覚え書:「インタビュー:食と国家 京都大学人文科学研究所准教授・藤原辰史さん」、『朝日新聞』2015年03月24日(火)付。


5

        • -

インタビュー:食と国家 京都大学人文科学研究所准教授・藤原辰史さん
2015年03月24日

(写真キャプション)「納豆、漬けもの、なれずし……。食の文化圏は容易に国境を越えます」=京都市、伊藤菜々子撮影

 国益がぶつかりあう通商交渉で、日本は農業が弱みとされてきた。国内では担い手のいない農地が増えている。耕すとは、食べるとはなんだろう。食と国家の関係は——。台所に権力が介入する恐ろしさを描いた「ナチスのキッチン」の著者、藤原辰史さんは、食べることを通じてつながる多様な社会の力を語る。

 

 ——環太平洋経済連携協定(TPP)をはじめ、日本の通商交渉で農業分野はいつも守りの対象です。

 「私はTPPに反対です。でも推進派は、消極派が懸念している地域社会の崩壊や小規模農家への打撃、農業の環境保全機能の喪失に対する処方箋(せん)を打ち出しています。それが実現可能かどうかは別にして、消極派に比べると、幅広く論点を包摂するしたたかさを感じます」

 「ただ、どちらの立場も国家経済に議論を凝縮しすぎでは。国益の視点からちょっと離れて、農業や食のあり方を考えてみませんか」

 ——そもそもなぜ、TPPに反対なのですか。

 「自由貿易の急速な進展が、遺伝子組み換え作物の生産や輸入の規制を、いま以上に緩和するきっかけにならないかと心配しています」

 ——自然界に存在しない品種をつくり、生態系や人間の健康に影響を与える恐れが指摘されていますね。

 「それだけではありません。種子の問題です。生命の情報装置である種子はとても大事です。バイオ企業は種子の遺伝情報の設計によって、特定の農業技術、とくに自社製の農薬を使わせてきました。黙っていてももうかる仕組みともいえますが、種子を通じて社会や地域を均質化させる恐れもある。科学技術の力であらかじめ勝負の決まった見かけだけの競争が増え、古典的な自由貿易競争の枠を超えています。文明史的な挑戦ともいえるでしょう」

 「列強による経済の囲い込み、つまりブロック化が第2次世界大戦をもたらしたという反省が、戦後の自由貿易体制の出発点でした。しかしサイバー時代の到来とともに戦争の概念は近年、大きく変わっています。選抜された少数の種子が多様な在来種を駆逐し、薄く広く静かに土壌や食糧、生命を管理・支配する。そんな『生態学帝国主義』に、新しい戦争の姿を見る思いがします」

 ——種の戦争、ですか。

 「米不足に悩む戦前の日本も、稲の品種改良による植民地での増産を推進しますが、朝鮮では肥料代が上昇し農民の生活が困窮しました」

 「日本だけではありません。第1次世界大戦時に食料不足を経験した国々は、多かれ少なかれ食べ物を管理・配分しようとした。そして人の命を左右する食べ物を掌握すると、権力は暴走することがあります」

     ■     ■

 ——スターリン時代の旧ソ連毛沢東時代の中国は、政策の誤りから大量の餓死者を出しました。

 「食べ物を国家や有力者が中央集権的に握る危うさがうかがえます」

 「日本を含め、多くの国で栄養学が普及したのは20世紀初頭。健康な兵士と労働者を育てるためでした。時代は大きく変わりましたが、一つの帰結が、1957年に経済企画庁がまとめた『新長期経済計画』ではないでしょうか。経済成長のためには健康な体が必要で、牛乳、肉、卵などを食べ、動物性たんぱくを摂取しよう、と書かれています。国民の体格を国家が変えていこうという発想です。人々が猛烈サラリーマンとして経済復興に総動員され始める時代です。国家が健康の旗を強くふるとき、私はつい警戒してしまう」

 ——中国の新聞でかつて、中国人は日本人より平均身長が低い、国力が弱いからだ、という記事を読んだことがあります。

 「食や健康は、マッチョな強い国をめざすというナショナリズムにもつながりやすいのです」

 ——著書「ナチスのキッチン」では、台所という日常に介入する国家権力の恐ろしさを指摘しましたね。

 「食べ物は、国家が人々の日常にすんなりと入っていく手段にもなります。ナチス・ドイツの政策に『アイントップの日曜日』があります。秋冬の第1日曜日には、みんなそろって質素な雑炊を食べよう、という官製運動です。浮いた食費は冬の失業者の生活のために募金箱へ、と。問題は、国民全員が同じ日に同じものを食べることに潜む意図です。ヒトラーが強調したのは『一つ』です。『一つの民族、一人の総統、一つの国家』。食べることで一つになり、排他性をうみだす」

 「台所に女性を閉じ込め、食材をむだなく調理させ、強靱(きょうじん)な肉体を持つドイツ兵を支える。そんな国家に奉仕するカリスマ主婦を育てた。機能的なシステムキッチンも、そのために使用が推進されました。ナチスの本当の怖さは、淡々とした日常にぐいっと入り込んで人々の心を動員していく力です。狂信的なナチズムだけでなく、台所を通じて暮らしからにじみ出てくる日常的なナチズムこそが恐ろしい」

 ——日常的な国家主義や排他性は、どこから来たのでしょう。

 「政治的な無関心です。エレナ・ホルンというナチス時代に活躍したカリスマ料理家がいます。彼女の料理本はよく売れました。ナチスの閣僚の妻に序文を寄せてもらった。彼女自身は政治体制がどうであれ、料理の持つ政治や社会的な機能については、ほとんど無関心でした。苦労人だった彼女は、国家のお墨つきをもらって自分の努力が認められ、社会の役に立つことがうれしかった。無自覚のうちに、ヒトラーの『ドイツは一つ』に加担したわけです」

 「食を重要な政策課題にしたナチスの不気味さを研究するなかで、日常にしのびこむ国家主義に対抗できるものは何かと、考えてきました」

     ■     ■

 ——自立した意識を持つ自由な個人を育てることですか。

 「全体主義の前で、一人ひとりは弱いものです。国家にあまり頼らず自由にやりたいという人たちが、身近なところでつながっていく。そんな営みの積み重ねが力を持つのではないか。農業も食べることも、そこからアプローチしたいと考えます」

 ——具体的には。

 「突拍子もなく聞こえるかもしれませんが、公衆食堂です。ごはんとみそ汁だけでもいい。食べ物が商品以上の価値を持つ場所。国籍、身分、年齢を問わず、誰でも安い値段でくつろげる。曲がったダイコンや虫のついたミカンも、格安で手にできる。地域で運営する、個性的な食堂です。食べ物にアクセスしづらい人たちの命綱にもなるでしょう」

 ——子どもたちの食事を地域のNPOが支える「子ども食堂」みたいな感じ? 子どもの貧困が顕在化するなかで、広がりつつあります。

 「子ども食堂は、家族の枠組みを超えて子どもを育てようというのがいいですね。家族の枠に閉ざされると、女性や母親への要求が高くなりがちです。寄り合い的な空間で、みんなで食べて調理して片付けることに、喜びを感じる人は増えています。そこでは、兼業や趣味で細々と育てた作物も扱われやすい」

 ——農業の競争力を高めるとは思えませんが。

 「昭和ひとけた世代が高齢化し、農業を支えた世代が続々と引退しています。まるでワールドカップ出場だけを目標にするように、国際競争力のあるエリート農家が農地を集約して農業を担うというだけでは、農業の将来は展望できません。多様な農業のあり方こそ、景気や災害などさまざまな変動に耐えうる」

     ■     ■

 ——私の実家も兼業農家です。80歳を過ぎた父親の引退後に農地をどうするか、めどがたっていません。

 「担い手対策は詰める必要がありますが、これからの生き方として、兼業は否定すべき形態ではありません。そもそも、やるべき仕事は本当に一つでしょうか。社会的な役割を含め、複数の自分を楽しむ余裕があったほうがいい。男性なら夫であり、父であり、消防団員であり、公衆食堂の料理人でもある。そんなふうに根本から発想を変えて農業に向き合わないと、TPPがどうなろうとも前途は見えてきません」

 「耕すことや食べることの手綱を、自分の手元に引き寄せておく。一人ではできないので、人と人とのつながりを築く。古代ギリシャで市民集会が開かれたアゴラ(広場)では、食材ばかりではなく、調理された食べ物も売られていたそうです。集会から奴隷は排除されていましたが、おいしい香りの漂う『排除なきアゴラ』をつくれないか。食べることは、人が集い、語り、つながりあうための媒介役として、もっともふさわしい。大震災のような緊急事態の食料供給も、国家よりは身近な地域ネットワークが成否のカギを握っていると思います」

     *

 ふじはらたつし 1976年生まれ。専門は農業史、食の思想史。著書に「稲の大東亜共栄圏」「ナチスのキッチン」「食べること考えること」など。
    −−「インタビュー:食と国家 京都大学人文科学研究所准教授・藤原辰史さん」、『朝日新聞』2015年03月24日(火)付。

        • -


http://www.asahi.com/articles/DA3S11666096.html





51

Resize1742


ナチスのキッチン
ナチスのキッチン
posted with amazlet at 15.03.27
藤原 辰史
水声社
売り上げランキング: 56,628


食べること考えること (散文の時間)
藤原 辰史
共和国
売り上げランキング: 12,400