撮影

 俳人金子兜太さん(95)と、日本文学研究者のドナルド・キーンさん(92)。ともに太平洋戦争を経験し、戦後は日本の文学に刺激を与えてきた。今年は戦後70年。漱石をはじめとする文学について、そして戦争について、語り合った。

 ■近代化に疑問、ややこしい男

 キーン 私にとって、年上の方との対談は大変珍しいことです。

 金子 年だけは僕が先輩ですが、キーンさんを先生だと思っていますよ。あなたのように「源氏物語」から読み込み、三島由紀夫とも交友があったという米国出身の人はいません。キーンさんは、正岡子規明治天皇、そしていま石川啄木の評伝を書いている。明治から大正にかけて書きながら、なぜ夏目漱石はお書きにならないのだろうか。

 キーン これから長く生きたら書くかもしれませんが、漱石はそう簡単に書ける作家ではないと感じています。初期のユーモラスなものから「草枕」のように詩的なもの、後期の写実的なものまで幅広い。漱石は一通り読みましたが、自分の頭の中にまだイメージができていません。

 金子 私は漱石世代と言えるんじゃないかな。医者だったおやじの書棚には漱石全集がそろっていました。あの頃のインテリは漱石を読むことが一つの条件のようになっていて、旧制中学の後半になると、おやじが「漱石全集を読め」と言いました。「三四郎」や「坊っちゃん」「吾輩は猫である」などは楽しく読んだ。「それから」「門」「彼岸過迄」に進むと、自我の問題に入ってくる。これが中学の青年には面白く読めなかった。「明暗」で「おれには漱石が読めない」と離れてしまった。

 冷静に考えてみたら、漱石日露戦争後の日本が気に入らなかったのだろう。近代という時代に入り、自己中心的な考え方が広がり、自我ばかりが募ってくる。漱石はロンドンでも自虐的な生活をしていて、非常に自我の強い人だったと思う。初めの頃は滑稽さでごまかしていたけれど、それができなくなって次第に本音になる。徹底して自我になってくる。そしてにっちもさっちもいかない状態で漱石は死んだのだと思う。日本の近代化に疑問を持っていた、非常にややこしい男です。同時代の啄木とは違いますか。

 キーン 漱石は過去を否定しませんでした。「草枕」では、能の世界を取り込み、過去の美しさをたたえている。一方、啄木は、評価するものは何もない、と過去を完全に否定しました。漱石は過去、現在、そして未来まで、複雑に考えていたと思います。

 かつて、コロンビア大学の日本語の授業で「三四郎」をテキストに使ったことがあります。当時の教科書はつまらないものでした。学生は授業を受けたら、その日のうちに忘れてしまう。それで良い小説を教科書にしようと思い、漱石を選びました。学生たちは喜びましたよ。米国でも田舎から都会に出てきた学生は多く、自分たちも同じような気持ちになる、と。

 金子 「三四郎」を選ぶのが面白い。漱石は時代に密着しておった。時代とともに悩んでいた。キーンさんは時代を脱却し、人間に密着している。

 キーン そうでしょうか。

 金子 研究対象として日本の日記文学に注目した。それは直接人間と取り組んでおられるということです。私の場合、自分の体験を基に現実を描く現代俳句で花鳥諷詠(かちょうふうえい)と戦っていたときは、時代に密着していたつもりだったが、この年になってやっと広く日本語と日本人を重ねて考えられるようになったから、密着から脱却したのかなあ。

 ■すばらしい作家、元禄以上かも 戦後文学

 金子 2012年にキーンさんは正岡子規の評伝を書いていますね。この結論がいいんだ。〈詩人たちがむしろ好むのは、俳句や短歌を作ることで現代の世界に生きる経験を語ることだった。これは、子規の功績だった〉。自然の美しさより、体験を俳句で語る。これが子規の功績である、と結んでおられる。卓見であると思う。

 キーン ありがとうございます。

 金子 室町では足利義満ではなく、義政の時代を評価しているでしょう。

 キーン はじめは歴史の本を読み、彼は将軍としては失敗ばかりで、応仁の乱で何もしなかったと思っていました。しかし、現在の日本の文化はすべて東山時代にさかのぼれる。

 金子 山崎宗鑑が編んだ「犬筑波集」があり、俳諧連歌から独立するきっかけを作った。いわば俳句の先駆けで、我々俳人にとっても重要な時期なのです。キーンさんはねらいをつけているんだな。

 キーン 未来の人が、日本文学の素晴らしい時代を三つ挙げるなら、平安朝、元禄期、そして戦後だと言うでしょう。戦後はすばらしい作家がたくさんいる。谷崎潤一郎志賀直哉永井荷風川端康成。若い世代に太宰治三島由紀夫大江健三郎さんですね。元禄以上かもしれない。三島さんは、この時代には何も面白いものはない、あくびがでる作品ばかりだ、と言っていましたが。

 金子 私なら大岡昇平。そして野間宏の「真空地帯」と大西巨人の「神聖喜劇」を入れたいなあ。戦争中の下級兵士の苦しみを描いた作品です。「神聖喜劇」は下級の兵隊が、軍の規律の矛盾をついて上官に抵抗していく。

 キーン 私は小説の翻訳をほとんどしていませんが、小田実「玉砕」は英訳をしました。日本人がどれだけ苦しんだか、米国人が知るべきだと思ったからです。

 ■仲間の墓を作りたい―私の土台 戦後70年

 金子 戦後70年になりますが、戦争の体験はわれわれ2人にとって切実です。キーンさんは大学で日本語を学び、日米開戦後に海軍日本語学校に入られた。ハワイで、ガダルカナルで戦死した兵士の日記に出会ったことが、日本人の書いたものに生身で触れた最初ですね。

 キーン 日記の何冊かは最後に、「戦争が終わったらこれを家族に送ってほしい」という伝言が英語で書かれてありました。遺族に渡そうと自分の机に隠したのですが、没収されてしまいました。残念です。

 金子 直接触れた日本人の印象はどうでしたか。

 キーン 戦争に行く前に米国の新聞で知る日本は、天皇に狂信する軍事国家で脅威だった。しかし、戦死兵の日記には「島はきれいだけど、食べ物も水もない」などとあり、彼らも普通の人間だと思いました。

 金子 私は海軍施設部の主計中尉としてトラック島に着任しました。土木建築の部隊で、応募してきた工員たちをまとめるのが仕事だった。肉体労働で生きてきた男たちで、よくけんかしていたが、彼らの人間臭さが好きでした。キーンさんが読んだ日記の兵士たちとも重なる。ハワイの捕虜収容所では、捕虜からの要望で、音楽会を開いていますね。

 キーン ハワイの収容所に小さな蓄音機を持ち込んで、町で買った「支那の夜」などの流行歌やベートーベン「エロイカ」のレコードを一緒に聴きました。

 金子 敗戦後の15カ月間、捕虜生活を送りましたが、若い海兵隊員(マリーン)と親しく接しました。私の腕時計を見た一人が「セイコーセイコー」と言って、そのまま持って帰ってしまったのが最初。それでいっぺんに親しみをもった。それから私の顔を見ると「ブルシット」と呼ぶ。「牛のくそ」ですよ(笑い)、そんな自由な猥雑(わいざつ)さが、それまで一緒だった工員や生まれ育った秩父の男たちに重なったのです。

 キーン 私が会った人たちは、捕虜になった恥ずかしさから日本には帰れないと思っていた。でも私は、日本の復活のために帰りなさいとお説教したんです。

 金子 東日本大震災後に日本永住を決め、国籍も取りましたね。戦時中に接した日本人の印象が、その決断の土台にあったのでは。

 キーン 津波で亡くなった人たちを思うと、沖縄戦の死者と重なりました。沖縄の陥落時に通訳として従軍していました。陥落後の首里は、そこに町があったということさえ分からないくらい何も無かった。これで戦争は終わったと思いました。後年沖縄で摩文仁(まぶに)の丘を訪ね、沖縄戦で亡くなった24万人の名前が刻まれている「平和の礎(いしじ)」を見ました。数の問題ではなく人間の問題として、彼らの名前が浮かび上がりました。

 金子 私の土台も、トラック島の工員たちです。餓死や爆撃でどんどん死んでいくものだから、本当に戦争が嫌いになった。俳句なんて悠長なものを作っていいのかと思い、一度はやめようとした。でも体に染み込んでいるんですね、作るのをやめられなかった。日本に帰る最後の復員船の中で「水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る」が出来たのも、彼らの墓を作ってやりたいという思いからです。その願いはかなっていないが、私の戦後の行動の土台です。

 キーン 大切な私の友人たちはみな、日本語を得てから知り合いました。日本との出会いで、現在の私が生まれました。顔ばかりは仕方ありませんが(笑い)、私は日本人と何も変わりません。

 ◆明け方、うとうと句作 かねこ・とうた

・句作は夜明け4〜5時、うとうとしながら

・去年、野菜派から肉派に変えて元気になった

・毎週、朝日俳壇で5千通のはがきから選句する

 ◆1杯のワイン、夜のお供 鬼怒鳴門(きーん・どなるど)

・執筆は午前から午後早め

・肉派。焼くのも得意。夜はワインを1杯

・文芸誌で「石川啄木」を連載中、各地で講演も

 

 ■「三四郎」あらすじ

 本紙で再連載中の漱石三四郎」は、日露戦争後の1908(明治41)年に朝日新聞で発表された長編小説。主人公の三四郎は、熊本の五高を卒業して、東京の大学に進学する。謎めいた美しい美禰子にひかれ、三四郎の新しい生活は始まる。広田先生や級友・与次郎の社会批評に三四郎はたびたび驚かされる。ユーモアあふれる青春小説だが、漱石は、小説の中に時代への違和感や批評をもしのばせていた。

 「三四郎」の連載や毎週の「あらすじ」、漱石関連記事は朝日新聞デジタルhttp://t.asahi.com/eizw)でも読めます。

 ◇「三四郎」の情報を、朝日新聞ツイッター(@asahi_soseki)で発信しています。

 ◇この特集は、宇佐美貴子、中村真理子が担当しました。
    −−「漱石 三四郎ふたたび:この年になって時代を脱却したね 金子兜太×ドナルド・キーン」、『朝日新聞』2015年01月03日(土)付。

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(漱石 三四郎ふたたび)この年になって時代を脱却したね 金子兜太×ドナルド・キーン:朝日新聞デジタル



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