覚え書:「ニュースの扉:荻原博子さんと歩く福島の避難解除地区 傷ついたイメージ、克服は高い壁」、『朝日新聞』2015年03月09日(月)付。
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ニュースの扉:荻原博子さんと歩く福島の避難解除地区 傷ついたイメージ、克服は高い壁
2015年03月09日
写真・図版都路の集落を見渡せる丘に立つ荻原博子さん=2日午後、福島県田村市
避難先から帰り、故郷を取り戻す。福島県田村市東部の都路(みやこじ)地区は、その難しさと向き合っている。東京電力福島第一原発の事故から4年。事故前の人口約3千の半数ほどが帰還した集落に、経済ジャーナリストの荻原博子さん(60)と訪ねた。
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そこでは、小売店のちょっとした「過当競争」が起きていた。
JR郡山駅から車で1時間ほど。田畑と山林に囲まれた集落に、新しいコンビニが現れた。国道288号沿いの「一等地」。1月の開店セレモニーに復興副大臣が参加し、メディアも「待望のコンビニ開店」と報じた。
多くの住民は原発事故後に避難を迫られた。20キロ圏は立ち入れなくなり、30キロ圏も「緊急時避難準備区域」に。昨年4月までに避難指示が解かれ、全域の出入りが自由になった。帰還を促そうと、市などはコンビニを誘致。「公共料金が払える。夜間の買い物も便利」と好評だ。
待望のコンビニから数百メートル。地元商店主らが運営する仮設商店「Domo」に客はいなかった。こちらも市が帰還支援にと昨年4月に設けた。地元産米や卵、雑貨が並び、品ぞろえはコンビニに劣らない。荻原さんは「ハム工房都路」製の大ぶりなベーコン(500円)を手に取る。店を見回り「安いですね」とレジの店長に話しかけた。
「コンビニより安く売ってるものもある。でも売り上げが半減した」と店長は嘆く。昨年12月の売上高は147万円。コンビニと客を取り合い、売り上げは月80万円弱に落ち込んだ。
店長は「人がいないので、商売はきつい」と口にした。川魚の漁業組合は休止したまま。シイタケの原木栽培も出荷制限がかかり、地元に工場のあった「ハム工房都路」も移転――。「行政は都合良く『店を出して』と言うけれど、このままだと地元商店は一軒もなくなる」
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店を離れ、荻原さんは言った。「一見、復興が進んでいるように見えても、生活は明らかに変わっています。強制的に過疎化が進まされた感じです」
経済を立て直す手はあるのか。都路町商工会を訪ねた。
経営指導員の村山新二さん(53)は「6次産業化」構想を説明してくれた。地元の鶏卵をスイーツに加工、流通も展開する。ただ「正直、厳しい」という。働き手の確保にめどが立たないからだ。「人がいなければ、企業誘致も難しい」
放射線の「壁」も立ちはだかる。原発付近には、汚染土壌などを仮置きする中間貯蔵施設がある。国道288号も運搬に使われる。「風評も含めてどうなるのか、不安もあります」
荻原さんは「6次産業化の成功には無農薬といった『ブランドイメージ』が大切。ここは放射線という膨大なネガティブイメージをつけられてしまった。克服は容易ではないですよ」。
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昼食をとろうと、「よりあい処 華」を訪ねた。古民家を使い、地元の姉妹が営む食堂だ。
笑い声が絶えない店内。囲炉裏端のテーブルに座布団席。700円の「八彩カレー」を注文した。地元野菜8種を使ったけんちん汁をもとに作る。荻原さんも「おいしい」と絶賛した。
パッチワークやひな人形が至る所に飾られている。店を営む今泉富代さん(67)が指導する手芸サークルのお手製だ。
2012年に仮設住宅の集会所で始め、今はこの店が集いの場になった。サークルから商品も生まれた。都路をもじった「みゃーこちゃん」。1個500円のネコ型クリップだ。ボランティアに来た東京の企業から30個の「発注」を受けた。
「空元気もありますが、いつも笑顔でいようとみんなで言ってるんです」と今泉さん。「たくましいですね」と荻原さんも笑顔になる。「逆境に負けず、器用なおばちゃんたちが頑張ってる。そこに親しみを持ってもらうことが、被災地のブランド戦略になるかもしれません」
(文・高津祐典、写真・関田航)
■荻原の目 無責任な国、民間の力で踏ん張る
国は無責任ですよね。ただ戻されても、どう生活していけばいいのでしょう。東電も慰謝料を打ち切りにして。単に戻ったという事実だけがほしくて、原発事故をなかったことにしようという感じですよね。
かつて私は、国策で満州に送られ、終戦で置き去りにされた人たちを取材しました。その時に「棄民」という言葉を知りました。国が民を踏み台にすることはあってはなりません。
福島のダメージは消えていません。原発事故の前から、都路は過疎化が進むなかで踏ん張ろうとしていました。でも名産になりうるシイタケの原木栽培はできなくなってしまった。
国が復興に本気だったら、例えば環境省を福島に移すといったことを考えると思います。福島のイメージを上げて、雇用を生み出すわけです。そうすれば故郷を離れた人が帰ってみようかという気持ちになるかもしれません。でもそうなっていない。国が本気じゃないのがよく分かったのが、この4年間でした。
戻った人たちは取り残されている。だったら自力でやるしかない、ということなんでしょうね。頼もしいですよ。例えば手芸のおばちゃんたちに、ネットを通じて商品を発注できる仕組みはできないものでしょうか。「佐賀のがばいばあちゃん」みたいなイメージを売り出して。民間の力で何とかするしかないですよ。
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おぎわら・ひろこ 1954年生まれ。経済ジャーナリスト。近著に「貯め込むな! お金は死ぬ前に使え。」(マガジンハウス)。
◆キーワード
<田村市都路> 福島県田村市東部の地区。2005年の町村合併まで「都路村」だった。
震災前の人口は994世帯3001人。昨年12月現在、住民登録は932世帯2679人に減った。うち実際に戻ったのは656世帯1565人と6割弱にとどまる。
都路地区は、原発20〜30キロ圏が緊急時避難準備区域に指定された。2011年9月に解除され、その1年後に東電による慰謝料支払いが打ち切られた。20キロ圏も3月末に打ち切られることになる。
◇「ニュースの扉」は毎週月曜日に掲載します。次回は「福本伸行さんと行くシンガポールのカジノ」の予定です。
−−「ニュースの扉:荻原博子さんと歩く福島の避難解除地区 傷ついたイメージ、克服は高い壁」、『朝日新聞』2015年03月09日(月)付。
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http://www.asahi.com/articles/DA3S11640171.html