覚え書:「未来への発想委員会:経済成長を問い直す:下」、『朝日新聞』2015年01月24日(土)付。

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未来への発想委員会:経済成長を問い直す:下
2015年1月24日
 
 「経済成長」は、その社会のあり方や時代背景によって規定される。起業をしやすい環境はあるか。人々はどんな働き方をしているか。資源や環境の制約はどうか。お金を介さない支え合いをどう捉えるべきか。朝日新聞社の「未来への発想委員会」の委員とゲスト、記者が交わした議論を、23日に続いて紹介する。

 ■創造する人、ほめる社会に 《ゲスト》ライフネット生命社長・岩瀬大輔(いわせだいすけ)さん

 米国ではここ数年、株式の時価総額や評価額が兆円単位に達するベンチャー企業がいくつも生まれている。

 Facebookについては説明は要るまい。Uber(ウーバー)は「車をもたないタクシー会社」と考えればいい。スマートフォンを利用してハイヤーやタクシーと乗客をつなぎ、車の稼働率を上げている。

 Airbnb(エアビーアンドビー)は「部屋をもたないホテル」のようなもの。個人や団体がもつ部屋や家、城、無人島までウェブサイトで予約、宿泊できる。こちらも物件やスペースの稼働率を上げる工夫だ。

 彼らは、インターネットの特性も生かしながら、ちょっとしたアイデアを巨大ビジネスに発展させている。

 日本でも最近は、多くのベンチャーが10億円単位の資金を調達している。フリーランスを集め、仕事につなぐプラットフォーム。要らなくなった物を欲しい人に売るフリーマーケットアプリ。自社の印刷工場をもたない印刷会社。まだ小粒だが、多様なサービスに広がってきている。

 ただ、日本ではソフトバンク楽天を除いて、大きなベンチャーが、社会にもろ手をあげて受け入れられたとは言い難い。

 米国と日本では、何が違うのか。

 米国の場合、ベンチャーを始めるのは若者だが、シニアが経営陣に入ったり、経験豊かな投資家が助言したりして育てる。日本に足りないのはスマートマネー。資金とともに投じられる、知識や経験だ。

 ライフネット生命は、日本生命出身の出口治明(現会長)と私で始めた。準備会社を設立した2006年当時、出口は58歳、私は30歳。「親子ベンチャー」と呼ばれた。出口が霞が関やメディアとの接し方も指南してくれた。

 日本でうまくやっていくには、エスタブリッシュメントと組むこと。商売の作法がわかっている大人と、元気いっぱいの若者が組むのがいい。

 起業家が称賛される環境も大切だ。米国で、Facebookを創業したザッカーバーグ氏がねたまれ、たたかれることは想像し難い。日本も新しいものを生み出し、雇用をつくっている人をほめる社会になればいい。

 私が通ったハーバードビジネススクールでは、既存の大企業で多額の給料をもらうより、ベンチャーでチャレンジするほうが格好良い生き方だという価値観をたたきこまれた。キャンパスで起業家たちの声を直接聞いたことが、私には大きく影響した。教育の場で等身大のロールモデルに触れられれば、日本も元気になるのではないか。

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 76年生まれ。ボストン・コンサルティング・グループリップルウッド・ジャパンを経てライフネット生命保険を設立。13年から社長。

 ■「単線的発展」時代遅れだ 大阪大特任准教授・神里達博(かみさとたつひろ)さん

 「経済成長」について考えていて、ふと思い出されたことがある。米国でマンハッタン計画を後押しし、戦後の科学技術政策の方向性を決めたエンジニア、V・ブッシュのことだ。彼は1945年7月にトルーマン大統領に提出した報告書「科学・果てしなきフロンティア」において、以下のような考え方を示した。

 いまや国家の繁栄にとって科学は不可欠だ。従って、政府が直接に科学の発展を支えることが重要であり、そのためには「科学の資本」たる基礎研究を振興すべきだ。そうやって新たに生み出された科学的知識が、応用研究、商品開発、さらには産業振興へとつながり、繁栄をもたらす、と。これは「リニア(線形)モデル」と呼ばれ、その正しさは原爆開発の「成功」で証明されていると信じられた。

 だが今や、科学技術政策の世界でこのモデルをうのみにする者はほとんどいない。なぜなら、その後の科学技術の発展ははるかに多様で、そのような単純なモデルに集約できるものではなかったからだ。たとえば、最初にユーザーのニーズがあり、それを実現するために必要な基礎研究を行う、といったスタイルも少なくない。歴史的に見れば、リニアモデルは冷戦期のアメリカを中心として説得力をもった、特殊な見方であったと捉えるべきなのだ。

 実は「経済成長」という考え方が前景化してきたのも、同じ時代なのである。第2次世界大戦以前においては、各国の経済政策における主な悩みは、激しい景気変動とそれに伴う失業問題であった。だが戦後は傷ついた国土の再建のために投資が増え、むしろ人手不足が基調となり、生産量や生産性の向上に関心が移る。さらに冷戦が始まったことで、東西両陣営が経済の成長力で競争を始めたのだ。

 しかしこの流れは、おおむね1970年ごろに壁にぶつかる。その要因はさまざまあるが、大きくはベトナム戦争での米国の敗北と、環境・資源問題の出現である。

 おそらく人々は、その頃から単線的な社会発展の描像に対して疑問を持つようになった。では次の時代はどう生きていくのか。多くの識者がさまざまな考え方を提案しているが、決定打はまだ出ていない。ただ少なくとも、「リニアな発展」という発想は、もう時代遅れだろう。

 「冷戦」という、特殊な条件において成立した思想に、我々はいまだに支配されてはいないか。「経済成長」という言葉が連呼されると、そんな思いが去来するのである。

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 67年生まれ。本社客員論説委員。専門は科学史科学技術社会論。著書に「食品リスク―BSEとモダニティ」「没落する文明」。

 ■「停滞」脱却へ市民参画を 東京大教授・牧原出(まきはらいづる)さん

 グローバルに見れば、途上国では経済成長意欲は旺盛であり、マクロ経済政策における指標として、経済成長率の意義は重要であり続けるだろう。問題となるのは、経済効果とは別に、それが政権の象徴となる「政治政策」として用いられるときである。

 戦後日本では、池田勇人内閣期の1960年代の高度経済成長がその成功例と記憶されている。

 成功のかぎは、政策理論にもあった。これを編み出した大蔵省のエコノミスト、下村治は、高度経済成長の始点とともに終点も見据えた。

 59年に下村は、日本経済の「成長力」が「飛躍的に強化されつつある」と高らかに宣言した。だが、石油危機後の74年には「日本経済ゼロ成長論」を唱え、89年に死去するまで、一貫して「ゼロ成長」を主張した。

 「これから20年か30年、われわれは石油の量に束縛されて、ゼロ成長か微成長に甘んずることを覚悟しなければならないようである」

 現在の安倍晋三内閣もまた、かつての池田内閣と同様、経済成長を政権の象徴に掲げている。だが達成可能な経済成長は、せいぜい下村の言う「微成長」にすぎない。

 もちろん「微成長」も長期にわたって持続すれば、累積効果はきわめて大きい。しかし、終わりのない「微成長」は、高度成長期に体験されたような一体的な幸福感を国民にもたらさない。そのため、国民は将来への不安にとらわれ、生活防衛に走っている。内部留保をためこむ企業も同様であろう。

 そんな中で日銀は、終期を具体的に設定できないまま金融緩和を続けている。デフレ脱却の目標とする「2%物価上昇率」も、あくまで目安にすぎない。

 本来、日本が求められているのは、能動的・機動的な社会に改編し、「停滞」を脱することのはずである。それは経済活動以上に、余暇の活用や市民参画などにかかっているのではないか。

 たとえば、東日本大震災後の復興政策を経済政策に読み替えてはどうだろう。「経済成長」よりは始点と終点を明示した「経済復興」。「財政破綻(はたん)」の懸念に対しては、公助のほか共助を活用する「防災と減災」といった視点を組み込むのである。

 「アベノミクス三本の矢」というフレームは、政治政策としては単純すぎる。経済成長率をどのような社会像で包み込むか。その政治政策としての可能性は、まだくみ尽くされてはいない。

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 67年生まれ。専門は行政学、オーラルヒストリーを活用した政治学。著書に「行政改革と調整のシステム」「権力移行」など。

 ■記者も議論に参加

 委員会には記者も出席し、議論を交わした。

 有田哲文編集委員(経済担当)は成長のための環境を論じた。

 「成長戦略の中心は規制緩和と言われるが、ここから先は医療や雇用など、社会のありようにかかわる難題が多い。ただ、起業しやすい社会にするのは当然だし、女性が働きやすい環境も整えるべきだ」

 「よく、リスクをとって起業しろと言うが、失敗したときの悪影響があまりに大きければ、人は二の足を踏む。それに対して、北欧のように教育費がほとんどかからない国なら、失敗しても子どもの進学に支障をきたすこともない。挑戦を促すには、セーフティーネットも大切だ」

 小陳勇一論説委員(経済担当)は働き方に着目する。「日本の企業では、社員は会社に人生を捧げるかのごとき働き方をしてきた。長時間労働もふつうだし、職務も勤務地も会社の都合で決まる。これでは女性が活躍するのは難しい。勤務地や職務を限定した働き方をつくり、入社時に働き方を選択したり、ライフステージに応じて二つの働き方を行き来したりできる仕組みを考えられないか」

 成長を測る尺度についての言及もあった。ジャーナリスト学校の北郷美由紀主任研究員は「内閣府の推計では、家事や子育てのような無償労働を金額に換算するとGDPの約3割に相当し、その8割を女性が担っている。なのに、家族や地域の支えあいはGDPに入らない。お金に換算されていない価値を可視化し、成長を複眼的にとらえられないか。GDPとは違うものさしも必要ではないか」。

 松下秀雄編集委員(政治担当)は「無償労働をベビーシッターのようなサービスに置き換えればGDPは伸びる。ただ世帯の収入とともに支出も増え、稼いだだけ豊かになるわけではない。私たちが働く意味は物質的豊かさのほか、自己実現や自由の追求にもある。収入がないのに離婚したら食べていけないが、収入があればひたすら我慢せずにすむ。それは大切な価値だが、成長と呼ぶべきか」。

 田中雄一論説委員(経済担当)も、金もうけとは違う価値に触れた。「『社会的投資』に注目している。『多額の寄付はできないが、もうけなくてもよい。自分の投資が社会の課題解決に使われ、役に立っている手応えがほしい』という人たちの投資だ。日本でも40歳前後の若手がそうしたお金に注目し、地域の中でお金が回る仕組みづくりを模索している」

 稲垣えみ子編集委員(社会担当)は、経済成長を追求することに懐疑的だ。

 「増大する介護や医療の需要に応えるにはカネだけでは無理なのに、経済成長はむしろ、カネによらない人間関係を細らせた」

 「日本には既に物が満ち、みな欲しいものがなくなってきている。それなのに物を買わせようとするから、脂と砂糖たっぷりの菓子を食べてメタボになり、サプリを買ってダイエットするのが経済成長に貢献する『よき消費者』ということになる。こんな成長が国民の幸福につながるのか」 
    −−「未来への発想委員会:経済成長を問い直す:下」、『朝日新聞』2015年01月24日(土)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11567072.html





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