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今週の本棚:松原隆一郎・評 『シフト&ショック−次なる金融危機をいかに防ぐか』=マーティン・ウルフ著
毎日新聞 2015年06月14日 東京朝刊


 (早川書房・2808円)

 ◇市場安全性神話や重商主義を疑え

 現代の金融システムには、原子力発電と似たところがある。制御するための安全装置や規制は日々進化しており、順調である間は広く世の中に果実をもたらし、稼働自体からも利益が生まれる。ところが利益に目がくらむと安全性が神話となり、暴発する可能性そのものが否定されてしまう。そして途上国ではなく、先進国の中枢で破局的な事故が起きてしまった−−。

 2007年にニューヨークとロンドンを震源地として発生した金融危機は、リーマン・ショックを経て2010年のユーロ危機をもたらした。一連の危機をどう理解し、いかに制御するのか。それは原発事故から何を学ぶのかに似て、およそ知識人とされる人々のモラルや知性を問うている。

 著者マーティン・ウルフは、ロンドンで発行され世界中の金融関係者に読まれる『フィナンシャル・タイムズ主筆スティグリッツ、ソロス、クルーグマン、そして(本文では幾度か酷評される)バーナンキまでが帯で本書を絶賛している。内容もそれにこたえて圧巻だ。

 ウルフの立場は、ひとことで言えば懐疑的自由主義者。「懐疑的」とは知的に謙虚ということ。世界金融危機以降に発表された注目すべき経済書や論文を驚くべき咀嚼(そしゃく)力で読み砕き、論点を整理し、評価する。引用はコーエン『大停滞』、クルーグマン『さっさと不況を終わらせろ』、ラジャン『フォールト・ラインズ』、ラインハート&ロゴフ『国家は破綻する』、サックス『世界を救う処方箋』からピケティ『21世紀の資本』に及び、金融危機の必然性を指摘したバジョット、ケインズハイエクミンスキーら先達についても的確に解説している。酷評されるのは金融システムに楽観的な論者たちだ。

 もちろんウルフは、資本主義を原理的に拒否したりはしない。やはり原発にたとえれば、原理的な反原発主義者ではないが原発に危機をもたらすような環境変化には敏感で、危機は必ずやってくるとみなして規制強化だけでは安全性が保てないと疑うような人である。

 本書は第一部では高所得国・ユーロ圏・新興国の現実(ショック)を分析、第二部で世界金融システムの中核が「メルトダウン」した背景となる変化(シフト)に世界的な過剰貯蓄とグローバル・インバランスがあることを指摘。第三部では解決策を経済思想、金融システム規制、シフトへの対応という順で論じる。

 複雑かつ精密な議論ではあるが、骨子を取り出すとこうなる。アジア金融危機以降、2000年ごろから新興国は危機に備えて外貨準備を積み上げるようになり、資本輸出国に転じた。高所得国の日本やドイツなども含め世界中が過剰貯蓄・輸出超過となり、アメリカなど少数国が資本輸入に回った。しかも現代の金融は自由化により信用・負債・レバレッジを生むマシンと化している。そしてアメリカに輸出された資本は不動産バブルでデタラメな活用がなされた。ユーロ圏でもドイツの過剰貯蓄を資本に、スペイン・ギリシャ等が誤投資し危機が生じた。

 金融緩和だけでなく財政政策が必要で、対応後しばらくして緊縮に転じたのは時期尚早だったと言う。だが問題は、資本輸入国の投資規律だけではない。貸した側の日独・新興国といった過剰貯蓄国も同罪だ。全体としてグローバル経済を改革するしかないのだ、と。

 まったく同感だが、日本で改革というと危機以前と変わらず市場への楽観論や輸出振興ばかりになってしまうのと対照的。市場安全性神話や重商主義こそが懐疑されねばならないのに。(遠藤真美訳)
    −−「今週の本棚:松原隆一郎・評 『シフト&ショック−次なる金融危機をいかに防ぐか』=マーティン・ウルフ著」、『毎日新聞』2015年06月14日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150614ddm015070034000c.html


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