覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『ルネッサンス史』=西本晃二・著」、『毎日新聞』2015年05月03日(日)付。

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今週の本棚:本村凌二・評 『ルネッサンス史』=西本晃二・著
毎日新聞 2015年05月03日 東京朝刊

 (東京大学出版会・1万2960円)

 ◇芸術・文化を超えた西欧の一大現象

 三十五年前、はじめてローマを訪れ、サンピエトロ寺院の大聖堂に足をふみいれたときの衝撃は忘れがたい。あでやかな装飾がほどこされた柱廊のなかに礼拝堂が立ち並ぶ。その壮麗さはもはやこの世のものとは思えないほどだった。

 十六世紀初め、ブラマンテが着手した大聖堂の建築は、半世紀後にミケランジェロによって今日の形が整ったという。そのころを境に、この壮大な文化運動はアルプスを越えて内陸地域へと広がっていく。

 本書は、イタリア半島のみならずアルプス以北の諸国にまで視野を広げて、ルネッサンスの全体像を描こうとする大作である。おそらく独りの書き手による作品として類書すらない試みであろう。

 イタリアにおけるルネッサンスは、その華やかさに目を奪われがちだが、その始まりには経済、とりわけ商業・金融があった。

 十三世紀後半、すでに商人や船乗り、金貸しや投資家たちが各地に広がっていた。とくにジェノヴァヴェネツィアは大海運勢力にまで成長する。さらに、内陸の都市国家シエーナの金融業者、フィレンツェの有力商会などが勢いづくなかで、詩人ダンテや画家ジョットが登場する。

 ところで、ジェノヴァでは開発した地図・造船・航海術・約束手形・損害保険などの技術を自分や一族だけに活用し都市共同体に役立つようにはしなかったという。これに対して、ヴェネツィアではすべてが共和国政府によって統制されていた。国定の商船が建造され、複式簿記や手形割引のような商慣習も発達する。各地に支店をはりめぐらせる現代の商社まがいのシステムも登場する。

 十四世紀、ペトラルカやボッカッチョの古典発掘が始まるころ、シエーナでは経済的利潤を重視する傾向が強まり、それを背景に美術の黄金時代が出現した。このころフィレンツェの金融業者は英仏百年戦争に深入りし、金融の大恐慌にさらされていた。しかも世紀半ばにはペストがヨーロッパ全体を襲い、フィレンツェの死者は人口の半分におよぶほどすさまじかったという。

 十五世紀には、もともと個人主義的なジェノヴァ人は利益を公共に還元する配慮が足らなかったばかりか、税金のがれに海外に拠点を求めていく。やがて集団主義的なヴェネツィアに地中海の覇権をうばわれていった。ヴェネツィアは後にはカルパッチョティツィアーノらが出て文化の中心にもなった。

 フィレンツェではアルビッツィ家、ついでメディチ家が興隆し、やがて民衆派(ポポロ)を熱狂させメディチ家のコジモが政権をにぎる。孫のロレンツォの時代までに、きら星のごとくボティチェルリ、ラファエルロらが輩出する。

 ルネッサンス期の最後に勢いづくのがミラノでありローマである。それらの時代に万能の天才レオナルド、時代に翻弄(ほんろう)された思想家マキャヴェルリ、ルネッサンスの枠を超えたミケランジェロらが登場する。

 十五世紀末から、ルネッサンスの社会・文化・思想運動はアルプス以北の地域に伝播(でんぱ)する。イタリア半島では都市に住む商人の経済活動に支えられた「経済ルネッサンス」であったが、以北の地では王権主導の改革に市民階級が同乗する「政治ルネッサンス」という趣きがある。

 十五世紀末以来、イタリアの魅力にとりつかれたフランスでは半島を侵攻するイタリア戦役をくりかえす。それがおさまるとカトリックと新教との悲惨な宗教戦争がつづく。服飾・工芸品・建築様式が注目され、非教会系の知識運動であるユマニスム(人文主義)、さらには美術が学ばれた。このようななかで文人ラブレーモンテーニュが現れる。

 ジェノヴァ生まれの航海家コロンブスカスティリアアラゴン両王国の後援で新大陸を発見した。それはスペイン国家とルネッサンスの出発点をなす。やがてフェリーペ二世の時代にカトリック帝国を夢見ながらも実現にはいたらなかった。だが、その後、セルヴァンテス、エル・グレコ、ヴェラスケスらが輩出する。

 イングランドルネッサンスは、十六世紀初頭、派手好みなヘンリー八世の戴冠をもって幕を開けた。力の外交に意欲的な国王はカトリックから分離した国教会さえ作ってしまう。やがてエリザベス一世の王朝は黄金期をむかえる。造形美術ではさしたる成果は出さなかったが、シェークスピアに代表される演劇は世界最高峰をきわめるのだった。

 ドイツのルネッサンスは、イタリア同様、十五世紀末、フッガー家アウグスブルクを本拠に商会を旗揚げした時期と相前後する。人文主義の気風は免罪符を販売するローマ教会への批判に転じたのか、ルターの宗教改革へと連なる。同家は免罪符のドイツ専売権をもっていたという。

 二段組の本文約六百頁(ページ)にわたる叙述はたんたんと進みながらも、西欧とよばれる地域を縦横かつ公平に見つめる意志に貫かれている。これまで芸術や文化に偏りがちなルネッサンス史だったが、その背景に、経済、政治、社会、技術、人口などの生態がひそむことにあらためて驚かされるだろう。
    −−「今週の本棚:本村凌二・評 『ルネッサンス史』=西本晃二・著」、『毎日新聞』2015年05月03日(日)付。

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