覚え書:「戦後70年 世界の教室から:過去を伝える、未来を考える 〈1〉、〈2〉」、『朝日新聞』2015年0月03日(火)付。

5

        • -

戦後70年 世界の教室から:過去を伝える、未来を考える 〈1〉

2015年03月03日

(写真キャプション)写真・図版高校で歴史を教えるエンベル・サディクさんは、第2次大戦の指導者の写真が並んだパソコン画面を生徒たちに見せ、知っている人がいるかを問いかけた=コソボプリシュティナ、喜田尚撮影


 歴史をどのようにして次世代に伝えるのか。何のために歴史を学ぶのか。「過去」を知ることが、「未来」の課題を乗り越える知恵につながる。各国の取り組みを訪ねた。

 ■コソボ 教科書と違う見方も紹介

 ある国の英雄が、隣の国ではテロリストになる。1990年代、フランスほどの広さに約10カ国がひしめくバルカン半島。自民族中心の歴史観が、血で血を洗う紛争に発展した。最後に紛争をくぐり抜けたコソボは2月、セルビアからの独立7周年を迎えた。

 首都プリシュティナ。大きな吹き抜けのある近代的な校舎の一角で、歴史教師エンベル・サディクさん(50)が、日本の高校3年にあたる生徒たちに第2次世界大戦中の指導者たちの写真が並んだパソコン画面を見せ、問いかけた。

 「チトーはどれ?」

 多くの民族を束ねながらナチス・ドイツの占領軍と戦い、後に連邦国家ユーゴスラビアを創設――バルカン半島の20世紀を象徴するその人物を指せた生徒はいなかった。見分けられたのは、自国の多数派であるアルバニア系民族の政治指導者だけだった。

 「では、戦争中の対立を超えた人間同士のつながりを考えよう」。先生の呼びかけに1人が立ち上がり、チトー側の兵士が敵対する民族派兵士に親近感を覚えた事例を紹介した。クラスは事前に副読本から素材を選ぶよう指示されていた。サディクさんは「違う資料にあたれば違う事実が見えてくるね」と応じた。

 民族紛争を経て、各国の歴史教科書は、しばしば互いに食い違う。そんな地域で、サディクさんは「複眼的な歴史教育」を目指す。

 教材は、ギリシャに本部がある国際NGO「南東欧州の民主主義と和解センター」が周辺13国を対象に発行する共通の副読本だ。各国の研究者が、それぞれ違う資料を持ち寄り編集した。

 サディクさんは8年前、和解センターの研修に参加した。自国の歴史についてさまざまな角度の見方を紹介し、生徒たちに考えさせる手法に目を開かされた。

 例えば、コソボオスマン帝国領からセルビア編入された1912〜13年のバルカン戦争。中世コソボを国の発祥の地とするセルビアにとっては「聖地の解放」だが、多数派のアルバニア系住民には、独立を果たしたアルバニアから切り離された「歴史の不条理」だ。サディクさんは「生徒がどう考えるか、討論が重要になる」と言う。

 これまで同様の研修に参加した歴史教師は、コソボ全土の約1100校のうち35校150人にのぼる。

 高校教師ベシム・ハリティさん(38)は紛争当時、セルビアがテロリストと見なすコソボ解放軍兵士だった。そのハリティさんが今、授業で20世紀初めのセルビアの野党指導者が「他民族を圧迫してはならない」とバルカン戦争に反対した演説を取り上げる。

 こうした試みは、セルビアでも広がっている。

 セルビア南部ブヤノバツ。高校教師ヨビツァ・ベリツコビッチさん(55)は2年前から和解センターの副読本を使う。「民族紛争の傷を広げてはならない。歴史教育は、穏やかなものであるべきだ」と話す。

 ただ、紛争で再出発した各国にとって、歴史は国のアイデンティティーそのもの。コソボでは独立を否定する素材は受け入れられず、歴史教育の修正は政治的に微妙な問題だ。推進役のコバチ和解センター事務局長は「急がず、一歩一歩進めたい」と言う。(プリシュティナ=喜田尚)

 ■オーストラリア 入植と先住民、論争半世紀

 私たちの国は、誰がつくったのか。自国史の根本を問うような論争が、英国の植民地から独立したオーストラリアで半世紀も続いている。政権交代で右派と左派が代わるたびに、先住民と入植者の扱いをめぐる「揺り戻し」が繰り返されてきた。

 最初の揺れは1960〜70年代から始まった。72年には23年間続いた保守から労働党へ政権が交代。歴史の授業では「豪州大陸で何万年も前から暮らしていた」と先住民アボリジニーが取り上げられるようになり、入植者による過去の虐殺や土地収奪に光が当てられた。急な変化に、教える側にも戸惑いが広がった。

 今度は96年に保守連合を率いたジョン・ハワード氏が首相に就任すると、「英国人の入植は豪州にベストな出来事だった。誇りを取り戻させろ」と、歴史教育の見直しを命じた。「負の歴史ばかり強調しても、子供の将来のためにならない」が持論だ。

 労働党が政権に返り咲くと、首相のケビン・ラッド氏は2008年、アボリジニーに対する初めての公式謝罪を議会で行った。その後、各州でばらばらだったカリキュラムも全国で統一され、「先住民の歴史と文化」が盛り込まれた。

 政治の揺さぶりはいまも続く。2年前の政権交代で就任した保守派の教育相は、できたばかりの統一カリキュラムの見直しを命じ、作成時の労働党の教育相は、「教育を使って政治家のイデオロギーを若者たちへ押しつけるのはやめるべきだ」と反論する。

 一方、振り子のように行ったり来たりする展開に、現場の教師たちには、不満がくすぶっている。シドニーの幼小中高一貫の私立校で歴史を教えるマイケル・ニート教諭は、先住民に対する視線について「和解の時代に向かう歴史の流れには議論の余地はなく、私もそう教えている」と話す。「一番悔しいのは、政治家に授業を思い通りにできると思われていること。政権の思惑に左右されずに子どもたちに事実を教え、自力で是非を考えさせる。それがプロの教師だ」(シドニー=郷富佐子)

 ■ポーランド 「加害」と向き合う途上

 東のロシア・ソ連と西のドイツに挟まれ、国土を侵害され続けてきたポーランド。その膨大な被害の記憶を抱く国がいま、自らの「加害」の歴史と向き合う困難の中にいる。

 ワルシャワ中心部の「ポーランドユダヤ人歴史博物館」で昨年10月、常設展示が始まった。ポーランドで暮らしたユダヤ人の千年がテーマ。復元した17世紀のユダヤ教の礼拝所シナゴーグの天井が展示の目玉だ。タッチパネル式のクイズで、子どもたちがユダヤ文化を学んでいた。明るい過去を2時間ほど歩くと、ユダヤ人迫害の暗い歴史が始まる。ナチスだけでなく、ポーランド人によるユダヤ人虐殺事件もあった。

 ただ、「被害国」ポーランドユダヤ人への「加害」が語られるようになったのは2000年からだ。ポーランド北東部の農村イエドバブネで1941年に「村民たちが隣人だった千人以上ものユダヤ人を虐殺した」と歴史家のヤン・グロス氏が告発した。

 だが、ポーランド人には受け入れがたかった。犠牲を払いつつ、市民と軍が抵抗を続けた「被害者」「英雄」という自己イメージが強い。戦後の共産党政権下では、学校で「ポーランド人はユダヤ人を助けた」と教えられてきた。

 一方、告発が議論を呼んだ当時、ポーランドの目前には悲願のEU加盟があり、「欧州共通の価値観」を示すことが重要だった。国は調査に着手。同様の虐殺がほかにもあったとの報告書を発表した。

 それから10年以上が経つものの、教育現場は揺れ続ける。高校で歴史を教えるエバ・ピウニクさん(52)は「負の歴史を学校で扱うのは難しい」と話す。ウロツワフ大学のヨアンナ・ボイドン教授が主要な高校の歴史教科書を調べたところ、イエドバブネ事件が取り上げられたものは一つしかなかった。「この問題を扱うのに抵抗を感じる教師もいる。授業で扱うのはまだ時間がかかる」と指摘する。(ワルシャワ=星井麻紀)

 

 ◆「戦後70年」企画の次回は3月10日付で、戦時中に各地で甚大な被害を生んだ空襲を特集する予定です。企画へのご意見、ご感想をsengo@asahi.comにお寄せください。

 ◇この特集のデザインは下村佳絵、紙面編集は熊田志保が担当しました。
 (19面に続く)
    −−「戦後70年 世界の教室から:過去を伝える、未来を考える 〈1〉」、『朝日新聞』2015年03月03日(火)付。

        • -


http://www.asahi.com/articles/DA3S11629428.html


        • -

戦後70年 世界の教室から:過去を伝える、未来を考える 〈2〉

2015年0月03日

(写真キャプション)写真・図版英西部ブリストルの大学の授業で、思いつく限りの「英国らしさ」を絵に描き、見比べる教職課程の院生たち。「サッカーとビール好き」「皮肉屋」「謙虚」など内容は様々=ブリストル、渡辺志帆撮影
 (18面から続く)

 

 ■イギリス 「価値」押しつけに警戒感

 「『基本的な英国的価値観』とは何だろう。それは教えられるものだろうか」

 2月中旬、英ブリストルのウェスト・オブ・イングランド大学の授業で、ディーン・スマート講師(51)が、歴史の教員を目指す大学院生14人に問いかけた。

 スマート氏が引用したのは、教育省が昨年11月に発行した公立学校向けガイドラインだ。移民などさまざまな文化背景の住民が増える英国で、歴史認識で保守色が強いとされるゴブ教育相(当時)は、各学校に「基本的な英国的価値観」の徹底を求めた。

 政府はこの「価値観」を、民主主義や個人の自由、異なる信仰への寛容の精神などと定義。スマート氏は「多くの人はこれに違和感を感じない。でも皆が同じレンズを通して世界を見ているとは限らない」と注意を促した。

 英国には検定教科書はなく、教材や教え方は教師に多くの裁量を認めてきた伝統がある。スマート氏は、教員が英国的価値観の名のもとに政府の意向に沿い、歴史を多面的にとらえなくなることを懸念する。

 院生のエドワード・ウェストレーさん(22)は「自由や民主主義がいいものだと教えるのではなく、生徒自らが価値を見いだせるように教えたい」と話した。

 国家が公教育に直接関与する土台を築いたのはサッチャー保守政権だ。経済が低迷した1970〜80年代、「強い英国」回帰をめざすサッチャー氏は改革の柱の一つに教育を据え、88年に政府が教育内容を統制するナショナル・カリキュラム(NC)を導入。その後の労働党政権も、英国民としての帰属意識を高める教育を重視した。ただ、授業の具体的な進め方は今も教師たちに一任され、押しつけ型の「愛国心」に対する教師らの警戒感は強い。

 教師らの懸念は、キャメロン政権が11〜13年に進めたNCの改定にも向けられた。政権は、学力試験や政府の学校査察を強め、中央政府による集権的な管理を進めてきた。特に議論を呼んだのは5〜14歳が学ぶ歴史科目の改定案だった。

 ゴブ氏は、英国史の恥部とされた奴隷貿易について、貿易が禁じられた19世紀以降、英海軍は奴隷船を取り締まったと指摘。「英国の際だった役割」は「みんなが誇れるように教えられなければいけない」と発言して、反発を招いた。

 13年2月に発表された改訂案も、目標に「英国人がどう世界に影響を与えたかの物語を理解すること」とうたい、教師らから「愛国的な国民意識歴史教育で注入しようとしている」と批判が噴出。政府は最終案で、従前と大差ない内容に戻さざるを得なかった。

 歴史学者らでつくる団体「ヒストリー・アソシエーション」の教員指導マネジャー、アルフ・ウィルキンソン氏(62)は「歴史を教える目的は『よい英国人』を育てることではない。批判的思考で善悪を判断できる人間を育てることだ」と指摘する。(ロンドン=渡辺志帆)

 ■中国 愛国教育への意識、変化も

 冬休みに入った1月中旬、中国遼寧省瀋陽日中戦争の発端となった満州事変を伝える「九・一八歴史博物館」に、地元の小学生約150人が集まっていた。政府が全国で進める課外教育活動の一環だ。

 児童らは、ジオラマや映像で紹介された日本軍の東北部への進軍や中国人の抵抗活動を見学した。小学4年の女児は「国の恥は忘れちゃいけない」と話した。

 遼寧省の中学校が使う中国史の教科書で、抗日戦争は近代史を扱う1冊の18ページ分。共産党の誕生や国民党との内戦など共産党史が占めるスペースの半分程度だが、校外学習では日本を題材にした内容が多い。「愛国主義と民族精神の教育により効果がある」と、政府が校外学習を推進してきたからだ。

 中国での研究によると、愛国主義教育の転換点は、1989年の天安門事件だった。党は揺らいだ威信の回復を狙い、94年に「愛国主義教育実施要綱」を発表。「近現代史の学習を通じ、共産党による建国の功績」を教えるよう求めた。一方、「民族主義であってはならず、資本主義国を含む世界の文明を学ばねばならない」と排外主義を戒めてもいた。

 だが、ネット利用者の急増や、中国社会の国際化で、民主主義など欧米の価値観が流入。党は04年に出した文書で「敵対勢力が未成年の思想に入り込んでいる」と警戒を強めた。小泉純一郎首相の靖国参拝で、日本の歴史認識を批判する姿勢も鮮明にした。

 ただ、人々は愛国教育を真に受けているだけでもない。瀋陽の30代の会社員は「授業を通じて日本の印象は悪かった。でも、自ら日本について学ぶと意識が変わった」と振り返る。

 一部の学者や記者には「日中関係の肯定的な歴史も伝えるべきだ」「政治性を排した教育をすべきだ」といった声もある。日本のアニメが人気を集め、日本を訪れる中国人が急増するなか、党は愛国教育の手綱を引き締める。昨年12月、教育担当者が戦後70年の重点項目を協議した。「戦時中の英雄物語を宣伝し、党と歩む政治信念を強化する」。これが結論だった。(瀋陽=石田耕一郎)

 ■考えさせる歴史教育を 近藤孝弘・早大教授(歴史教育学)

 歴史教育へのアプローチは国によって様々です。米国はマイノリティーに対する差別、英国は移民問題や独立機運の強いスコットランドなど、国内の多様性を学ぶことを重視します。一方、ドイツやフランスでは、戦火を交えたり占領したりした近隣諸国との関係を学ぶことに、より多くの時間を割いています。他方、中国などのアジア諸国は、ナショナリズムの色彩が強いと言えます。

 日本では、小学校、中学校、高校で計3回、歴史を教えます。小学生で無理なら中学か高校で覚えてほしいという考え方です。「鳴くよ(794年)ウグイス平安京」のように、細かい知識の定着を図るのが日本の歴史教育の特徴です。

 その基本的な方向性は、米英と独仏の中間とも言えますが、国内の多様性、国際関係の学習いずれも物足りない。教科書に朝鮮半島からの渡来人についての記述はあっても、短い。中国や韓国と歴史の共同研究も試みましたが、その成果はまだ限定的です。自分が考える「正しい歴史」を教えようとする姿勢が、相手国のナショナリズムと正面からぶつかってしまい、歴史学習を相互理解の場とするのを難しくしています。

 欧州では歴史の学力観が日本と大きく異なります。歴史を正解として学ぶことよりも、資料や歴史書を読んで歴史認識の多様性を理解し、それをどう表現するかが問われます。たとえば、ドイツの高校では、「ナチスによるユダヤ人らの大量虐殺はなぜ起きたのか」といったテーマを何時間もかけて考えさせます。

 米英独仏に共通するのは、政治教育の一環として、近現代史を重点的に学ばせることです。

 グローバル化に対応するためには、日本が世界やアジアでどういう状況に置かれているかを正しく知ることが重要です。なぜ、アイヌ民族や在日韓国朝鮮人が今のような形で暮らしているのか。なぜ米軍が沖縄に駐留しているのか。いくつかのカギとなるテーマについて様々な歴史学の見解を紹介し、考えさせるような歴史教育が求められています。(聞き手・伊東和貴)
    −−「戦後70年 世界の教室から:過去を伝える、未来を考える 〈2〉」、『朝日新聞』2015年0月03日(火)付。

        • -

http://www.asahi.com/articles/DA3S11629354.html




51

52

Resize1493