覚え書:「今週の本棚:岩間陽子・評 『戦後日本のアジア外交』=宮城大蔵・編著」、『毎日新聞』2015年08月09日(日)付。

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今週の本棚:岩間陽子・評 『戦後日本のアジア外交』=宮城大蔵・編著
毎日新聞 2015年08月09日 東京朝刊


 (ミネルヴァ書房・3240円)

 ◇冷戦史観の呪縛から距離をおいて考える

 久しぶりに「エコノミック・アニマル」という言葉を思い出した。かつて日本経済の大躍進は、欧米に脅威感を抱かせるほどのものだった。経済活動にしか興味がない日本人を揶揄(やゆ)してこの表現が使われた。しかし本書は、今年70年を数える「戦後」の中に確かな「政治」が存在していたことに、光をあてている。

 アジアと日本の関係を国別・地域別の専門家が語るのではなく、戦後を10年ずつ区切り、それぞれの時代を気鋭の日本外交の専門家に語らせる手法を取ったことにより、本書は戦後日本のアジア外交を、ひとつの物語として語ることに成功した。明治開国から大戦までの導入部も、コンパクトながら明快で有用である。 第二次大戦後アジアは、ナショナリズムに基づく脱植民地化と近代国家化という大変動期を迎え、その過程で多くの内戦や内乱を体験した。これを米国は、むりやり冷戦の文脈に読み込んでいった。反共産主義を表明した陣営を「自由主義陣営」とした結果、多くの権威主義体制を支援する形になってしまった。

 米国の同盟国として冷戦構造に組み込まれた日本は、表面上はアメリカ外交を支持する以外に選択肢がなかった。しかし、現実には日本はアジア政治に幻想を持っておらず、イデオロギーと無関係に、経済発展と社会の安定に寄与することで、親日的な体制を育てようとしてきた。例えばインドシナでは、表面的には米国に追従しつつも、共産化したベトナムとも関係を保ち、中国やソ連の影響力を排除して、ASEANとの仲を取り持つ努力を続けた。米国への配慮から、これらは明確には語られず、しかも経済援助という手法を用いて、大日本帝国の亡霊を呼び覚まさないよう極力低姿勢で行われたため、これまで明白に意識されてこなかった。

 賠償を半ば代替する開発支援と、日本製品のための輸出市場の模索が、戦後初期の日本外交の基底に流れるモチーフであった。当初対日感情の悪かったASEAN諸国では、経済成長と一定の民主化につれて、むしろ「日本モデル」を見習おうという風潮が起こってくる。戦後の対東南アジア外交は、大きな成功物語と言っていいだろう。

 これに対して、東アジアでは同様の戦略が取られたにもかかわらず、親日路線を安定させられなかった。中国問題は、常に日本のアジア外交における最大の課題であった。自民党も外務省も、親台・親韓国派と親中派に分裂し、熾烈(しれつ)な主導権争いが戦われた。中ソ対立と米中接近は、否応(いやおう)なくこの派閥対立を巻き込んでいった。次第に中国に肩入れする米国を前に、佐藤、田中、三木、福田、大平各政権が、いかに厳しい外交的選択を重ねて来たかには息をのむ。関係回復した中国には、議論の末、巨額の円借款をつぎ込む決断が下された。はたして「大平三原則」に意味はあったのか、今後の大平評価を左右するポイントだろう。

 1980年代以降、経済大国となった日本は、「環太平洋構想」を主導していった。しかし、日米経済摩擦の激化と共に、米国への過剰配慮が目立ち始め、日本外交から独創性が奪われて行った気がする。モスクワ・オリンピックのボイコット、対イラン経済制裁など、他に道がなかったのか今後検証されるべきだろう。

 編著者宮城氏の友人でもある細谷雄一氏は、新著『歴史認識とは何か』(新潮選書)の中で、冷戦期の束縛から戦後史を解放する必要を訴えている。本書により、ようやく冷戦史観の呪縛から距離をおいて、日本とアジアの関係をとらえ直す道が開かれたことを、心から歓迎したい。
    −−「今週の本棚:岩間陽子・評 『戦後日本のアジア外交』=宮城大蔵・編著」、『毎日新聞』2015年08月09日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150809ddm015070032000c.html



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