覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『歴史の仕事場(アトリエ)』=フランソワ・フュレ著」、『毎日新聞』2015年08月23日(日)付。

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今週の本棚:本村凌二・評 『歴史の仕事場(アトリエ)』=フランソワ・フュレ著
毎日新聞 2015年08月23日 東京朝刊


 (藤原書店・4104円)

 ◇欧州を相対化するフランスの知性

 昨今、経済学者のピケティ氏や歴史人類学者のトッド氏の著作が広く読まれている。フランスの知識人は自国文化のもつ世界規模の影響力に無意識になじんでいるのではないか、と思いたくなる。近代社会への突破口を開いたフランス革命の経験という自負心があるのだろうか。二〇世紀後半から知の歩みは英米圏中心に流れがちだったが、西ヨーロッパの中央を占める国はそうやすやすと後退するわけではないのだ。

 さらに、今からすれば、一九七○年代は大きな変わり目だったような気がする。半導体を利用した機器の軽量化が進み、情報獲得の機会が拡(ひろ)がった。いわゆるグローバル化は一九世紀以来の国民国家のあり方を根底から揺るがすものだった。

 一九七○年代フランス、歴史学も大きく変貌しようとしていた。ここでもまたフランスは先陣を切って歩み出す。L・フェーヴルとM・ブロックが切り開いた『アナール』学派は、巨匠F・ブローデルを経て、第三世代が表舞台に登場した。ル=ゴフ、ル=ロワ=ラデュリらの新しい世代が『アナール』誌を率いるようになる。著者フュレもまたこの世代に連なる論客であり、本書の諸論考は変貌する歴史学の姿を生き生きと伝えてくれる。

 この世代のフランス知識人の多くは当初マルクス主義の影響を受けているという。スターリン批判が明らかになるにつれ、いかにしてそこから脱するか、それが彼らの重荷だった。社会と事実を包括的にとらえようとすれば、社会科学は魅惑的であった。統一教義下のマルクス主義も同様に説明する傾向をもっていたのだから。

 そこから、歴史叙述のもとになる古文書は、「史料の塊であることをやめてデータを系列的に構成するもの」となる。人口動態を知るための小教区帳簿、経済活動を解明するための工業・農業統計調査などが篩(ふるい)にかけられ、数量化される。

 また、それはたんなる人口動態だけにとどまらない。結婚と出産回数などのデータを系列化しながら避妊の可能性を考慮すれば、当時の人々の性行動を分析することにもなる。そこには、新たに問いかけることによって、物語をつむぐだけの史料の塊からは窺(うかが)い知れない実態が浮び上がる。つまり「物語史から問題史へ」という変身がおこっている。

 さらに、一八世紀フランスの「書物出版」をめぐる事例もある。出版行政に関する史料によれば、革命前の王政期には公認された特権本と禁書ではない黙許本があった。約四万五○○○冊が対象であるから分類はラフになるが、およその傾向はわかる。特権本と黙許本を通じて歴史、科学と技芸、文芸に関する書物が多い。特権本のなかでは、神学が減り科学と技芸が増える傾向にある。その分野のなかでも、政治書が増えつつあった。黙許本のなかでは、増加した科学と技芸のうち政治書の割合が上昇した。文芸の内部で著しいのは小説が増加したことである。

 出版事情全体を見たとき、啓蒙(けいもう)思想が「権力の野心と幸福のユートピア」を引き受けていたことを示唆すると考えていいのだろうか。

 本書を通じて、著者は、国民、社会、文明をめぐる諸問題に歴史的考察をくりかえす。フランスあるいはヨーロッパを相対化するために、文明としてのアメリカをとりあげる。フランス人トクヴィルアメリカ旅行で観察した「平等主義の情念」とは何か。その歴史への問いかけは絶えず現代に返ってくるのだ。(浜田道夫、木下誠訳)
    −−「今週の本棚:本村凌二・評 『歴史の仕事場(アトリエ)』=フランソワ・フュレ著」、『毎日新聞』2015年08月23日(日)付。

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