覚え書:「世界発2015:シリア亡命の詩人 「ノーベル文学賞候補」アドニスさん」、『朝日新聞』2015年10月16日(金)付。

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世界発2015:シリア亡命の詩人 「ノーベル文学賞候補」アドニスさん
2015年10月16日

(写真キャプション)パリの自宅でインタビューに応じるアドニスさん=9月5日、春日芳晃撮影

 ノーベル文学賞の候補として、毎年のように名前が挙がるシリア人の詩人がいる。アドニスさん(85、本名アリー・アフメド・サイード・アスバール)。アラブの伝統詩の形式にとらわれない、自由で革新的な作風で知られる。政治的理由でシリアを離れて60年。亡命先のフランス・パリで、泥沼の内戦で傷ついた祖国への思いログイン前の続きを聞いた。

 ■母国内戦の責任を追及

 9月上旬、記者がパリの自宅を訪ねると、居間のテーブルに新聞の切り抜きがあった。トルコからギリシャへ海を渡る途中、ボートが沈没し、遺体となってトルコの砂浜に漂着したシリア難民のアイラン・クルディくん(3)を報じた記事だった。

 「シリア内戦の犠牲者は、シリア人以外にとってはただの『数字』でしかなかった。この子の記事は、その数字に血肉を与え、初めて同じ人間の物語に変えたのです」

 アサド政権と反体制派の武力衝突が続き、シリア情勢が緊迫した2011年夏、アドニスさんはアサド大統領と反体制派の双方に公開書簡を送り、それぞれの責任を追及した。父子2代、40年余り続くアサド政権が、出身母体のイスラム教少数派のアラウィ派を優遇し、民主社会をつくらなかったことが内戦を招いたと批判したのだ。

 公開書簡に対する返信は大統領からも、反体制派からもなかった。

 シリア内戦は5年目に入った。これまで国内避難民は約760万人、国外へ逃れた難民は約410万人にのぼる。内戦前の人口約2200万人の半数が、故郷を追われたことになる。

 「内戦の当事者はみんな化け物です。戦うべき相手と、絶望的状況に置かれた市民を区別することなく攻撃し、シリアを徹底して破壊しています。誰も擁護する気になれません」

 アドニスさんは今も、シリア国籍を持っている。郷愁にかられることはあるかと尋ねると、しばし沈黙して、こう答えた。

 「祖国を近くに感じるには、その国を離れないといけません。生まれ故郷に住み続けたら、そこがどんな土地か、本当の姿が理解できないのです。私は長い間、故郷を離れています。そして今、かつてないほど身近に感じています」

 ■13歳で詩披露し学校へ

 アドニスさんは1930年、シリア北西部、地中海沿岸ラタキア県の農村カッサビンに生まれた。実家は「非常に貧乏な農家」。両親を手伝って一日中、畑で農作業をしたり、荒れ地で羊を追ったりしていた。ぼろの衣服をまとい、靴は買えず裸足が多かった。

 親の手伝いで学校に通えなかったが、アラブの古典文学が好きだった父の影響で、幼いころから詩に親しみ、自分で詩を作るのが大好きだったという。

 13歳の時、人生の大きな転機を迎えた。後にシリア初代大統領となる有力政治家クワトリ氏がラタキア県を訪れるという知らせを聞き、雨でぬかるんだ山道を裸足で歩いて参加。クワトリ氏をたたえる自作の詩を詠んだ。

 そのできばえを絶賛したクワトリ氏から「君のために何か私にできることがあるかい」と尋ねられた。アドニスさんは「学校に行かせてください」と、即答したという。

 クワトリ氏の後押しを受け、隣県の名門高校に進学。学費は奨学金でまかなった。生徒の大半は裕福な家庭の子どもたち。貧しい身なりのアドニスさんをさげすむ生徒もいたが、「学ぶことができる喜びがあまりに大きく、気になりませんでした」。

 その後、首都のダマスカス大学に進み、哲学を学んだ。卒業後、非合法だった左派系のシリア社会民族党に入り、逮捕された。1年間の獄中生活を終え、56年に隣国レバノンベイルートに逃れた。

 そのころから詩作を本格的に始め、翌年、詩の専門誌を発行。60〜70年代はベイルートを拠点に活動を続けた。そして80年、内戦下のベイルートを後にし、パリに渡った。

 「私には2人の母がいるのです。1人は実母。もう1人は詩。この2人がいなければ、今ここに私は存在しません」

 ■普遍的な作品めざす

 アドニスさんの詩は、アラブの伝統詩の形式に縛られることなく、自由で革新的な作風と評される。

 アラブ文学やアフリカ文学に詳しい片岡幸彦さんは、アドニスさんが影響を受けた詩人として、19世紀のフランスを代表する詩人アルチュール・ランボーと、11世紀のイスラム教徒の盲目詩人マアーリをあげる。

 片岡さんは「アドニスはフランス近代詩の反逆児と心を通わせ、アラブ中世の詩的異端児に学び、西欧近代でもなく、アラブ・イスラムでもない、独自の現代詩の世界を切り開いた」と話す。

 アドニスというペンネームは、フェニキア人の神の名を参考にしたという。アドニスさんは「特定の宗教や民族という集団から解放されたいという願いを込めました」と説明。「偏狭な世界に閉じ込められることなく、人間愛と人間の普遍性に通じる詩を世に送り出したい」と語った。

 (パリ=春日芳晃)

 

 <ほとばしる血 ひとつの夢>

ぼくは夢みる

この声はけっして

ぼくの声になることはないだろう。

きみは手足をのばした死体だ――

ぼくは虐殺された文明からほとばしる血だ

死の炎を 燃え立たせ

死の炎を 冷やしながら。

 <回教(かいきょう)寺院の塔(ミナレット) ひとつの夢>

尖塔(せんとう)は泣いた

外国人が来て、それを買ったとき

そしてその上に 煙突を立てたとき。

 <殉教者>

その人の燃えるような瞼(まぶた)のなかに 夜を見たとき

そしてその人の顔のなかに なつめやしの木々を

また星ぼしを 見つけなかったとき

風のように ぼくは

その人の頭のまわりを 旋回し――

葦(あし)のように ぼくは折れた。

 (いずれも邦訳は詩人の高良留美子さん。原詩はアラビア語

 

 ■アドニスさんの歩み

1930年 シリア北西部ラタキア県に生まれる

  43年 有力政治家の前で自作の詩を詠み、教育の機会を得る

  56年 レバノンベイルートに移住

  57年 詩の専門雑誌を発行

  80年 フランス・パリに移住

  95年 フランスの地中海賞外国人部門を受賞

  97年 マケドニアのストルガ詩の夕べで「金冠」を受賞

2007年 ノルウェーのビョルンソン賞を受賞

  11年 ドイツのゲーテ賞を受賞
    −−「世界発2015:シリア亡命の詩人 「ノーベル文学賞候補」アドニスさん」、『朝日新聞』2015年10月16日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12017908.html





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