覚え書:「機雷掃海任務『米軍の どぶさらい』朝鮮戦争で従事元自衛官」『東京新聞』2015年07月12日(日)付。

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機雷掃海任務 「米軍の どぶさらい」

2015年7月12日 朝刊


(写真キャプション)本紙を手に安保法案について話す信太正道さん=神奈川県逗子市で

 他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案について、政府は「国民の命を守るために必要だ」と繰り返している。他国領域で武力行使はできないとしながらも例外的に「中東・ホルムズ海峡での機雷掃海はできる」とする。これに対し、朝鮮戦争の最中に米軍の要請による機雷掃海の関連任務に携わった元自衛官は「ホルムズでの機雷掃海は日本の自衛とは関係ないのではないか」と疑問視している。 (荘加卓嗣)
 「日本のためというより、『親会社』のような米軍に忠誠を示すためのどぶさらいのようだった」。朝鮮戦争の際、機雷掃海に関する任務に従事した信太(しだ)正道さん(88)=神奈川県逗子市=は当時を振り返る。
 一九五〇年に朝鮮戦争が起きると、米軍は北朝鮮朝鮮半島周辺海域に敷設した機雷の除去を日本に要請。政府は同年十〜十二月、海上保安庁の掃海艇四十六隻と約千二百人からなる日本特別掃海隊を派遣したが、一隻が触雷・沈没。戦後唯一の戦死者を出した。
 その年の春に、海上保安庁の嘱託職員に採用された信太さんが半島沖に向かったのは翌年四月。一通り掃海作業の終わった海面を試験的に航行し、触雷しないかどうかを試す「試航船」に二カ月間乗船した。「戦後の特攻」とも呼ばれる命懸けの任務。乗船したGP1号のGPはモルモットを意味する「ギニーピッグ」の頭文字だった。
 「いつ触雷するか分からず、船上から陸地にいるのが見える兵隊が、敵か味方かも分からず本当に怖かった」
 信太さんらは米軍の厳重な管理下に置かれ、日々将校が乗り込んできては報告を求められた。一方で、戦況に関する情報はまったく与えられなかった。朝鮮戦争は反共の防波堤としての日本を守る意味もあったが、「この任務で日本を守るなんて意識はまったくなかった」と振り返る。
 信太さんは十八歳のとき、旧海軍の神風特攻隊員として出撃基地に汽車で向かう途中に終戦を迎えた。
 日本は朝鮮戦争を機に再軍備の歩みを進め、信太さんの所属も、海上警備隊、警備隊、航空自衛隊と変遷。五七年に空自を辞めた信太さんは五三年に旧ソ連スターリンが亡くなり、脅威が低下するのでは、という隊内の不安感が忘れられない。「出番がほしい。だから努力してでも脅威をつくっていく。冷戦時のソ連自衛隊が存在するための脅威だった」という。
 信太さんは今回の安保法案で安倍政権が持ち出している中国・北朝鮮の脅威やホルムズ海峡での存立危機事態にも似たよう空気を感じる。「旧海軍や自衛隊を経験して分かったのは、『軍隊』というものは国民や国を守るよりも、組織を守ることを優先させるということだ」
 <日本特別掃海隊> 終戦時、日本周辺海域には旧海軍や米軍が敷設した機雷が残っており、連合国軍総司令部(GHQ)の指令で旧海軍軍人らが除去を続けていた。1950年6月に朝鮮戦争が始まると、米軍は朝鮮半島周辺海域の機雷除去を日本に要請。日本国憲法違反の懸念は当時の政府内にもあったが、GHQの指令を根拠として秘密裏に同年10〜12月、海上保安庁の掃海艇46隻と約1200人を派遣。掃海隊は機雷27個を処分したが、1隻が触雷・沈没し、死者1人、重軽傷者18人を出した。亡くなった1人は79年、戦没者叙勲が贈られ、戦死と認められた。
    −−「機雷掃海任務『米軍の どぶさらい』朝鮮戦争で従事元自衛官」『東京新聞』2015年07月12日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015071202000114.html





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