覚え書:「今週の本棚:張競・評 『反知性主義−アメリカが生んだ「熱病」の正体』=森本あんり著」、『毎日新聞』2015年03月08日(日)付。

2


        • -


今週の本棚:張競・評 『反知性主義アメリカが生んだ「熱病」の正体』=森本あんり著

毎日新聞 2015年03月08日 東京朝刊

 (新潮選書・1404円)
 ◇素朴な道徳感覚に基づく健全さの指標

 久々にいい書物に出会った喜びに浸ることができた。書名は専門書のような響きがするが、けっして小難しい議論ではない。否、本来、難解な展開になってもおかしくない。しかし、複雑な問題がわかりやすく解き明かされている。その手際の良さはなかなかなものである。

 「反知性主義」の解説書であることには間違いない。だが、結果として、アメリカ社会と文化を徹底的に分析したものになっている。つまりはアメリカ文化論である。汗牛充棟ほどある類書の中で、本書が抜きんでているのは問題の本質を鋭く見抜いたからだ。その本質とはアメリカという国の宗教性である。政治神学や宗教力学はその国と国民をどう形作ったか。建国以来の歴史を振り返りつつ、鮮やかに読み解いている。

 日本では反知性主義といえば、まず思い出されるのは知的寛容にもとづく判断力の欠如であり、理性を拠(よ)り所とする品位のなさであろう。しかし、同じ用語でもアメリカではかなり語感が違う。そもそもその意味と由来は大きく異なっている。

 アメリカでは「反知性主義」という言葉が一九五二年の大統領選挙を背景に生まれた。知的に凡庸な共和党候補アイゼンハワーは、プリンストン大卒のエリートであるスティーヴンソンに圧勝したことから、「知性に対する俗物根性の勝利」と言われた。しかし、反知性主義の温床は早くからあった。

 反知性主義の種を植え付けたのは「信仰復興運動」で、その背景には極度に知性を偏重するピューリタニズムに対する強烈な反発がある。

 大衆だけでなく、知識人もまた同じだ。エマソンは実験や証明など科学の手法を懐疑し、「書物」に代表された知に頼りすぎるのを警戒した。人間は道徳や宗教の真理を直観する能力があると、彼は考えているからだ。思想的に、アメリカの反知性主義は、西欧的な知性に対する自己主張が含まれていると著者は言う。

 一方、アメリカの民主主義は「すべての人は平等に創られた」という独立宣言から出発している。その前提となるのは、ごく普通の市民が道徳的な能力を持っているという平等論である。ここでいう道徳的な能力とはキリスト教的倫理にもとづいているのは言うまでもない。素朴な道徳的感覚は人間に共通に与えられたもので、とりたてて教育を受けなくても、誰もが自然に発揮できると信じられている。大衆民主主義は「衆愚政治」ではなく、特権階級による権力の独占に歯止めをかける力になると考えられている。反知性主義はただの「愚昧」ではなく、反権力主義であり社会の健全さを示す指標である。その文化的経緯がわかれば、女性解放運動も公民権運動もひいてはアメリカン・ドリームの神話も俄然(がぜん)理解しやすくなる。

 アメリカ文化の細部を知る上で、興味深い事実が多く披露されている。政教分離について、日本では非宗教的な社会を作ると理解されているが、アメリカでは世俗化の一過程ではなく、むしろ宗教的な熱心さの表明である。国家を非宗教化することによって、公権力と特定の宗教との結びつきを防げるからだ。

 「小さい政府」は日本で政府予算の抑制という文脈で語られているが、アメリカでは政治ではなく神学に根拠づけられている。己の理性と信仰を唯一の判断の拠り所としているから、地上の制度や組織を絶対視しない。政府の必要性は認めるが、権力はできるだけ小さいほうがいいと多くの国民が考えている。

 アメリカ理解のみならず、日本について考えるときにも大いに示唆を受ける一冊である。
    −−「今週の本棚:張競・評 『反知性主義アメリカが生んだ「熱病」の正体』=森本あんり著」、『毎日新聞』2015年03月08日(日)付。

        • -




http://mainichi.jp/shimen/news/20150308ddm015070016000c.html



21

Resize1527

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)
森本 あんり
新潮社
売り上げランキング: 688