覚え書:「今のうち聞かなくては アレクシエービッチさん、ノーベル文学賞 翻訳家・松本妙子」、『朝日新聞』2015年10月14日(水)付。

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今のうち聞かなくては アレクシエービッチさん、ノーベル文学賞 翻訳家・松本妙子
2015年10月14日


スベトラーナ・アレクシエービッチさん=2014年2月、ロイター
 今年のノーベル文学賞に決まったベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチさん。国家の圧力に抵抗しながら一貫して、戦争や巨大原発事故などに翻弄(ほんろう)された民の声を集め、真実に迫ってきた。彼女は何を思い、書き続けてきたのか。代表作『チェルノブイリ祈り』の訳者・松本妙子さんが寄稿した。

ログイン前の続き ■小さき人々の大きな歴史/暗い過去、未来見つめ記録

 19年前、ロシアの新聞「イズベスチヤ」に掲載された記事「チェルノブイリ祈り・事故処理作業者の妻の告白」に出会った時の「これはなんなの!」という衝撃は、いまも忘れられない。チェルノブイリ救援団体企画のスタディーツアーから帰国したばかりの、時差ぼけでぼうっとした頭をいきなりガツンとやられてしまった。

 私は当時アレクシエービッチの名前を知らず、聞き書きという彼女の手法について知る由もなかった。だから、これが事実に基づく話なのか新手のチェルノブイリ小説なのか、一瞬判断がつきかねた。

 物語は「私、ついこの間までとっても幸せでした」という言葉で始まる。そして、全住民が避難させられた村で電線を切って回った夫を亡くした妻の悲嘆と慟哭(どうこく)、なぜ行かせたのかと自分を責める言葉の数々。想像をはるかに超えた悲惨な内容。それなのに不思議な感動があった。あの頃、すでに多くのチェルノブイリ本が出ていたが、あの空の下で生きている体温を持った人間の愛と嘆きの声が聞こえてきたのはこれが初めてだった。

 この記事も収めた、彼女のチェルノブイリの事故に遭遇した人々の証言集『チェルノブイリ祈り』はベラルーシを含む30カ国近くで広く読まれているが、1作目の『戦争は女の顔をしていない』はソ連・ロシアで大ベストセラーになり、現在も版を重ねている。アレクシエービッチは、第2次世界大戦中に戦場で男たちと共に戦った女兵士や従軍看護婦らの証言を集めて歩き、女たちが語るもう一つの戦争の姿を表に出してみせた。語り手の1人が言う。「私たちがいなくなってから作りごとを言わないで。私たちが生きている今のうちに聞いておいてちょうだい」

 アレクシエービッチが40年かけて話を聞きとった相手は、子どもから90歳近いお年寄りまで数千人にのぼる。彼女は「他者の底知れぬ苦悩の淵(ふち)に勇気を奮い起こして飛び込むのはとてもこわい」と明かす。さらに「国家というのは自国の問題や権力を守ることのみに専念し、人は歴史の中に消えていくのです。だからこそ、個々の人間の記憶を残すことが大切なのです」と。

 1人の人間の物語は小さくとも、数千個の小さなピースがジグソーパズルのように組みあわさると1枚の大きな絵ができあがる。それはソ連ソ連崩壊後の時代を生きてきた小さき人々の大きな歴史でもある。戦争や大事故といった暗い過去を掘り起こし記録する作家の目は、常に未来にも向けられている。歴史に埋もれるはずだった市井の人々の声がアレクシエービッチによって丁寧にすくいあげられ、ノーベル文学賞という光に包まれて次世代に受け継がれていくとしたら、こんなにうれしいことはない。

 私ごとであるが、「すごいジャーナリストがいる」と早くから彼女に注目し、『戦争は女の顔をしていない』など3冊の本を訳した故三浦みどりさんと受賞が決まった喜びを分かち合えないのが、とても残念で寂しい。

 (寄稿)

    *

 まつもと・たえこ 1950年生まれ。早稲田大露文科卒。訳書にアレクシエービッチ『チェルノブイリ祈り』『死に魅入られた人びと』など。

 

 ■出版中止・国外移住、書き続ける真実

 アレクシエービッチの著書は5冊、日本語訳されている。

 1985年に旧ソ連で出版された『戦争は女の顔をしていない』(群像社)は、第2次世界大戦に従軍し戦った女性たちの証言を掘り起こしたものだ。ただ、ソビエトの女性のイメージを壊すとして、完成後2年間は出版することができず、ペレストロイカ後に世に出た。同じ85年には、101人の子供の証言で戦争を見た『ボタン穴から見た戦争』(群像社)も出ている。

 89年には、ソ連国民に隠されていたアフガン戦争の帰還兵や戦死者の母親の証言集『アフガン帰還兵の証言』(日本経済新聞社、品切れ)を出して、社会に衝撃を与えた。93年には、社会主義体制の崩壊に耐えられずに自殺した人々の記録『死に魅入られた人びと』(群像社)を出版した。

 ウクライナベラルーシの国境近くで86年に起きたチェルノブイリ事故に関する聞き書き集『チェルノブイリ祈り』(岩波現代文庫)を97年に発表。世界各地で翻訳され、多くの国際的な賞を受けた。しかし、ベラルーシの大統領から非難を受け、国内では一時出版中止に。アレクシエービッチは国外に移住もした。

 (宇佐美貴子)

 <スベトラーナ・アレクシエービッチ> 1948年ウクライナ生まれ。ベラルーシ大学を卒業後、ジャーナリストとして活動を始める。
    −−「今のうち聞かなくては アレクシエービッチさん、ノーベル文学賞 翻訳家・松本妙子」、『朝日新聞』2015年10月14日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12013750.html


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