覚え書:「耕論:体育で何を鍛えるか 内田良さん、坂上康博さん」、『朝日新聞』2015年02月17日(火)付。

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耕論:体育で何を鍛えるか 内田良さん、坂上康博さん
2015年02月17日

 寒風の中、ジョギングする人。自分の意志で自分の体を鍛える人たちだ。で、ふと思う。学校で長距離走をさんざんやらされたが、足の運び、腕の振り方を、ちゃんと教わったかなあ。授業と部活動で成り立つ学校の体育。何を鍛える?

 ■非科学的な指導が事故を招く 内田良さん

 2010年度までの10年間で、小・中・高のスポーツ活動中に起きた死亡事故は364件。学校の体育の授業や部活動で多くのスポーツ事故が起きています。

 部活動では、練習時間が長く、負荷量が大きいために、死亡事故が多く起きています。特にリスクが大きいのは柔道で、中学校の部活での死亡率は10万人あたり2・385人。2位のバスケットボールの6・2倍です。部活の勝利至上主義が問題だといわれますが、いくつかの調査を見ると、多くの先生が重視しているのは、勝つことよりも「教育」です。「教育をしている」と正当化しながら、過酷な練習が行われています。

 体育の授業と部活に共通して欠けているのは、スポーツ科学の知識です。「負荷をかけたら休む」というオンとオフの切り替えをうまくやっていくことで、運動能力は向上する。でも学校では、毎日休まず練習することで強くなるという考え方が強い。科学を重視していない日本の体育指導の在り方を象徴しています。

 日本体育協会の調査では、部活動の指導者の半分近くがその競技の未経験者ですが、競技の専門家を呼んできて指導させればいいというわけでもない。外部の専門家が指導する柔道部でも死亡事故が起きています。神奈川県の調査では、教員よりも外部の専門的指導者のほうが長時間の練習をさせたいと考える傾向があります。

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 <親の感動を優先> 授業では、最近問題になっているのが組み体操の事故です。組み体操は10年くらい前から一種のブームになっていて、10段にもなるピラミッドを作らせたりする。巨大なピラミッドが崩れて、生徒が骨折する事故が後を絶ちません。

 そもそも組み体操には体育としての意味がほとんどない。どんな能力が身につくのかが説明できないから、学習指導要領にも入っていない。何のためにやるんですかと先生に聞くと、「一体感」や「感動」という答えが返ってくる。体育の時間に感動を生み出す必要があるんでしょうか。

 しかも、組み体操で想定されているのは、子どもの感動と同時に保護者の感動です。骨折した子どもの親がいくら抗議の声を上げても、全体の「感動」の前には無視されてしまう。

 運動会がショー化していることも問題です。日頃の体育の成果を見せることよりも、保護者を感動させることが優先される。派手な組み体操は完全に見せ物になり、みんなビデオカメラで撮影します。保護者のための運動会になっているから、子どもの安全がどこかに行ってしまいます。

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 <専門知識が必要> 組み体操や、部活動での精神的な指導には、軍事教練的な発想がずっと流れています。「一緒に最後までやる」ことを重視するので、個人個人の体力や健康リスクに配慮する意識がない。学校教育の中で、最も科学に近い領域というのが体育なんですが、そこで最も非科学的な指導が行われている。ひどい人だと「スポーツにけがはつきもの」とまで言う。だからといって、いくらでもけがが起きていいということにはならないでしょう。

 事故を減らしていくためには、大学や医師の役割が重要になります。教員養成大学や体育大学で子どもの安全をより重視したカリキュラムをつくり、安全指導ができる指導者を養成する。そこで学んだスポーツ科学や医学の専門的知識を教育の現場に伝えていくことが課題です。

 柔道はかなり対策が進んできました。1983年からの30年間に学校柔道で118人が命を落としましたが、この3年間の死亡事故はゼロ。障害が残る事例はまだ起きていますが、リスクに目覚めさえすれば事故は減らせます。

 組み体操の危険性はようやく指摘されるようになってきましたが、対策はまだまだです。一部の保護者や先生の意識は変わりつつあり、「組み体操に感動してきたが、そんな危険なことをやらせていたのか」という声も聞きます。

 これまで学校スポーツは、その意義ばかりが強調されて、けがや事故には目が向けられてこなかった。スポーツは時に命にかかわる危険なものだという意識を持つことがまず必要だと思います。

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 うちだりょう 名古屋大学准教授 76年生まれ。専門は教育社会学。学校でのスポーツ事故、転落事故などの研究をもとにウェブサイト「学校リスク研究所」を運営。著書に「柔道事故」。

 ■規律重視は兵士養成のなごり 坂上康博さん

 日本の体育の起源は幕末にさかのぼります。各藩で集団的な訓練方法として西洋的な体育システムを採り入れたのが始まりで、明治以降は軍隊で行われました。

 同時に文部省を中心に学校教育にも体育が導入されます。男子の場合は「兵士養成」という明確な目的があり、その背景には日本人兵士の体格が欧米に比べてひどく劣っているという事情がありました。そこで一等国の「強兵」をつくるため、男子の体格・体力の向上が必須と考えられたんです。

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 <国のための体操> 戦前の学校体育は、科目名は「体操科」でした。これは象徴的で、ずっと体操が中心でした。国家のために国民の身体を管理するという点でも、体操を一斉にやらせるのは効果的でした。集団行動や規律の訓練にもなるので、軍事的な価値を持つようになります。

 やがて西洋式の体操だけでなく「兵式体操」が導入されて、軍隊式の集団訓練が入ってきます。中学校以上では軍事教練と呼ばれ、大正末期の1925年から陸軍現役将校が配属されます。体育の一部として始まった軍事訓練がこのように肥大化していきました。

 女子は明確に違い、「しとやかさ」など良妻賢母の規範に反しない範囲で運動が奨励されました。子どもを産み育てる母体になることが重要で、その基準から見て不適切な運動はさせなかった。

 体操や軍事教練に対し、スポーツや武道は遊戯という扱いでした。昭和に入って共産主義思想に影響される学生が増えると、対応策としてスポーツを思想教導の手段と見なすようになります。健康な身体に健康な精神が宿るという発想です。1931年には「国民精神を涵養(かんよう)し心身を鍛錬する」方法として武道が必修化されます。

 戦後、軍事教練も武道必修も廃止され、体操とスポーツが残った。とりわけスポーツは、民主主義を身につける上で非常に効果があると考えられました。課外の部活も、自治の能力を育てるために奨励された。一方で、兵士養成のために重視された集団性や規律は戦後も生き残ります。目的は、民主的な社会の形成に必要な規律や秩序と大きく変わりましたが、集団行動そのものは残りました。

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 <強制より自発を> 注目すべきことは、特に部活で精神主義や暴力的な指導が目立つようになったことです。それは戦前の遺物というより、戦後になって一般的になったものです。

 戦前の旧制中学・高校や大学の運動部は、エリートたちの自主的な活動という性格が強く、暴力とは無縁でした。戦後になって、軍隊経験をもつ指導者が、短期間で強くするために軍隊のやり方を部活に応用します。兵士養成の方法が、体育本体ではなく部活に、ストレートに入り込んだんです。

 根性主義も戦後の産物です。「根性」が「苦しさに耐えて成し遂げようとする強い精神力」という意味を持ち始めるのは60年代、とりわけ東京五輪前後からです。

 また、集団主義がスポーツとさらに強く結びつき、個人は集団の犠牲になるべきだということが強調される。その考えは小学校の道徳教材として使われた「星野君の二塁打」に典型的に表れています。犠牲バントという監督の指示に背いて二塁打を放った星野君が「りっぱな社会人になれない」と監督に叱られるお話です。

 とはいえ、日本人のスポーツ観が集団主義的、根性主義的だというのも一面的です。国の「体力・スポーツに関する世論調査」で、スポーツを行った理由を聞いていますが、社会人の大半が楽しみや交流のためにやっている。学校の部活とは違うスポーツがずっと別次元で存在し続けており、日本のスポーツが根性主義で一色に染められていたわけではないんです。

 スポーツは本来、強制されるのではなく自発的に行うべきものですが、学校の体育や部活では、どうしても強制が入り込む。日本では、学校を卒業して初めて本来のスポーツのあり方を楽しむようになるという特殊な状況が続いてきました。海外ではスポーツは文化となったが、日本ではそうなっていないと言われるゆえんです。体育とスポーツの区別がいまだにあいまいなことも、こうした日本の状況を示しています。

 (聞き手はともに尾沢智史)

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 さかうえやすひろ 一橋大学教授 59年生まれ。専門はスポーツ史、スポーツ社会学。著書に「権力装置としてのスポーツ 帝国日本の国家戦略」「スポーツと政治」など。

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    −−「耕論:体育で何を鍛えるか 内田良さん、坂上康博さん」、『朝日新聞』2015年02月17日(火)付。

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