覚え書:「松尾貴史のちょっと違和感:『知らなければ問題なし』 把握できない人から金もらっていいのか」、『毎日新聞』日曜版(日曜くらぶ)2015年03月08日付。
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松尾貴史のちょっと違和感
「知らなければ問題なし」
把握できない人から金もらっていいのか
政治とカネの問題がじわじわと不健康な広がりを見せてきた。
西川農林水産大臣が不承不承辞任し、下村文部歌学大臣、望月環境大臣、そして上川法務大臣にさまざま疑惑が取りだされている。今度は安倍総理大臣側にも、補助金交付先から寄付が渡っていたことが発覚した。
予算委員会で「カネまみれ政権」などと言われて気色ばみ、総理大臣が語調を荒げて言い返していたのは、こういうことが発覚したときの布石だったのではと勘ぐりたくもなる。挑発的な物言いをしたり、売り言葉に買い言葉のようなことを言ったり、総理席から「日教組はどうする!」などとヤジを飛ばしたり、なかなか「活発」な状態のようで、そのこと自体の危うさも少なからず感じてしまう。
政治家が知らなかったら罪にならない、という政治資金規正法にも問題があるのではないか。条文にある「知りながら」という言葉を入れたのは、つまりはこういうときのためだったのかと気づかせていただいた。だいたい、国会議員の皆さんは、「政治化がどういう相手から金をもらっているかを把握できない」という状態が正しいとでも思っているのだろうか。把握できない相手から、把握できない組織や団体へカネが渡るという形を禁止するしかないだろう。
「法的に問題ない」と言い逃れているが、法的に問題がなくとも構造的には問題が大きいのではないか。法的に問題がないというなら、法的に問題が見つからなかった小沢一郎議員への攻撃と社会的制裁は一体何だったのか。
大企業や金持ちだけがさらに優遇される社会を構築しようとしている流れも異様だ。出で責められるべきではないが、なんの苦労も知らずに育った皆さんが、高見で高笑いしながらさまざまなルールをいじくっているようにしか見えない。
国にとって一番の骨格となる、権力者に歯止めをかけている憲法すらいじろうとしている。時代に合わなくなった法律は、適正な手続きで適正な内容に変えられるなら、今の形にこだわることはないかもしれない。しかし、今の動きは、明らかに今の憲法が持っている優れた要素を改憲しようとしているようにしか思えないのは、私がぼけているからなのだろうか。
川崎で、13歳の少年が殺害された事件の報道が大きく扱われ、関与していない少年の写真まで拡散し、事実ではない情報が垂れ流されている。一度流れ出した名誉毀損情報やデマは、もしも同じ人物が謝罪、訂正したとしても消えることがない。手軽にネットを通じて、実名や鮮明な顔写真が見られる状態で、しかし新聞記事やテレビのニュースでは「少年」であることを理由に、隔靴掻痒の状態が続いている。隔靴掻痒と書いたのは、見たい、知りたい、というわけではない。見たくなるような前提を整えられてから、そこであえて隠すという状態が気色悪いのだ。
痛ましい事件で、何とも救いのない展開に暗澹たる思いだ。被害者の少年の母親が出したコメントを読むと、どうにもしてあげられなかった沈痛な思いがストレートに伝わってくる。
少年たちが深夜にたむろして酒を飲んだり、だれかが虐殺したりしているのを、地域の大人たちや警察は気づいていなかったのだろうか。子供たちの社会に、暗い闇が広がっているのを、大人は「ないことだ」と思うとして見過ごしているうちに、こんな悲劇が起きてしまったのではないかとも考えさせられる。(放送タレント、イラストも)
−−「松尾貴史のちょっと違和感:『知らなければ問題なし』 把握できない人から金もらっていいのか」、『毎日新聞』日曜版(日曜くらぶ)2015年03月08日付。
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