覚え書:「今週の本棚:藻谷浩介・評 『君は英語でケンカができるか?−プロ経営者が教えるガッツとカタカナ英語の仕事術』=平松庚三・著」、『毎日新聞』2015年05月17日(日)付。

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今週の本棚:藻谷浩介・評 『君は英語でケンカができるか?−プロ経営者が教えるガッツとカタカナ英語の仕事術』=平松庚三・著
毎日新聞 2015年05月17日 東京朝刊

 (クロスメディア・パブリッシング・1490円)

 ◇グローカル時代体現する変革者

 成田空港で、「ブ」と「ヴ」や、「シ」と「スィ」の区別のついていない英語アナウンスを聞きながら考えた。「タカトシさん」を「タカドジさん」と呼んでは洒落(しゃれ)にならないように、発音の間違いは「恥ずかしい」を超えて「非礼」になることもありうる。国際空港ともあろうものがなぜ、正しく発声できるプロをアナウンス担当にしないのだろうか。

 担当の管理職自身が、自分の耳で音を区別できていないからだろう。日本の英語教育には、英語の10余りの母音と20以上の子音を区別して発音する実技が組み込まれていない。だが、母音が「ア」「イ」「ウ」の3つしかない沖縄弁が聞き取りにくいのと同じで、母音が5、子音が10余りの日本語の発音で英語を話すと、日本人以外にはなかなか通じない。

 というようなことを考えていたら、「いや、問題は発音以前にある」と断言する掲題書に出合った。外国人と英語でビジネスをする場合に必要なのは、英語力以前のコミュニケーションスキルであると、著者は自他の多年の体験をもとに、ぐいぐいと指摘する。英語は単なるツール(道具)であって、それを操ること自体はスキル(能力)などではない。日本語で交渉できない人間は、英語でも交渉はできない。他人の心をつかむ話し方のできる人間、己の非力を悟りつつも向上心を持って食い下がっていく人間は、たとえ英語がヘタでも、外国人の心をつかみ、共感と理解を得ることができるのだと。

 負け惜しみが精神論の皮をかぶって書かれているような本ではない。外国人ボスやハゲタカ株主と無理な話をまとめねばならない数々の修羅場で、著者が英語で切ったタンカ、成功につながったフレーズ、悔しさを込めた捨てゼリフ、心に刺さった相手側の表現。二歩下がっては三歩進むビジネスバトルが、等身大で再現されているのだ。英語と日本語が混ざっている本では、つい横文字部分を読み飛ばしてしまいがちだが、この本の場合には随所にある短いアルファベットの表現にこそ、何とも抗し難い説得力と、そして突き抜けたユーモアが満ちている。

 巻末にある実用フレーズ集を口にしてみるといい。Thanks, but no thanks. (ありがたくお断りします) I don’t think we’re talking about the same thing.(どうも話がかみあいませんね) I’m with you.(同感です) Just let me check that …(…の点だけもう一度確認させてください)

 日本人同士で延々と交わされやすい、誰が主語で、誰が客体で、それをどう判断するのかが一向に明示されない議論とは違った、主語も目的語も動詞も明確な、意思を持った言葉の打ち合い。少々発音が怪しくとも言いたいことは明瞭な、実弾飛び交うこの世界こそ、日本人が避けているわけにいかない、リアルビジネスワールドなのだ。

 大学時代の渡米以来国際企業を渡り歩き、管理職→雇われ経営者→起業家の道を進んできた著者は、もう70歳に近い。現在は自然豊かな群馬県の山中に住み、土いじりや町おこしの手伝いなどもしつつ、新たな企業向けビジネスにも着手している。この本の出版も人生回顧のためではなく、現役実業家としての意図が見え見えだ。グローカル(グローバル+ローカル)の時代を体現するこういう食えないオヤジが、周囲の若者を巻き込み、東京の巨大な日本語ワールドに引きこもる既成政官財界の射程外からこっそりと、日本を変えていく時代なのだと思う。
    −−「今週の本棚:藻谷浩介・評 『君は英語でケンカができるか?−プロ経営者が教えるガッツとカタカナ英語の仕事術』=平松庚三・著」、『毎日新聞』2015年05月17日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150517ddm015070060000c.html



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