覚え書:「耕論:イエスかノーかの民主主義 國分功一郎さん、北川正恭さん、高村薫さん」、『朝日新聞』2015年06月06日(土)付。

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耕論:イエスかノーかの民主主義 國分功一郎さん、北川正恭さん、高村薫さん
2015年06月06日

 有権者がイエスかノーのどちらかを選ぶ住民投票憲法改正に向けた近い将来の国民投票も取りざたされる中、小差で決まった大阪市の例をみながら、民主主義のこれからを考えた。

 ■トップダウン型、警戒必要 國分功一郎さん(哲学者・高崎経済大学准教授)

 「大阪都構想」をめぐる住民投票では、66%という高い投票率を記録しました。それをメディアが憲法改正をめぐる国民投票の「予行演習」であるかのように位置づけることに強い懸念を抱いています。

 「憲法改正のための国民投票を」という国民的な議論の高まりなど全くありません。一部の政治家が喧伝(けんでん)し、メディアが追随しているだけ。そうして政権に都合のいい方向に世論が誘導されていくのです。

 この数年で国民的な議論が高まった問題といえば、「脱原発」でしょう。実際、東京で原発をめぐる住民投票を求める署名が集められた。ところが都議会が否決、住民が意思表示する機会をつぶしてしまいました。国政では原発をめぐる国民投票など話題にもなっていません。

 政府や議会が主導するトップダウン型の住民投票国民投票には警戒が必要です。為政者は自分たちに都合のいいテーマを、都合のいい時期に持ちだして、投票結果を「政治的な道具」にできるからです。

 たとえば、クリミアの独立をめぐるウクライナ住民投票では、親欧米派政権の誕生後あっという間に投票が行われ、ロシアのプーチン大統領に都合のいい結論が出されました。安倍晋三首相が目指す憲法改正国民投票にも同じ危険を感じます。

 住民投票で重要なのは、住民自身の手によって、ボトムアップで実現することです。投票までのプロセスの中で、一人ひとりが問題を知り、考え、話し合うことが可能になる。2013年に私自身がかかわった、東京都小平市での道路建設をめぐる住民投票もそうでした。

 このときの投票率は35%で、有権者の3人に1人が投票しました。しかし、市長が投票直前に「投票率50%未満なら不成立」とする条例改正案を提案し、議会も同意したため開票されず、公開を求める裁判が今も続いています。首長も議会も、住民主導で物事が決まるのを極端に嫌うのです。

 英国では昨年秋、スコットランドの独立を問う住民投票がありました。否決されましたが、今年5月の英国総選挙でスコットランド地方の投票率は71%と全国平均を5ポイント上回りました。住民投票運動を率いてきたスコットランド国民党も大躍進し、地域で育まれた政治意識の高まりが結果に反映されました。

 英国では選挙期間が1カ月ほどあり、党首のテレビ討論会も何度も行われるため、有権者は政党の態度を見定めてから投票できます。日本の総選挙は期間が12日間と短すぎ、「熟議」がないままムードに流されやすいのが実情です。

 やはりボトムアップの民主主義を育てる制度改革が必要ではないでしょうか。

 (聞き手・諸永裕司)

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 こくぶんこういちろう 74年生まれ。現在、英キングストン大学で在外研究中。著書に「来るべき民主主義」「近代政治哲学」など。

 ■市民意識、社会で育てよう 北川正恭さん(早稲田大学マニフェスト研究所顧問・元三重県知事)

 人口減少時代を迎え、税収が先細っていくなかで、どうしたら自治体は未来を切り開けるのかについて、橋下徹大阪市長が「大阪都構想」を示し、具体的に問題提起をしたことは、大きな意義があったと思います。

 住民投票投票率が高かったのは、大阪の諸問題を市民に気づかせるきっかけをつくり、関心を呼び覚ましたからです。大阪市議会は「このままでは橋下氏にやられてしまう」という危機感が募り、説明責任を懸命に果たそうとした。もともと既存の主要政党は、問題の本質に切り込み、提起する力が弱い。だから統一地方選や昨年の総選挙は盛り上がらなかったのです。

 ただし、僕がダメだなと落胆したのは、橋下氏が反対多数になれば、政界を引退すると最後まで言い続けたことです。「橋下さんはがんばっているのに、かわいそうだ。助けないといかん」。市民のそんな感情に訴える戦術だと映りました。

 民主主義は、人間の業が色濃く反映します。選挙で土下座する候補者がいるのは、人の感情を揺さぶり、票になるからです。しかし、民主主義を鍛えるためには「理性、知性で判断してください」とお願いするのが政治家の筋道です。橋下市長は引退発言でその逆をやりました。感情を揺さぶる手法が広がれば、民主主義は偏った振り子の両端を行ったり来たりするポピュリズムに陥ってしまう。

 引退発言がなければ、反対の投票数はもっと伸びていたと思います。橋下氏が敗れた要因は、変わることよりも、安定感や現状維持を求める時代の空気が強まったためだ、と僕は感じていますから。とくに高齢者は安定感を求めたと思います。

 民主主義は良くも悪くも市民の意識や品格以上のものになりません。日本が1千兆円の借金を抱えているのは、政治家や官僚だけのせいではありません。国民の多くが選挙を通して、その流れを支持したからです。

 民主主義の精度を高めるためには、政治や社会に参画する市民意識を地道に高めていくしかありません。そのためには、欧州で普及している「シチズンシップ教育」を導入し、教育現場で社会への参加意識を養う必要があると考えています。

 知識偏重の偏差値教育の比重を減らして、「公と私」「地域と私」などをテーマに、教師と生徒が互いに考え、議論を深めていくのです。山形県遊佐町では、少年町長と少年議員が議会を開き、政策をまとめ、予算を事業化していますが、素晴らしい取り組みだと思います。

 自分で考え、立場を超えて議論し、理性的に判断する——。そんな市民を社会で育てることが、負担の分配と向き合う時代を民主主義で乗り越えるためには不可欠だと思います。

 (聞き手・古屋聡一)

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 きたがわまさやす 44年生まれ。衆院議員を4期、三重県知事を2期務めた。2003年の統一地方選マニフェスト導入を提唱。早稲田大学名誉教授。

 ■信頼できる議会作りから 高村薫さん(作家)

 住民投票という直接民主主義の手法には、それが機能する適正なサイズとテーマがある。大阪市民ではない大阪府民として、大阪都構想住民投票を脇で見て痛感したことです。

 有権者210万人は多すぎます。住民投票は、横断歩道か歩道橋かというような、生活に身近な「一つのテーマ」について多くて数万人の単位で行うべきもの。大阪市を解体し権限を府と特別区に移すという、どう考えたらいいのか難しい、論点が複数ある問題を全有権者が正確に理解できたとは思えません。財政効果を賛成派は2700億円、反対派は1億円という。どちらが正しいか分かりますか。

 最大の違和感は、選択肢がイエスかノーかで中間がなく、1票でも多い方に決まること。大阪で「今のままでいい」と考えている人はいない。変えなければと思っていても、都構想は困るからと反対票を入れると、結果的に「今のまま」を認めたことになる。このズレは住民投票では全く解消されないんです。

 近い将来に想定される改憲のための国民投票にも違和感があります。まず筋道が違います。歴代内閣が数十年にわたって積み上げてきた憲法解釈を一内閣の閣議決定で覆した後、関連法を成立させて、最後には憲法を変えたいので国民投票して下さいと言われても、それは受け入れられませんよ。

 手続きが正当で論議が尽くされたとしても、違和感は残ります。悩んで悩んで、賛否を決めるしかありません。仮に憲法9条改正のような最終的に人の生き死ににつながるテーマで二者択一の選択を迫られるとすれば、国民には重すぎると思うんです。それは国民の義務でしょうか。何千万人もの有権者が問題を正確に把握し、判断できるでしょうか。私は懐疑的です。

 そうした難しい判断を任せるためにこそ、自分たちの代表を送り出し、政治を託している。事ある時に結果責任を負ってもらえると思うから、彼らが作る法律やルールを国民は守っている。国民に賛否を問い、その声に従っただけだというなら、責任を取る人がいなくなります。

 国の未来を決定づける重大テーマだからこそ、国民投票にかけるというのなら、議会がきちんと機能していることが大前提です。でも、安保関連法案の国会審議のひどさはどうでしょう。

 社会が多様化し、選挙で選出された議員が有権者の意思を代表できない事態は欧米各国でも問題となっていますが、当面は代議制民主主義に代わるものはありません。ならば信頼できる議会をつくるほかはない。まずは身近な地方議会を私たちの手の届くものにする。地方が変われば、やがて国会も変わる。時間はかかっても、これしか民主主義を強くする方法はないと思います。

 (聞き手・畑川剛毅)

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 たかむらかおる 53年生まれ。外資系商社に勤務後、90年に「黄金を抱いて翔べ」でデビュー。93年「マークスの山」で直木賞受賞。近著に「四人組がいた。」
    −−「耕論:イエスかノーかの民主主義 國分功一郎さん、北川正恭さん、高村薫さん」、『朝日新聞』2015年06月06日(土)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11793751.html


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