覚え書:「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 「平和」の名の下に 歴史社会学者・小熊英二さん」、『毎日新聞』2015年09月15日(火)付夕刊。


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特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 「平和」の名の下に 歴史社会学者・小熊英二さん
毎日新聞 2015年09月15日 東京夕刊

(写真キャプション)小熊英二・慶応大教授=東京都世田谷区で、内藤絵美撮影


 ◇人々の声、記録し共有を

 「民主主義って何だ?」「これだっ!」。国会議事堂前で毎週金曜日、安全保障関連法案に反対するデモを繰り広げている学生団体「SEALDs(シールズ)」。そのアップテンポなコールを聞いているとつい、若さとおしゃれな雰囲気に目がいってしまう。だけど……。

 「国会前の現象を表面的に捉えては、本質を見誤ります」。東京都内の自宅書斎で歴史社会学者の小熊英二さん(53)が語るのを聞き、はっとさせられた。

 小熊さんは言う。「大学生はこの十数年で確実に貧しくなった。SEALDsのメンバーには、奨学金の借金を600万円も抱えていたり、数百円の電車賃がないためにミーティングに来られない人も多いという。そういう状況をもたらした社会全体の変化に対する不安感を、見なくてはいけません」

 1980年代からデモや抗議行動に参加し、観察を続けてきた小熊さん、今回の若者たちの行動の中に、生活の不安感の高まりを見る。

 「経済が停滞し、将来が見えない。今の政権は、仲間内で全て決めてしまい、法秩序も守ろうとしないようにみえる。そういう政権が、自分たちをどこに連れて行こうとしているのか、大きな不安がある。その状況に対する抗議が、『憲法を守れ』『勝手に決めるな』『民主主義って何だ?』といった声になっていると思います」と語る。

 なるほど、と私は腑(ふ)に落ちた。SEALDsの抗議行動を初めて見た時、当事者の切実さのようなものを強く感じたのはそのためか。

 「経済や社会が安定していた時期は、『自分は困っていないが、遠くにいる誰かを支援する』という運動が多かった。今は、自分自身の日常や未来への危機感から抗議している。福島事故後の脱原発デモもそうでした」

 東日本大震災と福島第1原発事故で、政府への信頼は失墜した。「脱原発デモは最初『東京に放射能が降る』という恐怖心が引き金でした。その後は政府が情報を出さない、満足な対策をしない、世論を無視して再稼働しようとしているといった政治不信が動機になりました」。だからこそ人々は国会や首相官邸前に集まり続けたのだろう。

 「福島事故後は毎年、国会前が人で埋まっている。2012年夏に脱原発、翌13年は特定秘密保護法、14年は解釈改憲閣議決定、今年は安保法制。テーマが違っても、多少の波があっても、この状況は定着した。底流にある『政治が我々を無視している』という感情、つまり代議制民主主義の機能不全が解決していないからです」

 小熊さんはこの夏、自身が監督した記録映画「首相官邸の前で」(19日より東京都内などで公開)を発表した。脱原発デモに参加した男女8人のインタビュー映像と、ネット上で公開されていた官邸前のデモや抗議行動の動画を組み合わせ、編集した。

 8月上旬の先行上映会。観客を前に、映画を製作した理由をこう語った。「この歴史を、人々の記憶に残る形で提示しなければと思った」

 なぜか。改めて尋ねた。

 「当時、あのデモの意味が見えていた人は少なかったし、あまり報道もされなかった。しかしあれは、香港や台湾の運動と比べても劣らない規模の運動であり、それらと並行して起きていた現象です。しかし現象は、どれほど巨大でも、記録し、記憶されなければ、事実の断片でしかない。それでは、未来をつくっていく足場にならない」

 SEALDsのメンバーの中には脱原発デモ当時高校生で、その光景を見ていた大学生もいる。誰かが行動を起こせば、こんなふうに声を上げていいんだ、こんなやり方をすればいいんだ、と別の誰かの行動につながっていく。

 ふと、小熊さんの著書「社会を変えるには」の一節を思い出した。

 <みんなが共通して抱いている、『自分はないがしろにされている』という感覚を足場に、動きをおこす。そこから対話と参加をうながし、社会構造を変え、『われわれ』を作る動きにつなげていくことです>

 8月30日、安保法制への抗議行動としては最大規模のデモが行われた。主催者発表は12万人、警察発表は3万人余り。数の差をめぐって論争が起きている。小熊さんは「数だけが問題ではない。動員されてきた1万人と、本当に訴えたくてきた1000人では、雰囲気がまるで違う。しかしそういうものは、実際に見ないとわからない。だから映画を作ったということもあります」と打ち明ける。

 どんな人に見てほしいですかという凡庸な質問に、小熊さんは、「誰にでも」と答えた。「多くの人に」ではなく「誰にでも」。そして、こう付け加えた。

 「ただしマスコミの人には見てほしいですね」

 安保法制は国民の約8割が「説明が不十分」と各種世論調査に答えているのに、参院採決は目前だ。小熊さんは一連の法案をこう評する。

 「解釈や裁量の余地が広過ぎる。この20年の間に、朝鮮半島有事の準備や、中東での補給、平和維持活動など、違う地域での違う活動のために個別の法制を整備してきた。それらを強引に束ねているから、整合性に無理がある。矛盾を問われると『そのときの政府の裁量で決める』と答える。これでは不安と反発が起きて当然です」

 小熊さんは「採決の行方に関わらず、社会はもう元には戻らない」と考えている。「今さら80年代の繁栄と安定の時代に戻れるわけがない。社会がどんどん変わっているのに、政治の仕組みが変化に追い付いていない。それに抗議したくなったら国会前に行く、という政治文化が定着した。歴史家の目から見れば、社会の合意がない状態で決めた法律は、空文化するか、運用が限定されます。安保条約もそうでした。あの反対運動がなかったら、日本はベトナム戦争に派兵していた可能性が高かったでしょう」

 むしろ案じるのはその先だ。この国の経済状況は、当面改善しそうにない。年金や補助金が減額され、正社員の数がさらに減る世界がおそらく待っている。「ないがしろにされている」と感じる人々の生活の不安や不満は、いずれは治安の悪化や違法薬物の広まりという形で表れるのではないか、と危惧するのだ。

 「だからこそ、人々が自らの意思を持って真剣に声を上げたことを記録し、記憶し、未来への足場として共有していくことが大切なのです。映画がその一助になればと思っています」

 なぜなら、未来の社会を成すために。参院採決の前も、そして後も、まだまだやらなきゃいけないことはあるでしょう、と言われた気がした。【小国綾子】

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 ■人物略歴

 ◇おぐま・えいじ

 1962年、東京生まれ。出版社勤務を経て東大大学院総合文化研究科で博士課程を修了。慶応大教授。「<民主>と<愛国>」など著書多数。近著「生きて帰ってきた男」で小林秀雄賞。
    −−「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 「平和」の名の下に 歴史社会学者・小熊英二さん」、『毎日新聞』2015年09月15日(火)付夕刊。

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