覚え書:「今週の本棚:湯川豊・評 『<持ち場>の希望学』=東大社研、中村尚史、玄田有史・編」、『毎日新聞』2015年03月29日(日)付。

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今週の本棚:湯川豊・評 『<持ち場>の希望学』=東大社研、中村尚史、玄田有史・編
毎日新聞 2015年03月29日 東京朝刊

 (東京大学出版会・3024円)

 ◇釜石市民の「自立」を見続ける決意

 東日本大震災から四年がたった。新聞やテレビでその復興が必ずしも順調でないことが報じられるなかで、あらためて念頭にのぼってくる一冊の本がある。去年の暮れに刊行された本ではあるけれど、どうしても紹介しておきたいという思いが強くなった。

 東京大学社会科学研究所の二人の教授が編集の任にあたっているこの本は、社会の進展をとらえる軸として、社研が「希望学」という視点をつくり出したことがもとになっている。そして希望を実地に考える場所として選んだのが岩手県釜石市で、二○○六年すなわち震災よりずっと以前に地域と一体になった研究が始まり、二○一一年に未曽有の災厄を体験することになった。本書の最大の特徴は、そういう連続性のなかで被災地がとらえられていることだ。

 釜石市は周知のように津波によって壊滅的な打撃を受けた。そこで、希望学は何をつかまえることができたのか。と考えると、希望という指標が試されるのを見る思いもする。

 希望学の基本となる方法は「オーラル・ヒストリー」にある。わかりやすくいえば、当事者たちの聞き書。玄田教授は執筆した序章で、人びとの言葉を記録し、伝えることの重要さを強調している。知り合いの河北新報社の記者に、一番心配していることは何か、と問うと、記者は「忘れ去られることだ」と答えている。それを受けて玄田氏は、「一生釜石を見続けていく」のが、社研の希望学のスタンスなのだ、という。

 主として学者たちが書いたリポートには、もう一つ「持ち場」という視点が用意されている。それぞれの持ち場で、誰が何をしたのか。

 たとえば、市役所の職員、市議会議員(ちょうど市議会開会中だった)、消防団員、企業の責任者、一般市民等が、それぞれの持ち場を自覚するのは最初の五日間を過ぎたあたりなのだが、私が心惹(ひ)かれたのは、地場産業の責任者の動向だった。大津波によって資産の半分を失うような打撃を受けながら、彼らがまっさきに確認したのは社員とその家族の安否であり、次に社員たちにとにかく給与を支払うことであり、その次にいつ、どのように仕事を再開するかがくる。そして金策に駆けまわる。その姿を描くリポートに、私は地方に残っている「会社」社会のあたたかさを目のあたりにする思いだった。

 災害への対応、そして復興への踏み出しの中心になるのは、何といっても市役所の職員であった。市職員の(全員ではないにしろ)職責を越えての異常な奮闘のありさまが、淡々とした聞き書から伝わってくるのには、黙って息をのむしかない。それでも職員たち(約四百人)は、「褒められない人たち」だったのだと、市民とのきびしい関係がとくに一章を立てて語られている。叱られ役、うっぷんの向け所としての職員。それをあまんじて果たした人びとの切ない思いは、やはり大災厄事の一面を語っている。

 一方、津波に襲われながらかろうじて生きのびたふつうの市民は、たとえば「住まい」をどうするかという一事をとっても、どう考えていいかわからぬ心配と屈託があった。相手をした市役所に八つ当たりするしかない、ということになる。それでも前に進むには何が必要か。

 地震発生時の市の防災課長だった佐々木守氏が手記を寄せていて、復興=希望のキーワードは「自立」にある、と言明している。釜石市民の「自立」の行くえをさらに見守り続けたい、と私もまた強く促された。
    −−「今週の本棚:湯川豊・評 『<持ち場>の希望学』=東大社研、中村尚史、玄田有史・編」、『毎日新聞』2015年03月29日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150329ddm015070005000c.html



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