覚え書:「特集ワイド:筑波大名誉教授・白川英樹さんの憂い ノーベル賞の裏で科学研究の危機が」、『毎日新聞』2015年01月23日(金)付夕刊。

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特集ワイド:筑波大名誉教授・白川英樹さんの憂い ノーベル賞の裏で科学研究の危機が
毎日新聞 2015年01月23日 東京夕刊

(写真キャプション)「理系の就職が好調と聞きました。うれしいですね」=横浜市青葉区で、小関勉撮影


(写真キャプション)白川さん自身、ノーベル化学賞を受賞した際には「フィーバー」に巻き込まれたが、今はその過熱ぶりに疑問を抱く=2000年10月11日

 昨年、青色発光ダイオード(LED)の発明に貢献した日本の3人がノーベル物理学賞を受賞し、国内は「日本の科学技術の底力」に沸いた。受賞した3人に対しては、業績はもとより人柄や日常生活にも関心が集まり、その一言一句が注目された。だが、喜んでばかりでいいのか。2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹さん(78)は憂いを深めている。その懸念の核心とは−−。

 ◇成果至上主義が独創性を阻害 「偶然による発見」生む環境を

 「ノーベル賞ばかりが、なぜこれほど騒がれるのか。これは本当に疑問でしてね」。横浜市郊外のホテルのラウンジで会った白川さんは、そう言ってノートパソコンを開いた。見せてくれたのは、自身が受賞した00年から3年間のノーベル賞関連の新聞記事のリストだ。

 「白川英樹さんが母校で講演」「授賞式へ出発、野依良治教授」「田中耕一さんが富山へ帰郷」……。日本人が受賞する度に見かける新聞記事の見出しが並ぶ。その数は軽く100本を超える。世間のフィーバーぶりがよく伝わるが、白川さんは「研究内容についての報道は最初だけで、その後はほとんどないんですよ」と苦笑する。

 「今回の青色LEDの開発は『世界の人の役に立った研究をたたえる』というノーベル賞の趣旨にふさわしいものだったと思います。しかし、ノーベル賞以外にも素晴らしい賞はたくさんある。国内では明治時代に始まった日本学士院賞をはじめ、日本国際賞京都賞。海外なら数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞、科学技術が対象のベンジャミン・フランクリンメダル、イスラエルウルフ賞。これらは日本人も多数受賞しています。新聞では小さく報じられるだけですが、ノーベル賞と同格に扱ってほしいくらいです」

 以前から、ノーベル賞だけを特別扱いする風潮に疑問を投げかけてきた。01年、国の科学技術基本計画で「今後50年間で受賞者30人」という数値目標が示されると、他の受賞者とともに異論を唱えた。その主張の根底には、ノーベル賞の華やかさに目を奪われている間に、科学から独創性が失われる現状を見過ごしてしまうのではないか−−という危機感がある。

 今、若手の科学者を取り巻く環境は厳しくなっている。特に国立大学では04年の法人化以降、研究費のあり方が激変した影響が大きい。

 法人化以前は、国から各大学の規模に応じて平等に配分される「積算校費」があり、これが基礎研究の財源となってきた。ところが法人化後、平等に配分する資金は減り続けている。その代わりに、優れた研究テーマを選んで配分する「競争的資金」の割合が高まっている。

 考え方だけをみれば、やる気のある研究者や成果の見込まれる分野を伸ばし、研究が活性化するようにも見える。だが、白川さんは「巨額を要する大きなプロジェクトに割り当てられる比重が大きく、基礎研究に取り組む若手研究者には十分行き渡っていません。また、各大学が自由に使途を決められる運営費交付金は法人化以降の10年間で10%以上も削減され、若手の教員ポストは3−5年の任期制が増えています」と指摘する。

 任期制で採用された教員は限られた期間に研究を仕上げて論文を作り、成果を出さなければならなくなった。「そうしないと『次』がないのです。だから成果の出やすいテーマを選択せざるを得ない。でも、本来は自分の研究室を軌道に乗せるのに1、2年はかかるものです。それから実験を始めて、論文を書くと、それだけで3年。規定の年限内に成果が上がらないことなんて、いくらでもある。結果を出すまで研究者が何十年も、場合によっては一生涯をかける場合だってある。『成果、成果』と追い立てる成果至上主義が、研究者の興味に基づいた独創的な研究を阻害しているのです」

 国が支出する競争的資金の総額自体は増えている。特にバブル崩壊後の1995年、科学技術で日本の産業を支えようと「科学技術基本法」が制定されてからは顕著だ。例えば、競争的資金のうち約半分を占める科学研究費補助金科研費)は94年に約800億円だったが、10年以降は年間2000億円を超える。

 しかし、白川さんは「お金をつぎ込めば独創的な研究が増えるというものではありません。ましてやノーベル賞をとれると考えるのは間違っています」と言い切る。湯川秀樹さん以来、自然科学系の日本のノーベル賞受賞者の多くは、80年代以前の研究実績を評価された。その当時の科研費の年間総額は数十億−数百億円程度だった。

 「優れた研究をするためには、条件があるんです」。それは落ち着いてじっくり取り組める環境と、自由に使える資金だ。「特に若手の場合、億単位の額はいらない。数百万円でいいから、好きなことをやれる資金が必要です」。白川さんは「電気を通すプラスチックの開発」という業績でノーベル賞を受賞したが、発見のきっかけは、プラスチックの合成中に薬品の量を間違えたミスだった。その時できた物質に金属のような光沢があったことから「電気を通すのではないか」と直感し、その後実験を繰り返して偉大な成果を手にした。

 「研究費は税金ですから、効率よく無駄のないように使うべきであるのは当然です。ただ、役に立たない研究だから無駄遣いとは決めつけないでほしい。一見成果なく終わったように見える研究が、いつ役に立つか分からないからです。そういう“知的財産”の積み重ねが科学の発展につながる」

 自身の研究について語る時に「セレンディピティー」という言葉を使う。英語で「偶然による発見」との意味だ。「『研究資金を得ている以上、それに見合う成果を出さない研究はバツだ』との考え方からは、セレンディピティーは生まれない。ムシのいい話であることは承知していますが、そこは国民の皆さんにも分かってほしいんです」

 成果が見込まれるプロジェクト研究ばかりが重視される現在の日本。昨年のSTAP細胞をめぐる研究不正の問題も、そのような環境に一因がなかったか。「もちろん無縁ではないと思います。ただ再発防止には大学院教育の充実も必要でしょう。実験のやり方やモラルなども含め、カリキュラムを見直すこと、そして、幅広い見識を持つ研究者を育てることを考えなくてはいけないでしょう」

 独創性のある優れた科学者を育てるには、大学だけではなく、初等、中等教育も重要だ。「回り道に思えるかもしれませんが、小学校の学級の人数を減らしてほしいと言い続けてきました。児童の興味を把握し、好奇心を伸ばすには20人くらいにしてもいい。それなのに財務省は現在の小学1年生の35人学級を『効果がない』として40人に戻す案を打ち出した」。15年度予算での削減は見送られたが、こうした議論が出たことを白川さんは残念がる。

 理科を教えることに自信がないという小学校教師が半数を超える、との調査もある。「教員養成系大学は師範学校の伝統を受け継いでいるため文系に位置づけられていますが、将来は文系理系にとらわれないコースを設けるべきでしょう。過渡的には理科の専任教師を増やしてもいい」

 日本の科学の前途は険しそうだが、白川さんは「悲観はしていない」と言う。「よくアジアの研究者から尋ねられます。『アジア諸国の中で日本人ノーベル賞受賞者が際立って多いのはなぜか』と」。アジアの優秀な研究者は欧米などの留学先で成果を上げるが、日本人は日本国内で教育を受け、研究をしていながら受賞に結びつくケースが多い。「欧州は自然を克服、支配するとの視点で科学を発展させてきましたが、日本人はそれを受け入れる以前から、自然と共存しつつ自然を見つめ、利用するとの視点から、独自の科学を積み上げてきた。欧州にも負けないバックグラウンドがあるのです」

 さらに続ける。「欧米の優れた科学教科書の多くは先達の努力で日本語に翻訳されています。母国語で科学を深く学べるのは、大きな強みなのです。欧州生まれの自然科学を英語で学んでも、私たちにはその表層しか捉えられない危険がありますから」

 白川さんは筑波大退官後、全国の学校での科学教室や、日本科学未来館(東京)での定期的な実験教室の開催など、未来の研究者を育てる活動を続けている。革新的な科学技術の発見に必要なのは、目先の結果よりも、育てる熱意−−行動で、そう示している。【小林祥晃

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 ■人物略歴

 ◇しらかわ・ひでき

 筑波大名誉教授。1936年東京都生まれ。岐阜県高山市で育つ。東京工業大大学院博士課程修了。2000年に「導電性高分子の発見と開発」でノーベル化学賞。01−03年、内閣府総合科学技術会議議員。
    −−「特集ワイド:筑波大名誉教授・白川英樹さんの憂い ノーベル賞の裏で科学研究の危機が」、『毎日新聞』2015年01月23日(金)付夕刊。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150123dde012040004000c.html


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