覚え書:「インタビュー:試練のEU 欧州大学院大学学長、ジョゼフ・H・H・ワイラーさん」、『朝日新聞』2015年10月03日(土)付。

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インタビュー:試練のEU 欧州大学院大学学長、ジョゼフ・H・H・ワイラーさん
2015年10月03日

 ウクライナを巡る紛争、ギリシャに端を発したユーロ危機、到来する難民――。相次ぐ難題に直面する欧州連合(EU)の苦悩は深い。危機の本質はどこにあるのか。EUが生き残るには何が必要か。欧州統合論の権威として知られるジョゼフ・H・H・ワイラーさんは、課題が経済ではなく「政治にこそある」と指摘する。

 ログイン前の続き――何十万人もの難民の流入は、EUにとってかつてないほど深刻な問題になってきました。

 「大量の難民が一度に来ることで、欧州に経済的・社会的な危機がもたらされる、と感じるかもしれません。短期的には、人道的な視点から早急に救済する姿勢が重要です。ただ、今回の出来事が持つ側面は、それだけではない。中長期的に見ると、欧州最大の問題は人口の危機にあるからです」

 「欧州の多くの国は今後20年、人口が減り、60歳以上の高齢者の増加と労働人口の減少といった人口構成の変化に悩まされます。これに伴って生産性が落ち、福祉国家を支えてきた税収が減ることは難民問題よりもっと深刻です」

 「従来の選挙を前提とした政治は、この問題を解決できません。人口問題は15年や20年の枠で取り組む課題ですが、選挙政治のサイクルは4、5年だからです。政治家は失業や移民の問題を語っても人口問題には頭が回りません」

 ――難民の到来は、欧州を覆う大きなピンチだと思いましたが。

 「むしろチャンス、贈り物だと言ってもいい。欧州にとって、移民は不可欠の存在ですから。受け入れを表明したドイツのメルケル首相はそれをよく理解している。彼女の判断は、人道的見地からだけでなく、実利的な計算にも基づいています。優秀で教育水準も高いシリア人は、ドイツや欧州にとって有益です。難民に対し、ドイツ企業は大いに期待しています」

 「今必要なのは、難民問題に取り組む欧州レベルの専門機関を設立することです。例えばドイツが難民に市民権を与えると、それは欧州市民権と見なされ、欧州のどの国でも暮らせ、仕事を持てる。市民権と不可分の難民問題は、国レベルで解決できるものではありません。欧州の共通政策が求められるのです」

 「今回の危機は、欧州にとっての予行演習です。移民を受け入れて、今とは異なる新しい欧州に移行するための準備です。欧州が生き残る道は他にありません」

 ――難民にはイスラム教徒が少なくありません。欧州社会との摩擦は起きませんか。

 「イスラムの問題は強調され過ぎです。教育や社会制度を通じて政治的に解決できる課題です。子どもたちが学校に通って、ドイツ語を学んで、2、3世代かかるかもしれませんが。過激派はごく一部に過ぎません。移民を地域に溶け込ます社会統合が重要です。彼らを1カ所に集めた居住地区をつくると問題が起きるのです」

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 ――難民問題が注目を集める前は、ギリシャに端を発したユーロ危機が叫ばれました。

 「重大なのは、共通通貨の行方よりも(欧州統合の前提となる)欧州の市民意識の危機です。市民意識のメカニズムが機能しないと、他の危機を解決するための条件も整わないからです」

 「市民意識は、人と社会との密接な関係に基づいています。他の人々に対して抱く責任感、みんなに対して抱く連帯感、多様な性格を持つ同胞との社会的・政治的つながりを意味しています」

 「ユーロ危機の際に問題だったのは、(ギリシャ救済を巡り)欧州市民の間の連帯感が非常に薄かったことです。どんな危機でも、解決するには、相互扶助の自覚が欠かせません。そのためには、共通の市民意識に基づく政治的枠組みが必要なのです」

 ――現状はどうでしょうか。

 「市民の意識は、公権力との関係と深く結びついています。『政治を自らの手で動かす手段を持っている』と信じることが、市民意識を生むのです。民主主義下で、それは選挙を通じて実現されます。まず『誰が自分たちを統治するのか』。続いて『その政策がどのような方向性を持つのか』。重要なのは、この二つを自分たちの投票で決められることです」

 「ところがEUレベルの民主主義を見た場合、この二つの基本が実現できていない。欧州議会選でどのような投票をしようとも、EUの方針にあまり反映されないのです。欧州議会に直接投票制が導入されて35年後にあたる昨年に実施された選挙で、投票率が過去最低だったのがその証拠です。自分たちの投票が指導者も政策も決められないとわかっているのです」

 「各国の市民同士の関係も失敗例です。ギリシャ問題でも難民問題でも、欧州の北部と南部との連帯感はほとんど見られなかった」

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 ――欧州域内の自由な往来を認める「シェンゲン協定」によって、人や物資の行き来は盛んになりました。交流が進むと理解が深まり、欧州共通の市民意識も育まれるのではないでしょうか。

 「移動の自由、行きたいところに行って暮らす権利は、もちろん重要です。ただ、それを欧州市民意識の中心に置くとおかしなことになる。いつの日かロンドンやフィレンツェで働くことをイメージできるのは裕福な人にとって魅力的です。しかし、そんな移動の自由を享受しているのは、全体の5〜7%に過ぎません。残りの人々にとって、移動の自由は夢でも希望でもない」

 「多くのポーランド人は、ドイツやポルトガルで暮らしたいとは思わないのです。故郷にとどまり、仕事を持ち、家族と過ごしたい。大部分の人々にとって『移動』は失敗の象徴です。雇用がないから他の国に行かざるを得ない、とかです」

 「シェンゲン協定ができても、住んでいる人は変わらない。それなのにEUは四半世紀にわたって、『移動の自由』が欧州市民意識の基軸になると考えてきた。歴史的な誤りです。市民が望むのは、そんなことではない。自らの手でEUを動かし、『EUが確かに自分たちのものだ』という実感を得ることです。それは、欧州各地を自由に移動できることよりも、1千倍も大切です」

 ――何をすべきでしょうか。

 「EUの統治システムの改革です。欧州議会選での投票結果が、強い権限を持つように改めなければなりません。選挙結果がEUの方向性を定め、欧州の運命を決められるようにすべきです。(EUの首相にあたる)欧州委員長を選ぶ際に、欧州議会選の結果を考慮する制度がありますが、これをさらに強化する必要があります」

 「欧州共通の税の導入の可能性を探ることも重要です。税は、貧富の差を埋める道具であると同時に、民主主義を実現させるうえでも有効な道具です。投票よりも効果があるかもしれない。自分が納めた税金が何に使われるか、人々は大いに関心を抱き、それが責任感につながるからです。『代表なくして課税なし』という米独立戦争のスローガンがありますが、欧州にとって今必要なのは『課税なくして代表なし』なのです」

 「もちろん実現は、容易ではありません。でも、まずはそのアイデアを打ち上げなければならない。銀行や保険会社など、金融機関の利益に課税する手法から始めるといいと思います。金融機関は欧州共通市場の誕生によって膨大な利益を得ていますから、正当化もできるのではないでしょうか」

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 ――難民問題、ユーロ危機と並んで、ウクライナ危機も欧州を揺るがせています。

 「EUには、安全保障面でも真剣な取り組みが求められます。何か危機が起きたら米国に頼るのが、これまでの基本でした。それぞれの国は小さな軍隊を持つだけで、真の安全保障上の危機から自らを守ることができないでいた。その結果起きたのが、1990年代のボスニアの悲劇です。第2次大戦の教訓から、宗教マイノリティーへのジェノサイド(集団殺害)は二度とさせないと誓ったはずなのに、繰り返された。コソボで同じことが起きないよう防ごうとした際に、そのための兵力の大部分を出したのは米国でした」

 「米国頼みは軍事面に限りません。人道支援でも、人権擁護の呼びかけでも、米国なしには何もできない。でも、米国の力は、かつてのようなものではありません。欧州独自の安全保障政策を築くのは、差し迫った課題です」

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 <Joseph H.H.Weiler> 1951年生まれ。米ハーバード大教授などを経て2013年からイタリア・フィレンツェの欧州大学院大学(EUI)学長。邦訳著書に「ヨーロッパの変容」。

 ■取材を終えて

 EU加盟国が運営に関わる欧州大学院大学(EUI)は、古都フィレンツェを見下ろす高台の元修道院に入る。この街に花咲いたルネサンス文化、さらには市民革命の経験や繁栄、2度の大戦も共有したはずの欧州の結束が今、グローバル化の中で揺らいでいる。

 歴史や精神的アイデンティティーのみならず、確固たる政治の枠組みが必要だ――。ワイラー氏の言葉をそう読み解いた。様々な試練の中で政治的枠組みを築こうとしたのが、EUの試みだった。その姿が色あせるには、まだ早い。

 (論説委員・国末憲人)
    −−「インタビュー:試練のEU 欧州大学院大学学長、ジョゼフ・H・H・ワイラーさん」、『朝日新聞』2015年10月03日(土)付。

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