覚え書:「今週の本棚:海部宣男・評 『アホウドリを追った日本人−一攫千金の夢と南洋進出』=平岡昭利・著」、『毎日新聞』2015年05月10日(日)付。

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今週の本棚:海部宣男・評 『アホウドリを追った日本人−一攫千金の夢と南洋進出』=平岡昭利・著
毎日新聞 2015年05月10日

 (岩波新書・842円)

 ◇日本近代史の知られざる側面

 広域日本地図を眺めると、尖閣諸島竹島を含めて日本領とされる離島は数多く、太平洋はるかに広がっていることに、改めて驚く。最南端に沖ノ鳥島、最東端に南鳥島。こうした離島のおかげで、日本の排他的経済水域の広さは世界第六位だそうな。明治に至るまで鎖国していた日本、太平洋の無人島をいつの間に領土にしたのだろう。

 地理学者の視点からそんな疑問を抱き、南大東島の調査では明治期の日本人がなぜ島の切り立った断崖をよじ登ってまで「開拓」を進めたのかと不思議に思った著者が、四〇年間にわたって資料を集め、聞き取り調査を行い、本書にまとめた答えが、「アホウドリ」だった。

 いま、鳥島などで絶滅を防ごうと努力が続けられているアホウドリ(「信天翁(しんてんおう)」という別名が心地よい)。昔は、島を埋め尽くすほどだった。人を恐れず、でかい図体(ずうたい)で簡単には飛び立てない。それでその名がついたアホウドリは、歩きながら棒で撲殺し、簡単に“収穫”できたという。これに目を付けた八丈島出身の玉置半右衛門が、一八八八(明治二一)年に東京府から島を借地し、鳥島に多数の人を送ってアホウドリ撲殺事業を開始。巨利を得て、約一〇年後には「信天翁( あほうどり )御殿」を建て長者番付に載る大実業家になった。当時、フランスを中心としたファッションの興隆で、アホウドリの羽、羽毛、剥製が飛ぶようにヨーロッパに売れたからである。アホウドリは金になる!

 玉置に続けと乗り出して日本近海のアホウドリを捕りつくした鳥成金たちは、榎本武揚の「南進論」のもと、豊富な奨励金を得て西は尖閣諸島から東はハワイ諸島まで手を伸ばし、アホウドリを捕りまくった。その過程で、太平洋の無人島は「日本領」になっていった。世界の歴史でも、海外進出の最強の動機は「富」である。一九世紀のアメリカではクジラが太平洋進出の大きな動機で、さらに肥料となる海鳥の糞(ふん)(グアノ)が登場。明治期の日本の「バード・ラッシュ」は、アメリカの「グアノ・ラッシュ」と太平洋でぶつかる局面になったと、著者はいう。

 いっぽう、鳥捕獲事業者が募集して島に送りこんだ雇用人たちは、悲惨な環境にさらされた。無縁仏として島に葬られた人は数多い。ハワイ諸島で一九〇四年に起きた「リシアンスキー島事件」は、事業者による意図的な雇用人置き去りだった。一九〇八年「ハームズ環礁事件」でも、ハワイ当局に日本人が救助されたという。日本人の度重なる密漁、鳥の死骸が覆う島の惨状に、ハワイの反日感情が大いに悪化。鳥が絶滅する懸念もあり、アメリカは強硬策に転換しハワイ諸島の保護策を打ち出した。これが、現在の北西ハワイ諸島の「自然保護区」化につながった。

 それにしても、明治期の日本が生物種の絶滅ということにほとんど関心を持たなかったことに、驚かされる。鳥島アホウドリをほぼ絶滅させた玉置半右衛門は「南洋開拓の模範」ともてはやされた。農業開拓と称して実態はアホウドリの撲殺、嘘(うそ)で固めた報告書など、悪辣(あくらつ)との非難があったにもかかわらず。

 近年の人類社会における感覚の変化は、非常に大きいのだ。そのころは「生態系」の概念も「宇宙船地球号」の旗印も、なかった。してみると現代に生きる私たちも将来、「信じられないような感覚だったんだね」と言われることがあるかもしれない。さて、何についてだろうか?

 近代化を急ぐ日本の歴史の一面に新たなスポットを当て、数々の驚くべきエピソードをちりばめた労作。
    −−「今週の本棚:海部宣男・評 『アホウドリを追った日本人−一攫千金の夢と南洋進出』=平岡昭利・著」、『毎日新聞』2015年05月10日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/m20150510ddm015070039000c.html








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