覚え書:「特集ワイド:神山征二郎監督と靖国の桜の下、歩く 「戦ってくれたから」今の平和? ばかを言ってるんじゃない」、『毎日新聞』2015年03月31日(火)付夕刊。


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特集ワイド:神山征二郎監督と靖国の桜の下、歩く 「戦ってくれたから」今の平和? ばかを言ってるんじゃない
毎日新聞 2015年03月31日 東京夕刊

(写真キャプション)神山征二郎監督=東京都千代田区靖国神社で、竹内紀臣撮影

 桜が各地に春の訪れを告げている。終戦から70回目の春。年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず、とは言うが、この変わりようはどうだろう。特攻隊を題材にした「月光の夏」(1993年)などの作品を生み出してきた映画監督の神山(こうやま)征二郎さん(73)と、靖国神社(東京都千代田区)の桜の下を歩いてみた。【樋口淳也】

 よく澄んだ青空と、時折頬をなでる冷たい風が冬の名残を感じさせていた。26日、地下鉄九段下駅から向かった靖国神社の境内は、はかまやスーツに身を包んだ若者たちでにぎわっていた。

 「大学の卒業式があって。記念に桜の名所に写真撮影に来ました。参拝? しません」と明るく答えるスーツの青年がいるかと思えば、黒ぶち眼鏡に片側の髪をそり上げたいかにも「いまどき」の男性2人がじゃれ合っている。

 聞けばともに19歳の専門学校生。「映画『永遠の0』? 冷静に見ました。映画だからヒーローをつくるのは当たり前だし。でもここは現場。もっと暗い所かと思っていたけど意外にフツーでしたね」。初めての参拝もした。一人が「戦争はニュースで見るか、教科書で読むか、映画で見るかぐらい。だけどとりあえず、今の自分がいるのは先祖が頑張ったおかげだから。それへの感謝ですね」と胸を張った。

 参拝する老夫婦らに交じって行き来する若者の姿を、じっと見つめながら神山さんは言う。「(戦死者の)孫とか、ひ孫ぐらいになってきてるんじゃないでしょうか。遺族の方がお参りに来る。多くの兵隊さんが合祀(ごうし)されているのだから、そのこと自体は自然ですよね」

 「ただね……」と表情が少し曇った。「今の若い人たちは、戦争の映画を見て『あの人たちが戦ってくれたから、今の平和があるんだ』っていうようなことをすぐ言うわけ。ばかなことを言ってるんじゃないよって。そんなことを君たちに思ってもらうために映画を作ってるんじゃないと、僕はいつも思ってるんだ」

 1941年の生まれ。終戦の時に4歳だった神山さんに、先の戦争の記憶はほとんどない。ただ、生まれたその日に父が召集令状を受け取り、2度目だった出征にちなんで「征二郎」と名付けられた。衛生兵だった父は九死に一生を得て生還したが、叔父の一人は戦死した。

 これまでにメガホンを取った約30の作品のうち、半数近くは戦争を題材にしている。「月光の夏」は、ベートーベンのソナタ「月光」を弾き、特攻機に乗って出撃した若者たちを描いた。印象的なのはラストシーン。敵艦に突っ込む若者たちそれぞれの顔がアップで映し出される。

 「特攻を描く作品は多くあります。二十歳前後の若い命を犠牲にするわけですから、誰がやっても美しいというか、悲しい。でも、美化するなんて、何をかいわんやですよね。僕は『月光の夏』で、どうしても最後の顔を映したいと思ったんです」。敵の銃撃を受けすでに命果てた者、「おかあさーん」と叫ぶ者−−。神山さんの想像であえて最後の姿を映し出し、戦争の痛みや苦しさを表現した。

 この作品には「振武(しんぶ)寮」も登場する。振武寮は、エンジントラブルなどで生きて帰った隊員をひそかに懲罰的に収容していた施設だ。特攻の非人間的な側面を浮かび上がらせることで、平和の尊さを訴えたかった。

 しかし、そうしたことが今、しにくくなった。ゆっくり歩を進めながら話し出す。「最近よく安保法制の問題が言われますが、終戦50年の95年にはすでに相当露骨だったんですよ」。91年に初めて自衛隊が海外派遣され、翌年国連平和維持活動協力法が成立した。

 「あれから、変化に異を唱える発言や主張に対するガードがすごく強くなってきた。今はもう、脚本が通らないですよ。少なくとも大手では。勇ましい話だったら通るでしょうけど。本当は、当時のソ連満州の国境や南方を転々とし、最後は栄養失調で視力を失いながら生き延びた父の話を映画にしたいという気持ちもどこかにある。けれど、それは結局戦争の悲劇を描くことになる。断られるのが分かっていて企画を持っていくのもつまらない……自己規制しちゃってるんですよね。悔しいけど」。どこか寂しげだ。

 数メートル進むと、再び立ち止まった。記者の目を見つめる。「僕は『国家』が物事を考える軸になってはいけないと思います。なぜなら、国家が苦境に陥ったとき、何としても国家を守るためには軍事力を高めなければ、となる」

 集団的自衛権行使容認へとかじをきる国。神山さんはいずれ必ず犠牲者が出る、と言う。「もし出たときにどうなるか。国家主義的な物の考え方だと『国家に殉じたんだ。ありがとう』、兵隊だから命を失うのは仕方がないとなる。これこそ、僕らが過去に経験してきたことなんですよ」

 ◇世代間ギャップ深く

 神山さんは続けた。「『村山談話』は、日本がアジア諸国に多大な迷惑をかけたと深く反省し、その上で、共に生きていきましょうと言った。ところが、今の政治の中心にいる人たちは50−60歳代。村山富市元首相(91)からすれば30年ぐらいあとの、いわゆる『戦争を知らない子どもたち』なんです。そのジェネレーションギャップをね、私はすごく感じるんです」

 何も政治だけではない。「例えば、サッカー日本代表が、胸に手を当てて君が代を歌う。あれ、考えられないの、僕らの年代では。あの歌を歌いながら旗を振って、よく言えば進出、悪く言えば侵略をしてきた。象徴なんですよ。でも、彼らは何の抵抗感も持っていないんだなって……」

 拝殿に向かって右側に桜の木が密集していた。「同期の桜」に重なる「靖国の桜」だ。花はまだ一部しか咲いていない。「ああ、やっぱり、いい桜ですね。形もいい……」

 近くのベンチに腰を下ろすと意外なことを切り出された。「僕は、実は桜が嫌いだったんですよ」

 「ソメイヨシノが全国に広がったのは、日露戦争の時代と言われている。君が代日章旗とともにソメイヨシノも戦争を鼓舞したシンボル。今もイメージはあまりよくない。これも『ジェネレーションギャップ』でしょうか」

 その声をかき消すかのように桜にはしゃぐにぎやかな声が境内に響いていた。
    −−「特集ワイド:神山征二郎監督と靖国の桜の下、歩く 「戦ってくれたから」今の平和? ばかを言ってるんじゃない」、『毎日新聞』2015年03月31日(火)付夕刊。

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