覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『椿姫』=デュマ・フィス著」、『毎日新聞』2015年07月12日(日)付。

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今週の本棚:荒川洋治・評 『椿姫』=デュマ・フィス著
毎日新聞 2015年07月12日 東京朝刊


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 (角川文庫・648円)

 ◇愛のことばの鮮やかな軌跡

 恋愛を書いたものとして、これ以上哀切なもの、美しいものはない。それが『椿姫(つばきひめ)』だとあらためて思う。

 一八四八年、いまから一七〇年前の作品。直訳の題「椿をもつ婦人」では「だれも読む気にならなかっただろう」(本書訳者解説)。一九〇三年、日本最初の長田秋濤(おさだしゅうとう)訳は『椿姫』。みごとだ。『椿姫』は現在、岩波文庫新潮文庫にあるが、この角川文庫は光文社古典新訳文庫(西永良成訳・二〇〇八)の新版。主語と読点の位置などもかなり改まる。『椿姫』決定版とみていい。

 若き美貌の高級娼婦(しょうふ)マルグリットは青年アルマンと出会うことで真実の愛を知るが、青年の父の説得を受け入れて、身を引く。青年は去り、マルグリットはさみしく死んでいく。その悲恋の軌跡を鮮やかに描く。

 ぼくの心にしみるところ。ひとつは、見舞いだ。お互いを知らない段階。マルグリットが病気だと知ったアルマンは、名前も告げず二か月間、回復を知るまで毎日、見舞いに行く。わがままでややこしい性格のマルグリット。愛されたことはあるが、人を愛したことはない彼女の心を動かしたのは、この見舞いだ。好きになることは、なによりもまず相手の健康を祈ること。これに尽きる。「あなたがじぶんではなく、あたしのためにあたしを愛してくれるからなの」ということばは、恋愛をする人にとってはもっとも読みとりにくいものかもしれない。『椿姫』には、心の根幹にかかわる大切なことがたくさん書かれている。惜しみなく書かれている。

 もうひとつは、恋愛の当事者による「論戦」である。以下、二人の対話。一部簡略に。

 「いったいどういう気持ちからなの?」「献身です」「その献身はどこからくるの?」「やむにやまれぬ同情からです」「あたしに、恋しているってこと?」「そうかもしれません。でも、もしそう言わねばならないとしても、それは今日ではありません」「でもそんなこと、けっしておっしゃらないほうがいいわよ」「どうしてですか?」「その告白からはふたつの結論しか出てこないから」

 対話は、どこをとってもきびしい調子のものだが、愛をめぐることばとしてこれ以上ないほど徹底した印象を与える。この論戦は互いの思いと知恵を尽くすものだけに透明度が高い。おそらくいまも、すべての恋愛はここに示されたような対話を十分に体験することなく行われているはず。人の心にほんとうは生まれるものでも、それを知らないまま通り過ぎてしまう。そういう人たちがいるかぎり、『椿姫』は永遠の生命をたもつことになるのだ。

 もうひとつは、さりげないことばにも測り知れないものがあり、その重みがしっかりと書きとめられて、こちらに伝わることだ。アルマンの父の懇願を聞き入れる場面は、何度読んでも胸を打つ。息子の知らないところで話しあうアルマンの父と、マルグリット。息子のこのあとの動きを案じる父に、マルグリットはいう。

 「ああ、ご安心ください。あのひとはきっとあたしを憎むことになりますから」

 このひとことに、たびかさなる対話と、現実の行いを通してアルマンを理解する、マルグリットの心の姿が示されている。すきのない構成。こまやかな、気持ちの波動。ことばと思考のかぎりを尽くす『椿姫』は、ひとつずつ文章をたどると、感動が深い。人を好きになる。そのときも、ひとつずつ見ていくことが大切なのだろう。(西永良成訳)
    −−「今週の本棚:荒川洋治・評 『椿姫』=デュマ・フィス著」、『毎日新聞』2015年07月12日(日)付。

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