覚え書:「特集ワイド:ベトナム戦争終結40年 最前線のカメラマン、石川文洋さんが見たもの」、『毎日新聞』2015年05月20日(水)付夕刊。

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特集ワイド:ベトナム戦争終結40年 最前線のカメラマン、石川文洋さんが見たもの
毎日新聞 2015年05月20日 東京夕刊

(写真キャプション)石川文洋さんの1966年の作品「大人の戦争を見つめる少女の瞳」=1966年、石川文洋さん撮影

 ベトナム戦争終結から4月末で40年を迎えた。この戦争では、戦火の中で逃げ惑う人々の姿など戦場を生々しく伝える写真が、反戦運動を盛り上げた。まだ写真に、米国を動かす力があったのだ。日本の安全保障政策が転換されようとしている今、カメラマンとしてベトナムを駆け回った石川文洋さん(77)に戦争について聞いた。【藤原章生

 ◇伝えたのはほんの一部

 少女がカメラをじっと見つめる。農村の日常生活を切り取った写真にも見えるが、撮影した石川さんは「おじが米兵に撃ち殺されるまでの一部始終を見ていた農村の少女です」と言う。じっと見つめる暗い目が記憶に残る。武器や兵士は写っていないが、ベトナム戦争を描いた一枚だ。

 空爆で、体が引き裂かれたベトナム人の遺体をうれしそうに引きあげる米兵の写真など、石川さんは前線の作品で世界的に名をはせた。一方、この少女の写真のように、農村で暮らす庶民にレンズを向けた作品も印象深い。

 話を聞いたのは、東京・新宿にある昭和風の喫茶店。再映中の米国のドキュメンタリー映画「ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実」(1974年)を解説するため、自宅がある長野県から上京してきた。

 ベトナム戦争で米国は南ベトナムを支援し、60年代半ば、本格的に戦争に介入した。戦いは次第に泥沼化し、75年4月30日に北ベトナム南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン)を攻め落とし、戦争は終結。国は統一された。犠牲者数は、ベトナム側約300万人、米軍約5万8000人に上った。

 ベトナム戦争では石川さんをはじめ大勢のカメラマンが、戦場の一瞬を切り取った。そして新聞や雑誌に掲載された一枚が人の心を突き、忘れ得ないイメージとして残った。

 痩せた裸の少女が、両手を広げ、絶叫しながら道路を走ってくる。背後には完全武装した米兵がゆったり歩き、少女の脇には、姉や弟か、やはり必死な顔で逃げてくる。

 おそらく最も多くの人の記憶に残るこの一枚は、AP通信のカメラマン、フィン・コン・ウト氏(64)が撮った「戦争の恐怖」で、73年のピュリツァー賞を受賞した。

 もう一枚。川か、沼か。動きの速い泥水につかり、母親が子供と必死に泳いでいく。敵の姿はないが、その表情から、彼らの焦燥、絶望感が伝わってくる。タイトルは「安全への逃避」。撮影したのは、カンボジアで撃たれ早世したカメラマン、沢田教一氏(36−70年)。66年に同じ賞を受けている。

 人の記憶に深く残る2枚はいずれも庶民にレンズを向けている点が興味深い。

 なぜベトナム戦争の写真は強い印象を残すのか。

 「戦争は昔も今も変わらない。コソボでもアフガニスタンでもイラクでも、実態は民間人が犠牲になるんですよ。殺人や残酷な行為の繰り返しです。でも、最前線で自由に撮ることができた点がベトナムの特徴なんです」

 ベトナム戦争当時、米軍の報道管制は、現在よりも緩く、多くのカメラマンが従軍し衝撃的な写真を配信した。

 石川さんは、戦場を撮る動機について「適当な言葉が浮かばないけれど、自分の好奇心、戦場を見てみたいという気持ちですか。撮るより興味が優先しますね」と言う。

 70年4月9日、カンボジア政府軍に外国人が拉致され殺された現場へ別の日本人と行った際、帰りに軍に襲撃されたが、車から田んぼに飛び降り、逃げ切った。

 「なぜわざわざ行ったのか? 特ダネを撮ろうという気はないんです。それだけなら、危ない所には行かない。米国を批判する目のようなものもないことはないんですが、何か違う。戦場での高揚感もありますが、とにかくただ、現場を見たいだけなんです。最近、戦闘が続くシリアに行った人たちの話を聞いたら『自分たちの仕事が戦争の抑止力になれば』って言っていて、偉いなと思いました。そういうのは、なかったから」

 ベトナムで6年暮らした石川さんは撮影者には心の余裕も大事だという。「あの頃、ジャーナリストは現地に一度入ると長くとどまり、サイゴンには各国の報道陣が付き合う世界があったんです。スペイン戦争の時のマドリードにも似た世界があったそうですね。戦場から帰れば、おいしい食べ物やうまい酒があったしね」。息を抜ける場と十分な時間、精神的な余裕があったからこそ、戦場に没入できた、ということだ。

 戦争で瀕死(ひんし)の体験をした作家、開高健氏(30−89年)は講演でこう語ったことがある。

 「もし戦場というものが、伝えることができるならば、戦争はとっくに終わっていて、二度と新しい戦争は起こらないはずだと思いたいんですけれども、何かしら人間の能力を超えたものがあって伝えることができない」

 石川さんも同じように思うと言う。「確かに戦争を伝え切ることは全くできなかったと思うんです。現地で6年間、ずっと見てきましたが、伝えられたのは本当にほんの一部だと思いますね」

 今は動画が中心となったものの、戦場の現実はベトナムのころよりも伝わりにくくなっているのではないかと、感じることもある。

 「ベトナム戦争のころ、日本には戦争を知る世代が残っていましたから、まだ感じる力がありましたが、今は鈍化している。ニュースを見た人が一瞬可哀そうだなとは思っても、心を動かすまでにはならない」

 距離が遠いのか。あるいは社会の感受性が鈍ったのか。

 「戦争を知らない政治家やジャーナリストが増えたのが大きいんでしょう。2003年のイラク爆撃の時、小泉純一郎首相(当時)はいち早く米国を支持しましたが、爆撃の下に子どもがいるという想像力が小泉氏にはないわけですよ。安倍晋三首相も、憲法解釈を変えることで、どんな危険があるのかを、考え切っているとは思えないですね」

 戦場の裏表を見てきた人は、戦争が伝わらないもどかしさを感じている。
    −−「特集ワイド:ベトナム戦争終結40年 最前線のカメラマン、石川文洋さんが見たもの」、『毎日新聞』2015年05月20日(水)付夕刊。

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http://mainichi.jp/shimen/news/m20150520dde012040002000c.html





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