覚え書:「特集ワイド:日韓外交に「誠信」を 江戸時代の儒学者、雨森芳洲に学ぶ」、『毎日新聞』2015年10月28日(水)付夕刊。

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特集ワイド:日韓外交に「誠信」を 江戸時代の儒学者雨森芳洲に学ぶ
毎日新聞 2015年10月28日 東京夕刊

コラージュ・堀内まりえ
 ◇「互いに欺かず、争わず」 多文化共生説く

 江戸時代の儒学者で、朝鮮との外交で「誠信」の心得を説いた雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)(1668−1755年)を知っていますか? ようやく日韓首脳会談が開かれる見通しになったとはいえ、両国が真の未来志向へ転じるため、顧みられるべき人物である。深まる秋、芳洲のふるさと、奥琵琶湖を歩いた。【鈴木琢磨

 集落を巡る水路のせせらぎの音が心地いい。ゆっくり回る水車、そして手入れされた水辺を彩る花になごむ。ここは滋賀県長浜市高月町の雨森地区。「オソオシプシオ いらっしゃいませ」。ハングル交じりの木札に招かれ、市が運営する東アジア交流ハウス「雨森芳洲庵(あん)」の門をくぐった。先人を顕彰し、東アジア友好の拠点になれば、と1984年に開設された。館長の平井茂彦さん(70)にとって芳洲は身近な存在だったらしい。

 「私はこの地にある芳洲保育園の1期生でね。隣の芳洲神社に向かって『芳洲先生おはようございます』『芳洲先生さようなら』とあいさつしていました。そんな先生の偉大さを知ったのはずっと後だったんです」

 68年秋、司馬遼太郎さんとも親しかった歴史学者上田正昭さん(88)が古文書の調査中、芳洲の書いた「交隣提醒(こうりんていせい)」を“発掘”する。そこに「誠信」のキーワードがあった。相手国の言葉、慣習によく通じ、尊重するのはむろん、要は<互いに欺かず、争わず、真実をもって交わる誠信の交わり……>と記されていたのである。

 朝鮮外交を担当した対馬藩に仕えた芳洲は中国語も朝鮮語もこなした一流の国際人だった。朝鮮王朝が日本に派遣した外交使節団・朝鮮通信使に2回、随行している。「交隣提醒」にはこうした見聞に基づくアドバイスが盛り込まれている。日本人が日本酒を「三国一だ」とやたら自慢げに勧めるのは相手の内心が分かっていないと嘆き、朝鮮人には朝鮮の酒が、中国人には中国の酒が口に合うのだ、と戒めている。多文化共生が善隣の道ということだろう。肖像画はいかめしい顔だが、なかなかいいことを言うな、と思う。

 聞けば、雨森地区では毎年のように韓国から高校生のホームステイを受け入れてきた、という。「少しでも先生の教えを実践できれば、と」(平井さん)

 この芳洲に光を当てた韓国の元外交官がいる。徐賢燮(ソヒョンソプ)さん(71)。東京の韓国大使館勤務になるや、週末になると古本の町、神保町へ通った。そこで芳洲に出会う。「僕はとっくに賞味期限切れの外交官ですよ……」。ソウルに電話すると笑い声で返ってきた。90年、日本を公式訪問した盧泰愚(ノテウ)大統領は宮中晩さん会で、こう述べた。

 「朝鮮との外交に携わった雨森芳洲は『誠意と信義の交際』を信条としたと伝えられます。彼の相手役であった朝鮮の玄徳潤(ヒョンドッキュン)は、東莱(トンネ)に誠信堂を建てて日本の使節をもてなしました。今後のわれわれ両国の関係も、このような相互尊重と理解の上に、共同の理想と価値を目指して発展するでありましょう」。大統領の演説草稿に芳洲のくだりを書き込んだのが徐さんだった。

 芳洲庵にある書籍コーナーには徐さんの著書「日韓曇りのち晴れ」も並ぶ。そのことを伝えると、「昔、講演で(芳洲庵に)うかがい、温かく歓迎してもらいました」。サッカー・ワールドカップ日韓共催や「ヨン様ブーム」などの盛り上がりはあったが、歴史認識問題が重くのしかかり、その絆は弱まりつつある。また晴れますか? 「韓国人にとって日本による植民地支配はやはり悔しいんです。世界の植民地史を見ても、隣国や先生の役割を果たした国を植民地にした例はないですから。でもいつまでも過去では……」。安倍晋三首相と朴槿恵(パククネ)大統領との会談、どうなります? 「宿命的に仲直りせざるをえない間柄じゃないですか。これまでが不自然でした。すべりだしたら、うまくいくんじゃないか。大統領秘書室長をしている前駐日大使の李丙〓(イビョンギ)さんは芳洲のことをよく勉強していますから。おそらく大統領にアドバイスもするでしょう」

 ◇相手よく知り、じっくりと

 ところで、朝鮮通信使に関する記録を日本と韓国が共同提案でユネスコ記憶遺産へ登録申請する取り組みが進んでいる。その登録リストの核となる国の重要文化財の史料が芳洲庵にほど近い「高月観音の里歴史民俗資料館」に保存されている。学芸員の佐々木悦也さん(55)が、高月出身の儒学者朝鮮通信使随行した文人と大津で交わした詩文が見つかった、と興奮気味に話してくれた。「芳洲だけでなく、当時の国際交流がいかに深いものであったかを雄弁に語る貴重な史料が加わりました」

 長浜ではシンポジウムのため来日中のユネスコ記憶遺産登録韓国側学術委員長の姜南周(カンナムジュ)さん(76)にも会った。釜山に住む詩人でもある姜さんには秘めた歴史があった。豊臣秀吉による慶長の役で、日本軍に捕まり、日本に抑留された朝鮮の著名な儒学者、姜〓(カンハン)が祖先だというのである。なんとシンポジウム会場のすぐそばに秀吉の建てた長浜城がそびえる。「不思議ですね。族譜という家系図で確認しました。先生は船で逃げる途中、捕まったらしいんです。今年は国交正常化50周年だといっても、それは数字だけの話でしょ。本当の意味での正常化は誠信の精神が生かされてこそです」

 折しも、朝鮮通信使がたどった道を日韓の約50人が自転車で駆ける「両輪で走る新朝鮮通信使」(韓国外務省、朝鮮日報社主催、毎日新聞社など後援)が韓国を走り抜け、東京を目指している。21日には山口県下関市で日本の出発式が行われ、地元出身の安倍首相も「日韓親善・友好にとりまして大変意義深いこと」との祝賀メッセージを贈った。ゴールは11月1日、ひょっとすると首脳会談の冒頭は朝鮮通信使や芳洲の話題かもしれない。

 日韓で大きな隔たりのある従軍慰安婦問題を互いに納得するかたちで決着させる妙案は浮かばない。だからこそ、誠信の姿勢でじっくり対するしかないではないか。芳洲の「交隣提醒」はこう締めくくっている。

 <とにかく朝鮮のことを詳しく知り申さず候ては、事に臨み何の了簡つかまつる様これなく、浮言雑説はいかほどこれあり候ても益これなく候……>

 相手国についてよく知らなくては事態に対処できず、いいかげんなうわさや説がいくらあっても役に立たない−−。正確な情報を読み解く力、それが安倍首相、そして朴大統領に備わっていることを願う。かつて司馬さんも歩いた雨森地区は、どこかりんとしたたたずまいである。芳洲は生きている−−と感じた。
    −−「特集ワイド:日韓外交に「誠信」を 江戸時代の儒学者雨森芳洲に学ぶ」、『毎日新聞』2015年10月28日(水)付夕刊。

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