覚え書:「こちら特報部:夫・文太さんと沖縄と平和 辺野古基金共同代表 菅原文子さん語る」、『東京新聞』2015年05月21日(木)付。

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こちら特報部

夫・文太さんと沖縄と平和
辺野古基金共同代表 菅原文子さん語る

「今の東京は高層ビルが林立し、アスファルトだらけで好きになれない」と話す菅原文子さん=山梨県北杜市

東京23区の18%が米軍基地だったら…

 沖縄県名護市辺野古への米軍新基地建設に反対する有識者らでつくる「辺野古基金」。共同代表の一人の菅原文子さん(七三)は、昨年十一月に八十一歳で亡くなった俳優菅原文太さんの妻だ。文太さんと同様に沖縄に強い思いを寄せてきた。反対運動について「地方自治を取り戻す闘い」と話す。日本中が立ち上がり、オールジャパンで応援しようと呼びかける。(沢田千秋)

 「五十年近く連れ添うと、多少ふぞろいでも虫や病気があっても良いじゃないの、体に良ければという有機農業風の関係かな」。文子さんは文太さんとの関係を振り返る。「俳優は自分の名かにないものは演じられないと思う。だから、菅原は『トラック野郎』のようなひょうきんな面も、『仁義なき戦い』のような芯の強い面もあった。とにかく単細胞ではなかった」
 二〇〇九年、山梨県北杜市に夫婦と友人らで農業生産法人おひさまファーム竜土自然農園を設立。完全無農薬の農業を営む。
 文太さんは、政治的な話題を好んで口にしていたわけではないという。東日本大震災福島原発事故、特に第二次安倍政権になってからは「戦争の経験のない政治家ほど国民のいのちを危険にさらすことに鈍感だ」と本気で怒るようになった。
 文太さんが亡くなったのは昨年十一月二十八日。その二十七日前、沖縄県知事選に出馬した翁長雄志氏の選挙応援に駆け付けた。「自分から応援に行くと言った。それから間もない日数で亡くなるとは、本人も私も思っていなかった」
 文太さんがスピーチの内容を口答で言い、文子さんが大きな字で書き起こした。文太さんは、そのメモを見ながら、一万四千人の聴衆を前に「沖縄の風土も本土の風土も、そこに住む人たちのものだ。辺野古もしかり。勝手に他国に売り飛ばさないでくれ」と訴えた。鬼気迫る姿に、会場は割れんばかりの拍手と歓声、指笛に包まれた。「さすがだなと思いました」。翁長氏当選の報は病院のベッドで伝えた。文太さんは「ほんと? よかったなあ」と喜んだ。
 文太さんの死後、「死ぬのは怖くなくなった」という。「有機体として見えなくなってしまったけれど、魂はあちこちに偏在していると感じる。この世の義務や虚栄から解放されて、菅原は自由になった。そう思いたい」
 今年四月、辺野古基金の共同代表の打診を受けた。「菅原の遺志を継ぐという気持ちはもちろんあるけど、菅原が生きている間は、自分の振る舞いがファンの意に添わないと迷惑がかかると思い遠慮していた。これからは個人として生きようと思った。共同代表就任は自分で考え、自分で決めた。七十過ぎたらもう怖いものなんてないから」とほほ笑む。
 戦争をいくらかでも経験し、戦後の政治を見てきた者はたぶん誰でも沖縄への思いは強いと思うという。「沖縄では憲法が保障する人権が著しく守られてこなかった」と憤る。「沖縄は一度も自ら土地を指しだしたことはないのに、本島の18%が米軍基地。もし、東京二十三区の18%が基地なら二、三区は占領されて、制空権も奪われ、住宅や病院や学校の上を自由に戦闘機が飛ぶ。そんな状況を想像したことがありますか」。そして「普天間基地の移設にではなく、沖縄に新しい基地を造ることに反対」と強調する。


立ち上がれば子どもや孫助けられる。
地方自治と政権の闘い
国力は市民の民度
 沖縄では、県知事選や国政選挙のたびに反対派が当選し、政権に対し民意を示してきた。「沖縄は自己決定権という地方自治の精神を取り戻す闘いをしている。辺野古問題は、中央集権化を強める安倍政権と地方自治の闘いでもある」と、日本中が関心を抱くよう願う。
 戦後七十年を振り返り、自由・権利を保持する責任を定めた憲法一二条に思いをはせる。「先輩諸賢が心魂を込めて作り上げた憲法を、私たちは『不断の努力』で受け継いできたか。七十年前の日本人の初心を忘れ、繁栄の美酒に酔いしれていたかもしれない」。そう自戒しながら、改憲や安全保障法制の整備を進める安倍政権に危機感を募らせる。
 「積極的平和主義、存立危機事態、重要影響事態なんて聞き慣れない新造語を繰り出して、国民を攪乱しているが、平たく言えば、いつでもどこでも軍事支援ができるようにするということ。国民の平和と安全を軍隊が守らなければならない事態というのは、すでに戦争状態。そういうイリュージョンで国民を脅しだましている」と政権のやり口を非難。メディアに対しても「国民がだまされないように内容のある報道をしてほしい」と求める。
 「戦費は国民の税金。福島原発事故に伴う除染、廃炉事業や南海トラフ地震への備え、それに少子高齢化、人口減少社会が急速に進む中、財源はどうするの。どんな美辞麗句を駆使しても、やっていることは国民の命と財産を軍事同盟国、米国に貢ぐに等しい」と指弾。「いのちの惜しくない老人と、いのちを大切にする女性も、みんなでも立ち上がれば、何とか瀬戸際で子どもや孫たちは助けられる」と呼びかける。
 「市民が政治に無関心のおまかせ民主主義では、安倍政権のような異様な政権が国を動かしてしまう。市民こそが国の主権者であり、国力とは市民たちの民度の高さです」

 文太さん、沖縄に寄り添う 翁長氏応援も

(写真キャプション)県知事選に立候補した翁長雄志氏の総決起大会で参加者の声援に応える菅原文太さん=昨年11月1日、那覇市

 菅原文太さんは以前から、沖縄の問題に強い関心を寄せていた。二〇一〇年八月、基地問題の現実を知ろうと初めて辺野古を訪問。反対運動を続けていた地元関係者らの話に熱心に耳を傾けた。
 その後もたびたび沖縄に足を運んだ。県知事選に立候補した翁長雄志氏の総決起大会では「政治の役割は二つある。一つは国民を飢えさせないこと。もう一つは、これが最も大事で、絶対に戦争をしないこと」と主張。さらに、「アメリカにも中国にも韓国にも、良心の熱い人々はいる。国は違えども同じ人間だ。皆、手を結び合おうよ」と訴えかけた。
 一九三二年に宮城県で生まれた文太さん。戦時中は軍国少年だったといい、この時の体験から、晩年は農業に力を入れる一方、平和の尊さをアピールするようになった。
 一三年十二月に成立した特定秘密保護法や、憲法九条の解釈改憲の動きに強い懸念を示し、反対派の集会に頻繁に出席。「こんな法律が出てくるとは考えもしなかった。国民がこれ以上不幸にならないよう、一人一人がよく考えないといけない」「戦争は暴力。戦争反対の気持ちを今日明日で終わらせることなく一緒に闘い続けよう」と語りかけた。
 脱原発の立場も鮮明にし、一一年十一月の本紙の取材に「どちらかというと無関心だったが、福島の事故で変わった。やめた方がいい。科学によってつくられたものが無謬であるはずがない」と話していた。(上田千秋)
[デスクメモ]農園で育ったシイタケは、肉厚でジューシー。焼いてしょうゆをたらしただけで、おいしくいただけた。原発事故の影響で優良な原木が足りなくなっていると聞く。当たり前と思っていた幸せが、あっという間に暗転する。護る努力を怠れば、平和もどうなるか分からない。シイタケを味わう喜びも。(国)
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