日記:果たして政権暴走の歯止めの役目を果たしているだろうか

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みんなの広場:政権内野党の覚悟はあるのか=無職・73(大阪府富田林市)

毎日新聞 2015年03月01日
 

 はっきりものを言う安倍晋三首相は今や世界の指導者の風格が漂う半面、独裁者のような恐ろしさも感じる。その“隠れみの”となっているのが公明党であるように思う。公明党が与党にいるから大丈夫とたかをくくっている国民も多いだろうが、果たして政権暴走の歯止めの役目を果たしているだろうか。

 弱者の味方のはずの公明党が、非正規労働の拡大など労働環境の低下を招く労働法制や法人減税などの企業優遇策を認めたほか、平和の党を掲げているはずなのに、集団的自衛権の行使、憲法改正(改悪)にも加担しようとしているように思える。消費税の軽減税率導入についても慎重な自民党に抗する覚悟があるのか疑問だ。

 先の衆院選公明党支持者がどれだけ自民党候補の当選に寄与したかを考えると、公明党はもっと支援者の「真の声」を訴えるべきだと私は思う。あくまでも政権内野党としての存在価値を貫き通していただきたいと願うばかりだ。
    −−「みんなの広場:政権内野党の覚悟はあるのか」、『毎日新聞』2015年03月01日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150301ddm005070040000c.html

現実の地方政治において、公明党市町村議会議員の「弱者の味方」として貢献してきた役割を全否定しようとは思わない。ならば投票しようとするのであれば、“支援者の「真の声」を訴えるねき”という「みんなの広場」の主張に、支持者は耳を傾けるべきだろう。

チーム燦然界隈は、その「声」の対等なやりとりを誇り、「お任せ民主主義」「消費者民主主義」を批判してきた。僕は別にその投票は否定しない。しかし、だとすれば、とにかく「勝てばいい」「チーム燦然にいれとけばいい」「それが功徳だw」みたいな外界と隔絶した内向きの論理と隔絶すべきだろう。

内向きの論理とは何か。それは、自分のみたいように現実を解釈するという物語だ。国家(ステート)を超越するところに、宗教の普遍性があるとすれば、動員されて「みたい映画」を消費するスタイルで甘んじるのではなく、自身がどれほど内在的超越に肉薄していけるか、厳しくあれ、という話。

社会大衆党帝国陸軍統制派や革新官僚と迎合していった再現をみるのはきついものがありますよ。「国民にとってよいことはすべて国家が引き受けるという官僚的国家主義への批判の弱さ」こそ唾棄すべき話。

現在進行形はとても「よいこと」ではない訳ですけれども。

本気なら、大衆とともに死ね。

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