覚え書:「ストーリー:英のラテン語辞書編集 101年、二つの大戦越え」、『毎日新聞』2015年02月15日(日)付。

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ストーリー:英のラテン語辞書編集(その1) 101年、二つの大戦越え
毎日新聞 2015年02月15日 東京朝刊

(写真キャプション)世代をつないで編まれた中世ラテン語辞書。手にするのは、編さんプロジェクトの第3代にして、最後の編集長を務めたリチャード・アシュダウンさん=ロンドンの英国学士院で、小倉孝保撮影

 薄暗い部屋に小さな明かりが四つともっていた。5日朝の英議会貴族院(ロンドン)展示室。照らされたのは「法の支配」を説いたマグナカルタ(大憲章)である。制定(1215年)800年を記念し、現存する全原本(4枚)が初めて議会にそろった。

 変色した羊皮紙の小さなインク字は、読み書き専門の言語、中世ラテン語だ。ガラスケース内の文字を追いながら私は、このほど編まれたラテン語辞書の最後の編集長、リチャード・アシュダウンさん(37)の言葉を思い出した。

 「辞書があって初めて古文書が正確に理解できます。マグナカルタを読むにも完全な辞書が必要です」

 アシュダウンさんが携わったのは「英国古典における中世ラテン語辞書」プロジェクト。権威のある人文科学系の学術組織「英国学士院」が第一次世界大戦前年の1913年に着手し昨年9月に終了した。101年をかけた事業だった。

 ラテン語の言葉を英語に訳した辞書は17分冊、全4070ページ。5万8000語を収録し、引用は43万例に上る。ロンドンの同学士院でアシュダウンさんは辞書を抱えながら言った。「戦争中も(戦後の)財政の苦しいときも、細々と受け継がれてきました。歴代編集長は自分で完成させたいと思っていた。その願いの結晶です」

 編集は手作業主体。オックスフォード大でラテン語を教えるアシュダウンさんが「D」のページを開いた。「daemon(悪魔)」の次に「Daedaleus(ダイダロスギリシャ神話中の名工=に値する)」。「順番が逆。コンピューターでは発生しないミスです」。「失敗」よりも手作りの温かさを感じた。

 全巻の価格は660ポンド(約12万円)。101年の歳月と数百人のボランティアらが携わった。市場原理とは別の価値がそこにある。

 マグナカルタはこう説く。「国民は法か裁判によらなければ自由や生命、財産を侵されない」。800年前のこの文書は、成文憲法のない英国の民主主義の基礎原理としてだけでなく、「世界人権宣言」(1948年)などの理念として今も生きる。辞書作りに関わった人たちは、中世ラテン語だけでなく大憲章の精神も後世に引き継いだ。【小倉孝保
    −−「ストーリー:英のラテン語辞書編集(その1) 101年、二つの大戦越え」、『毎日新聞』2015年02月15日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150215ddm001030143000c.html



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ストーリー:英のラテン語辞書編集(その2止) 言葉を後世に伝える
毎日新聞 2015年02月15日 東京朝刊

(写真キャプション)初代編集長と一緒に作った辞書を眺めて当時を懐かしむアブリル・パウエルさん=2015年2月5日、英ノーリッチの自宅で、小倉孝保撮影


 <1面からつづく>

 ◆英国のラテン語辞書編集1世紀

 ◇「完璧」目指した執念

 赤いカーディガンのアブリル・パウエルさん(93)が上品な笑顔で迎えてくれた。英東部ノリッジの自宅。書斎の木製机には、かつて副編集長として作成に携わった中世ラテン語辞書が置かれていた。ページをめくりながら、パウエルさんが言った。

 「私の担当は『G』でした。辞書全体の中でも『G』には特別の思いがあります。仲間と共に自分の能力を生かせ、幸せでした」

 パウエルさんはオックスフォード大でラテン語を学び第二次大戦中に結婚、主婦として3人の子供を育てた。子育てが一段落した1967年、英国学士院の中世ラテン語辞書プロジェクトを知った。当時、半世紀に及んだ中世ラテン語の収集は終わり、編集作業が本格化しようとしていた。

 「応募すると、すぐ来るよう言われたんです。面接も訓練もなく、働くことになりました」

 ロンドン市内の公文書館に通い、最初はタイピスト、その後、副編集長になった。67年に初代編集長になったロナルド・レイサム氏(1907−92年)時代を知る一人だ。

 「当時、学士院はあと10年ほどで完成すると思っていました。ただ、編集作業はどんどん膨れ、完成のめどは立ちませんでした」

 辞書には中世ラテン語だけを収めることも検討されたが、レイサム氏は古典ラテン語も含む総合的辞書を作る姿勢を崩さなかった。

 ラテン語には大きく分け古典期(紀元前1世紀−紀元2世紀ごろ)と中世期(6−16世紀ごろ)がある。古典ラテン語ローマ帝国で話されていた言葉。中世ラテン語は帝国崩壊後、西ヨーロッパ各地に広がったラテン語が地域言語の影響を受けながら生まれた文語である。

 頑固に完全な辞書を目指したレイサム氏をパウエルさんはラテン語でこう表現した。

 「彼こそ、この辞書のフォンス・エト・オリゴ(本源)です」

 レイサム氏の執念によって完全な辞書ができたという意味だ。

 レイサム氏は75年、アルファベット順に「A」から「B」までの言葉を収録した第1巻を刊行し77年、後進に道を譲った。継いだのが当時、オックスフォード大で英語辞書を作成していたデービッド・ハウレットさん(71)だ。オックスフォードの街を歩きながら言った。「人類は文字を学んで文明を作った。文明化の過程を知るには古い言葉を探ることです」

 米モンタナ州に生まれ、オックスフォード大で古典語(ラテン語ギリシャ語)を学び78年、中世ラテン語辞書プロジェクトの2代編集長になった。計画スタートからすでに65年が経過していた。「伝統が肩にのしかかる」思いだった。

 編集長として、「C」から「T」を担当した。「学士院の要求は経費を抑え、早く作れ。しかもベスト(最良)ではなくパーフェクト(完璧)に。本当に完成するのかな、と疑問でした」と笑う。

 英国では中世、政府や教会の文書のほか、ニュートン(1642−1727年)の科学論文も中世ラテン語で発表された。にもかかわらず辞書は1678年作成の不完全なものを最後に、まとめられることはなかった。

 20世紀に入って、その状況を危惧したのがオックスフォード大教員のロバート・ウィトウェル氏(1859−1928年)だった。彼は1913年、「私たちの手で新しく正確な辞書を作ろう」と、新聞でボランティアによる辞書編集を呼びかけた。約200人が応募してきた。当時、英国で高等教育を受けた聖職者、法律家、教師たちはラテン語の読み書きができた。そうした人々が無給でも辞書作りに協力したいと願い出たのだ。

 「マグナカルタなど中世古文書の扉を開けるには辞書が必要です。辞書は先人の知恵や歴史を開く鍵なのです」と2代編集長のハウレットさんは言う。英国は成文憲法を制定していない。古典法令や裁判所、議会の決定を総合して「憲法」と考えている。マグナカルタもそれを構成する一つだ。辞書は憲法を読み解く道具でもあるのだ。

 ハウレットさん時代に、その後「辞書作りの天才」と呼ばれるスタッフが加わった。オックスフォード大のリチャード・シャープ教授(60)だ。81年にプロジェクトに参加し90年まで副編集長を務めた。その間、中世ラテン語の中でも、数が多いため困難とされる「E」や「F」を担当した。

 同大教員用レストランで昼食をとりながら教授は西欧にとってのラテン語の重要性を説いた。「中世、西欧の人々は互いに、ラテン語で意思疎通をした。ラテン語は西欧の文化的統合の象徴です。(旧東欧諸国の一つ)ハンガリーは中世ラテン語圏であり、言語的には西欧であることがわかります」

 教授が最も苦労した言葉は、「facere」だった。「作る」「−する」などを示す言葉で、細かく分けると47の意味があった。辞書ではこの1語のために6ページを割いた。数カ月かかると思われたこの項目を教授は2週間で仕上げ、周りを驚かせたという逸話が残る。

(写真キャプション)引退後、家庭菜園を楽しむ第2代編集長、デビッド・ハウレットさん=2015年2月3日、英オックスフォード郊外で小倉孝保撮影

 ◇「競争より協力」で舟編む

 シャープ教授らスタッフが辞書編集の基礎にしたのは、ボランティアが半世紀かけて収集した中世ラテン語だった。

 学士院がまず中世の文献や書籍を指定。各ボランティアは割り当てられた文献から採取した一語一語について、「スリップ」と呼ばれる縦8センチ、横12センチの紙のカードに、その言葉の使われ方、引用文献情報などを書き込んだ。

 集まったスリップは最終的に計75万枚。1人で約2万枚を作った人もいた。ボランティアたちはみな、自分の生きている時代には完成しないであろう辞書のために、見返りを期待することなくただ、こつこつとラテン語を集めたのだ。

 この間、激動の時代に重なる。始動翌年に第一次大戦(14−18年)が始まった。終戦後の24年に学士院に辞書委員会が組織されたが、第二次大戦(39−45年)が起きた。二つの大戦に作業は滞りがちになることもあったが、ボランティアによるスリップ作成は続けられた。

 編集現場ではそうしたスリップをアルファベット順に整理し、出典をすべて原典で確認した。中世初期の古文書は、手書きであるため確認作業も容易ではなかった。スリップも手書き。シャープ教授は言う。「スリップの一枚一枚から、辞書の完成を願うボランティアの気持ちが伝わってきた」。小さな紙片を通し、ボランティアと編集スタッフの気持ちはつながっていった。

 辞書作り資金は、学士院への国からの補助と文化財団などからの寄付金でまかなわれた。第二次大戦終結後しばらく、英国は厳しい財政難を経験した。そのため専属スタッフが置かれ、編集作業が始動するのは65年である。編集長以下、1人か2人の副編集長、多いときで5人前後のアルバイトスタッフが75万枚のスリップと格闘した。

 編集は予想以上に難航した。時間だけが過ぎ、学士院側はいらだった。英国学士院で学術出版を担当するジェームズ・リビングトンさん(55)は、17分冊を前に笑いながら説明した。「各分冊の厚さをみてください。途中から薄くなっています。作業の進展を印象付けるためほぼ毎年、仕上がった分を出版していったためです」

 確かに初期の分冊は300ページ近くあるが、途中から100ページ前後と薄くなる。また、初めは「A−B」「C」「D−E」と切りのいいところで分冊しているが、「P」以降は「Pel−Phi」「Sal−Sol」など、中途半端な区切りになっている。資金を途切れさせないため、学士院や英政府に進展をアピールする必要があった。

 2代編集長のハウレットさんが2011年、「T」の項目を最後に引退し、リチャード・アシュダウンさん(37)が3代編集長に就いた。1週間に平均、スリップ150枚を処理し13年末、ついに17番目の分冊が完成する。最後の言葉は「zythum」。「a」で始まった辞書は、「エジプトのビール」という言葉で終わった。アシュダウンさんはその後、スリップや編集作業の記録を引き継ぐための作業を続け、正式にプロジェクトが終了したのは昨年9月。1世紀と1年の大事業が終わった。

 英国の中世ラテン語辞書プロジェクトが呼び水となり、西欧各国で中世ラテン語辞書作りが始まった。その一つが王立アイルランド学士院が進める「ケルト古典における中世ラテン語辞書」プロジェクトだ。アイルランドは英国と違い、ケルト系民族が主流だ。ダブリン中心部の同学士院は荘厳な建物だ。辞書編集はこの一室で進んでいる。中に入ると狭い部屋に数世代前のパソコンが置かれていた。編集助手のアンジェラ・モルトハウスさん(63)が、「P」の項目の調査、確認作業を黙々と進めている。編集長のアンソニー・ハービーさん(56)は言った。「英国に比べスタートが遅かった分、コンピューターで編集しています」

 アイルランドは1937年に完全独立するまで英国領だった。しかし、当時から英国の辞書プロジェクトはアイルランド島の文献を対象にしていなかった。

 ただ、英スコットランドなどにもケルト系民族が住んでいるため英国のプロジェクトは当初、ケルト文献も含んでいた。実際、分冊「A−B」には、ケルト文献の中世ラテン語が収録されている。

 王立アイルランド学士院は80年、中世ラテン語辞書作りを始動する。ケルト語圏の古文書にある中世ラテン語を英語で定義する辞書だ。これをきっかけにケルト語圏の文献はすべて、英国からアイルランドのプロジェクトに移された。その編集作業は現在、山場を迎えつつある。

 90年に初代編集長に就任したハービーさんは、ラテン語との関係からみたアイルランドの特徴をこう説明する。「(英国のように)ローマ帝国に侵攻された歴史がないことです。ラテン語は後の世にキリスト教と一緒にもたらされました」

 「ラテン語からケルトの特徴がわかる」と言うハービーさんは、「潮」を具体例として挙げた。古典ラテン語では「潮」を示すのはたった一つだが、ケルト圏に入ると、「潮」を表す言葉が数多く生まれた。ローマ人が住んだ穏やかな地中海に比べ、アイルランド周辺は潮による海面変化が大きいからだ。「考古学者が遺跡から歴史を探るように、私たちは言葉から歴史を知るのです」。ハービーさんは2023年の完成を目指している。

 <言葉を採集したボランティアを含む数え切れない人々の助けで辞書は完成した……>

 英国の中世ラテン語辞書の最終巻の序文にはそう記されている。

 全17分冊を重ねると厚さ23・5センチ、重さは11・6キロ。抱えるとずしりと重い。だが、このプロジェクトを取材した今、思う。事業に携わったボランティアや編集スタッフの「後世につなげたい」との熱意と献身は、この重さや厚さをはるかに超える。本当に大切なものは、数字では表せない−−と。

 2代編集長のハウレットさんを先日、再訪した。引退後、趣味として取り組む農園を見たかったからだ。オックスフォード郊外の農園は朝からの雪で薄く覆われていた。雪の合間から小さな顔を出すアスパラガスの茎を前に、ハウレットさんは言った。「辞書編集と農業。ともに競争がない世界。競争よりも協力。そんな世界で生きてこられたのは幸せです」

 静かな平原の向こうで馬が草をはんでいる。考えてみればアスパラガスは地中海沿岸が原産。それが英国に根付いているのは、ローマ帝国から各地に広がった中世ラテン語と似ていなくもない。

 完成した辞書の意義をハウレットさんはラテン語の格言を交え、こう表現した。「我々はこの土や植物と同じように、言語を後世に引き継ぐ必要があります。辞書は、モヌメントゥム・アエレ・ペレッニウス(青銅より永続する記念碑)です」。末永く後世のためになる、という意味だ。

 雲の間から薄日が差した。ハウレットさんの顔に小さな誇りが浮かんだ。

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 ◆今回のストーリーの取材は

 ◇小倉孝保おぐら・たかやす)(欧州総局長)

 1988年入社。大阪本社社会部、カイロ、ニューヨーク両支局を経て2012年から現職。女子柔道のラスティ・カノコギ氏を描いた「柔の恩人」で11年度小学館ノンフィクション大賞に。昨年11月、日本人として初めて英外国特派員協会賞を受賞。今回、写真も担当した。

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