日記:人間として生きていくことは、「政治的である責任を担うこと」でもあると考えますから。
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政治的責任の意味は、未来志向的なところにある。つまり、ひとは、つねにいま、現在生じている出来事に関連して、そしてそれらの未来の帰結に関連して、責任がある。わたしたちは、そのような政治的責任を負う状況にあり、そして、責任があるという事実は、政治的責任をとるべきである、という義務を含意している。もし、不正や罪が、自分自身がその一部であるような制度によって犯されるのを見、あるいは、そのような罪が犯されつつあると信じるならば、そのときわたしたちは、そうした犯罪に反対するよう他者を動かそうとする意図をもって、犯罪に対して声をあげる、そして、よりよい結果を引き出すような制度改革に向けてともに行為する責任がある。この意味において、政治的責任は未来志向的なのだ。つまり、なによりもそれは、政治的である責任を担うことを意味している。
−−アイリス・マリオン・ヤング(岡野八代、池田直子訳)『正義への責任』岩波書店、2014年、136−137頁。
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学問の恩師に今回の立ち上げを遅まきながらご報告。ご心配されているのでは思いお話しましたが「よく立ち上がった!」「いいことしているんだ」と激励されました。正直チキンなので、毎日、心細く折れそうなんですけど、涙がこぼれてしまった。あと、はやく論文仕上げなさいというおまけ付きでしたが…
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2015, 8月 19
安全保障関連法案にNOと声をあげることは理解できる。しかし「なんでお前が立ち上がらなきゃいかんのや」とよく言われますが、誰もいないからでしょ。
人間として生きていくことは、「政治的である責任を担うこと」でもあると考えますから。