覚え書:「論の周辺:想像力の対極にある「効率」」、『毎日新聞』2015年09月17日(木)付夕刊。

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論の周辺:想像力の対極にある「効率」
毎日新聞 2015年09月17日 東京夕刊

 帯に「自伝的エッセイ」とある村上春樹さんの著書『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング)が刊行された。著者が「語られざる講演録」というように、話し言葉で書かれていて、とても読みやすい。約半分は雑誌『MONKEY』などに発表されたもので、臨床心理学者の故河合隼雄氏に関する章のみは実際の講演録(2013年・京都市)である。

 ただし、書き下ろしの部分を含め、幼少期の秘話のような「自伝」の要素を期待して読むと拍子抜けするかもしれない。あくまでタイトル通り、村上さんが「小説家」としてデビューする前後からの経緯と、折々の思いが中心につづられているからだ。

 とはいえ、世界的に活躍する作家が創作の作法や読書・音楽体験、自作の分析を率直に述べているだけに、読みどころは満載だ。自身が断っているように、これまで部分的には書いたりインタビューに答えたりした内容もある。だが、例えば日本の文壇・文芸評論家への痛烈な批判、1978年4月の神宮球場で「小説が書けるかもしれない」という啓示を受けた瞬間の回想、オリジナルな表現者に必要な条件など、どれも従来になく詳しく描かれている。資料的価値も高い。

 もちろん、この本は第一に村上文学を理解する補助線として、何より楽しんで読まれるべきだ。それを前提としつつも、あえて村上さんの思想というか「批評的まなざし」に焦点を当ててみたい。

 新たに書き下ろされた章の一つ「学校について」には、学校教育体験という形で「自伝」的な記述も比較的多く入っている。両親が教員だった村上さんだが、「学校というものが僕は昔からわりに苦手でした」。本を読むこと、音楽を聴くことなどに比べ、「年号や英単語を機械的に頭に詰め込んで、それが先になって自分の役に立つとはあまり思えなかったからです」。

 高校時代から英語の小説を原文で読み始め、のちには翻訳家としても活躍するようになったが、学校での英語の成績は上がらなかったそうだ。日本の高校の授業は「生徒が生きた実際的な英語を身につけることを目的としておこなわれてはいない」、他の学科も含め「この国の教育システムは基本的に、個人の資質を柔軟に伸ばすことをあまり考慮していない」といった批判は説得力がある。

 問題は教育にとどまらない。同じ傾向は「会社や官僚組織を中心とした日本の社会システムそのものにまで及んでいる」、「『数値重視』の硬直性と、『機械暗記』的な即効性・功利性志向は−−様々な分野で深刻な弊害を生み出している」という。「功利的」システムは(著者が若かった)高度経済成長の時代にはうまく機能したが、今や「役割を既に終えてしまっています」。

 ここで「日本の社会システム」がもたらす弊害を象徴する例に挙げられるのが、11年に起きた福島の原発事故だ。村上さんは14年の本紙インタビューでも関連する発言をしたが、この本では「(原発事故が)致命的な悲劇の段階にまで押し進められたのは、僕が思うに現行システムの抱える構造的な欠陥のため」であり、「システム内における責任の不在であり、判断能力の欠落です。他人の痛みを『想定』することのない、想像力を失った悪(あ)しき効率性です」と明確に論じている。

 「想像力の対極にあるもののひとつが『効率』です」という言葉もある。物語の対極に制度=システムがある、といっても同じだろう。この作家が厳しく指弾するのは、「個としての生き方」を圧殺してしまう社会のあり方だ。その点、村上さんの視座は小説家としてのスタートから少しも変わらないと思った。【大井浩一】=随時掲載
    −−「論の周辺:想像力の対極にある「効率」」、『毎日新聞』2015年09月17日(木)付夕刊。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150917dde014040012000c.html





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