覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『ウクライナ日記−国民的作家が綴った祖国激動の155日』=アンドレイ・クルコフ著」、『毎日新聞』2015年08月23日(日)付。

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今週の本棚:沼野充義・評 『ウクライナ日記−国民的作家が綴った祖国激動の155日』=アンドレイ・クルコフ
毎日新聞 2015年08月23日 東京朝刊


 ◆『ウクライナ日記−国民的作家が綴(つづ)った祖国激動の155日』

 (ホーム社・2592円)

 ◇戦火尻目に営まれる暮らし

 最近国際的に俄然(がぜん)注目されるようになったウクライナだが、多くの日本人にとっては依然として縁遠い国のままではないだろうか。二〇一三年一一月、広場に集まった市民たちが始めた抗議活動が原動力になって、翌年二月には親ロシア派の腐敗したヤヌコヴィッチ政権が倒れた。「広場」を意味するウクライナ語から、これは「マイダン革命」と一般に呼ばれている。また、そのヨーロッパ志向から、この運動全体が「ユーロマイダン」と呼ばれることもある。しかしその「革命」に対して、ロシアはすかさず電光石火の早業で、ウクライナ領のクリミアを併合してしまった(二〇一四年三月)。さらにドネツクを中心とする東部ウクライナでも、親ロシアの分離派が活気づいて独立宣言を行い、実質的にロシアの支援を受けながら、ウクライナと事実上の内戦状態をいまだに続けている。

 と、最近の情勢の流れをざっとおさらいしてみたが、そこに生きるウクライナ人は何を考え、どんな生活をしているのか、といった次元のことになると、大部分の日本人にはさっぱりわからない、というのが実情ではないだろうか。その意味では、世界的ベストセラー小説『ペンギンの憂鬱』(新潮社)で日本でもおなじみのウクライナ作家クルコフによる『ウクライナ日記』は、非常に時宜を得た本である。なにしろ、作者自身が自分の意図をこんな風に説明しているほどなのだ。「私はこの本をウクライナのために書いている。この本にはユーロマイダンの期間中の私の日記を載せる。分かりやすい言葉で……この本は、読者の皆さんにとってウクライナがより分かりやすい国になるように書かれているのです」

 クルコフは革命の舞台となったキエフの中心にある「マイダン」からわずか五〇〇メートルのところにあるマンションに暮らし、自宅のベランダからは燃え上がるバリケードの煙が見え、手榴弾(しゅりゅうだん)の裂ける音と射撃音が聞こえたという。本書はいわば革命の現場にいた著者が、マイダン運動が勃発した二〇一三年一一月から、ロシアによるクリミア併合直後の二〇一四年四月までの一五五日間にわたって書き続けた日記をまとめたものである。その意味では緊迫した現地リポートであり、プーチンのロシアに対する強烈な批判となっているのだが、意外に「きなくささ」や政治臭さは少なく、むしろ際立っているのは、そんな非常時にあっても営み続けられている日常生活への穏やかで、時にユーモアさえ感じさせる人間的なまなざしである。

 戦火を尻目に、彼はのどかな田舎の別荘で小説を書く生活を愛しているし、ウクライナの大統領選挙の行方と同じくらい彼にとって大事なのは、その直後に始まる娘の学年末試験のことなのだ。息子に「スターリンレーニン、どっちが良かったの?」と聞かれると、「レーニンさ。スターリンよりずっと先に死んだからね!」と答えるのが、彼の流儀である。

 実はクルコフは、この八月に千葉・幕張で行われた国際学会に招かれて初来日し、「スラヴ文学は国境を越えて−−大砲がうなりをあげるときでも、ミューズは沈黙しない」というシンポジウムでパネリストを務めたばかりである。その後、強烈な好奇心を発揮しながら精力的に東京や京都を歩き回って、市井の日本人と触れ合う彼の姿を見て私は感激した。そう、彼自身が序文で宣言しているように、「続いているのは戦争だけではない。命も、日々も続いているのだ」。(吉岡ゆき訳)
    −−「今週の本棚:沼野充義・評 『ウクライナ日記−国民的作家が綴った祖国激動の155日』=アンドレイ・クルコフ著」、『毎日新聞』2015年08月23日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150823ddm015070014000c.html


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