覚え書:「松尾貴史のちょっと違和感 『イスラム国』と呼ぶこと 、平和を愛する教徒に失礼」、『毎日新聞』2015年02月01日付日曜版(「日曜クラブ」)。
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松尾貴史のちょっと違和感
「イスラム国」と呼ぶこと 平和を愛する教徒に失礼
国会議員の「有志」が、国会前で着物を着て集まって楽しそうに記念写真を撮っていた。日本の国民服だということを主張したいらしいが、呉服のイメージダウンになるのでやめてほしいような人もちらほらと見受けられた。
そもそも本当に和服を愛するのなら、普段から着物で活動すればいい。税金を使って外遊する時も着物で頼みます。選挙ポスターも和装で撮影しなさい。こういった節目を見つけてはパフォーマンスでやって見せるバカバカしさを客観視できないものか。
お前は着物が好きではないのだろう、と言う人がいるかもしれないが、私は着物が好きだ。年に数回は出る落語会で高座に上がるときは、着物を着るのが楽しみで仕方がない。と言っても、持っているのはリーズナブルな「洗える着物」ぐらいのものだが。
温泉も好きで、日本の四季が好きで、国民食のカレーやラーメンやカツ丼が好きで、富士山が好きで、何よりも日本人の心が隙だ。これはまぎれもない愛国心だと思っている。
ちょっと政権に批判的なことを言うと、「反日」というラベリングをする人がいるが、国を愛するということは、その統治権力に忠誠を誓うということとは別のところにあるように思う。逆に、権力者たちが国民に対して忠誠を誓わなければならないのではないか。その根拠として、今の日本国憲法は世界で最も進んでいるものだと思う。
国の重要な要素である国民、国土、統治機構、そのどれかが欠けた場合に「国」は成立するのだろうか。もちろん、不可欠なのは国民である。国民が存在しなければ、国が存在するわけがない。次に統治機構だ。おとぎ話だが、統治機構がなくとも、トラブルさえ起きない楽園であれば、国は成立するのだろう。
さて、国土がなければどうなるだろうか。物理的に影響力を持つ領域が拡大しているとはいえ、ちゃんとした領土というものがない組織が「国」を名乗っている。そして、大切な日本国の同胞に危害を加えている。
今回のISILによる人質事件の影響で、日本国内のモスクへの嫌がらせが起きているという。なんという短絡で下劣な発想なのかと呆れるばかりだが、これはテレビやラジオ、もちろん、新聞、雑誌も含め、その呼称を無批判に受け入れ、使いすぎたということも影響してはいないだろうか。昨年あたりから、「イスラム国」と名乗っている極悪なテロル集団について、そのネーミングに大きな違和感を覚えていたが、それをそのまま垂れ流している報道番組や情報番組にも疑問を感じていた。
テロ組織がイスラム教の信者が中心になっているとはいえ、それ意外の、つまり大多数のイスラム教徒は平和を愛する善良な人々である。その人々が何よりも大切にしている信仰の拠り所である呼称を冠した集団が名乗っているからと言って、そのままそう呼んであげていることがどうしても理解できない。アルファベットの略称でもいいし、もしどうしてもイスラム国と呼びたい理由があるのであれば、「自称」とつけるか、面倒でも「イスラム国と名乗るテロ組織」と言うべきだろう。それでも「イスラム」という言葉を使用することには抵抗が残るが。
もし、他の宗教の原理主義者がテロ集団を結成して、「キリスト国」「カソリック国」「プロテスタント国」「浄土真国」「日蓮国」「仏教国」と名乗ったら、そのまま呼び名を変えないだろうか。それでなくとも、厳しい戒律の中誇りを持って信仰しているムスリムにとって、この辛酸は耐え難いのではないだろうか。(放送タレント、イラストも)
−−「松尾貴史のちょっと違和感 『イスラム国』と呼ぶこと 、平和を愛する教徒に失礼」、『毎日新聞』2015年02月01日付日曜版(「日曜クラブ」)。
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