日記:自分が悲惨な状態にあるとき、さらには、残虐な行為が周りで起きているときでさえ、常に美しさを探し求めていた

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 実際に、現実は狂気に満ちていたからこそ、私の物語は誤った思い出によって一貫したものになったのだ。つまり、私は共有できる一貫性を見つけ出す必要があったのだ。すなわち、あの女性は看護師なのだから、乗り物は当然ながら救急車だったのであり、救急車が発進したのだから、あの将校は心優しいドイツ人だったに違いないと。ところが、それらすべては、まったく事実ではなかったのである。

 子ども、さらには大人からも、自分はこうしたやり方によって苦境から抜け出したと、よく聞かされる。過去を修正するのは、レジリエンス〔へこたれない精神〕を発揮するためであり、そのような観点を取り入れない人々は、自己の物語の虜になって暮らし続けることになる。彼らは、現実の恐怖や心の傷しかみつめないため、不安や苦悩だけを味わうことになる。彼らは、死ぬまで自分の過去の虜になるのだ。一方、しばしば記録文書よりも詳細な印象が交わったそれらの誤った思い出は、表象が修正された証拠であり、だからこそ、その人物は、希望を取り戻せるのだ。
 「全員が下劣な人間というわけではない」
 「必ずなんとかなる。自由になれるかどうかは、自分次第だ」
 見捨てられた子どもの多くは、「自分が悲惨な状態にあるとき、さらには、残虐な行為が周りで起きているときでさえ、常に美しさを探し求めていた」と私に確信をもって述べた。
 恐怖のどん底にあったルワンダでは、人々は詩を書いていた。讃辞の真っただ中に、ルワンダの人々は、村の速記者に会いに行っていたという。いつの日か自分たちの孫たちが、何が起こったのかを読めるように、自分たちが体験した残虐行為を書き取らせるためだったという。
 幸運を生み出す才能のある人は存在する。私は、いつも幸運に恵まれてきたわけではない。あの日、たしかに、私は、幸運に恵まれたといえる。しかし、あの幸運は、私がつくり出したのであり、その幸運を微笑ませたのも私だ。幸運……、そして幸運に私は微笑んだのだ。人生では、そんなことがいつも起こるわけではない。だがあの日、幸運は私に微笑んだのである。
    −−ボリス・シリュルニク(林昌宏訳)『心のレジリエンス 物語としての告白』吉田書店、2014年、83−84頁。

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