覚え書:「【書く人】銃後を描く心に迫る『女性画家たちの戦争』 ジェンダー研究者 吉良 智子さん(40)」、『東京新聞』2015年8月23日(日)付。

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【書く人】

銃後を描く心に迫る『女性画家たちの戦争』 ジェンダー研究者 吉良 智子さん(40)

2015年8月23日


写真
 縦約二メートル、横約三メートル。巨大な二枚の絵に描かれるのは、働いている女、女、女…。田植えをし、魚を捕り、旋盤を回し、銃剣や戦闘機を組み立てる。描かれた労働の数、なんと四十二種類。まるで女だらけの奇妙なユートピアのようだ。
 この不思議な絵は「大東亜戦皇国婦女皆働之図(かいどうのず)」。戦時下の一九四四年、「女流美術家奉公隊」のメンバーだった女性画家ら、のべ約五十人で合作した。徴兵で男性が激減する中、女性が戦時労働にいそしむ「銃後」の絵である。
 「靖国神社遊就館で初めてこの絵を見たとき、大きくてびっくりした。同時に、ああ画家たちはみんな絵を描きたかったんだなと強く感じたんです」
 戦闘の場面を勇壮に描く「戦争画」の作者はほとんどが男性だった。では女性画家はどうしていたのか?−この「皆働之図」の分析を中心に、ほとんど知られていない実態に迫った。
 きっかけは大学の卒論だった。男性画家と比べ、女性画家の資料はほとんど残っていない。「直接話を聞くしかない」と、図書館で女性画家団体の名簿を探し、生存者に手紙を送った。ある人には、戦争協力への批判と誤解されて断られた。だが「歴史を記録するためですね」と何人もが快く応じてくれた。
 調査を進めると「この絵は異質だ」と気付いた。絵を注文したのは陸軍省。「銃後を描く絵の主流が母子像や兵士の無事を祈る女性だった中で、働く女性の力強い姿を描いたこの作品は、図らずして国家秩序に逆らうことになった」。戦争末期の労働力不足で、国家は女性の労働を必要とした。
 だが「産めよ増やせよ」という、家父長制での良妻賢母の理想像も守ろうとした。背景には、少子高齢化で女性の「活用」をうたう現政権に通じる、壮大な矛盾があった。
 戦前・戦中、良家の子女のたしなみだった日本画はまだしも、女性の洋画家は蔑(さげす)みの対象だった。軍部の発注で戦争協力の絵を描くことは、女性画家への社会的認知度を上げ、画材の配給を受ける手段でもあった。
 「女性画家たちは、ひたすら仕事をしたかったのだと思う。自分の役割を全うした結果、戦争協力につながった。戦時中の人々が異常だったわけじゃない。いまの私たちも、ふつうに生活しているだけで戦争への道に加担しているのかもしれないと思うんです」
 平凡社新書・九〇七円。 (出田阿生)
    −−「【書く人】銃後を描く心に迫る『女性画家たちの戦争』 ジェンダー研究者 吉良 智子さん(40)」、『東京新聞』2015年8月23日(日)付。

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