日記:賀川豊彦と宮沢賢治

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 賀川豊彦の世界においては、神の「生命」という観念において、すべてが統一され、生命の「力」が強調される。が、世界の統一原理は、もちろんキリスト教絶対神に求められるので、「大きな生命」を宇宙の原理に置く生命主義とは異なり、「生命」は世界の第二原理である。その意味では、ベルクソン『創造的進化』の場合も、「宇宙の生命エネルギー」は、いわば世界の第二原理である。エラン・ウィタールの最初の一撃は神、すなわち絶対者によって与えられるものとされているのだろう。フランスでは、ベルクソンに限らず、第一世界大戦期から戦後にかけて、世界救済の願いをカトリック信仰に託す姿勢を強めた知識人は多かった。
 賀川豊彦の思想は、宮沢賢治の考えにも一定のヒントとしてはたらいたと思う。そのひとつは、兄弟愛による協同組合の思想である。人類みな兄弟という考えを表に出すのはプロテスタンティズムの一派、クェーカーだが、賀川は同業種の労働者の組合(ギルド)や消費者が生活防衛のために組合をつくることを重視した。
 賢治の『春と修羅』第二集の「序」として準備されていた詩には、花巻農学校で楽しい日々を送ったこと、経済の保証は先人たちの「サラリーマンスユニオン」のお蔭であることがうたわれていた。サラリーマンは月給取りを意味する和製英語。「ユニオン」はふつう、同一業種の職能団体に用いる。当時、それにルイすることばはなかったが、東京都横浜の女性タイピスト、五二〇人が、一九二〇年三月、「全国タイピスト組合」を結成し、最低賃金制と八時間労働制の要求を掲げてストライキを行ったことがある。国際的にも先駆的な活動と評価される。
 賀川の考えのうち、もうひとつ、賢治にはたらいたと思われるのは、「農民芸術概論綱要」で説いている「人生劇場」という考え方である。ウィリアム・モリスが唱えた「生活の芸術化、芸術の生活化」を、本来「生活即芸術」であるべきだという意味に転換し、土を耕すこと、この世に生きて働く実践が、すなわち芸術であり、その軌跡が芸術作品になるという主張を「人生即劇場」という意味で述べている。賢治のいう「劇場」がひとつではないことは、すでに述べてきた。賢治は専門家による芸術活動を、いわば金銭のための疎外芸術ととらえている。そこには近代芸術に真っ向から反対するトルストイ『芸術論』の影も認められようが、真・善・美の調を唱える新カント派の文化芸術を、そもそも人間の活動は真・善・美が一致したものであるはずだという考えに逆転したものといえよう。
 宮沢賢治は、賀川豊彦と同様に大正生命主義思潮の飛沫を浴びていた。が、賀川豊彦と同様、「宇宙生命」も「宇宙の生命エネルギー」という語も用いたことはない。賀川のキリスト教の神にあたる、生命を超える世界原理があったからである。
    −−鈴木貞美宮沢賢治 氾濫する生命』左右社、2015年、392−394頁。

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