覚え書:「書評:民を殺す国・日本 大庭健 著」、『東京新聞』2015年10月25日(日)付。

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民を殺す国・日本 大庭健 著

2015年10月25日


◆責任とらない構造を分析
[評者]田中伸尚=ノンフィクション作家
 「日本人の精神的特徴は自己批判を知らないことである」。戦時中、東北帝国大学で教えていたドイツの哲学者カール・レーヴィットのことばである。本書を読みながら、思想史家の藤田省三が紹介していたレーヴィットのこの指摘が何度もよみがえった。
 3・11で起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故は紛れもなく人災である。だが、未(いま)だに誰も責任を取っていない。被害者である住民は見捨てられ、多数の人びとが故郷を奪われたままだ。それなのに原発は再稼働し、核のゴミは増え続ける。
 「東フクシマ」の深刻な状況を、責任の問題からアプローチした本書は、「公害の原点」である足尾鉱毒事件にまで遡(さかのぼ)って透視する。富国強兵の国策の下で起きた鉱毒事件に際し、支配層は事実の隠蔽(いんぺい)、すり替え、国策ゆえの「検証せず」などの不作為を積み重ねた。「構造的な無責任」である。被害者は見殺しにされ、谷中村は滅亡した。
 モラルを軸に近代の政治文化に切り込んだ画期的な本書は、国策による日清・日露からアジア太平洋戦争の敗戦、戦争責任のありよう、そしていじめにまで視野を広げる。精緻な分析によって、不作為の連鎖である「構造的な無責任」が浮かび上がり、倫理的ブレーキの基礎である自己批判力を欠いた実態が読者の前に現れる。
 著者の切っ先は、責任を不問にする国策の持つ不可侵性を支える国家への信仰、疑似宗教の国家教に向かう。克服されざる国家教の下で原発推進がなされ、官産政学の複合体は応答義務に背を向け、「構造的な無責任」が人びとを追い払い、未来のいのちを奪う。「東フクシマ」は、そう語っている。
 民を殺す「構造的な無責任」はカタストロフへ向かうのか。著者はむろん、方向転換策を示す。だが私は思う。国家教から自由で、自己批判力を持った、抵抗し続ける民衆自身がその道を発見、獲得していくに違いない、と。
(筑摩選書・1836円)
<おおば・たけし> 1946年生まれ。専修大教授。著書『いのちの倫理』など。
◆もう1冊
 荒畑寒村著『谷中村滅亡史』(岩波文庫)。鉱毒事件で大きな被害を受けた村に対する強制土地収用を糾弾した怒りのドキュメント。
    −−「書評:民を殺す国・日本 大庭健 著」、『東京新聞』2015年10月25日(日)付。

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