覚え書:「昭和史のかたち:中台首脳会談=保阪正康」、『毎日新聞』2015年11月14日(土)付。

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昭和史のかたち:中台首脳会談=保阪正康
毎日新聞 2015年11月14日 東京朝刊

 ◇国民党要人が見た日本軍

 「中台初の首脳会談 49年分断以来」(本紙8日朝刊1面)の大見出しを見ながら、私はいくつかの光景や証言を思いだした。毛沢東周恩来共産党蒋介石の国民党が内戦を経て、中国本土と台湾とに分断してから、66年後に両政党の首脳が話し合ったというのは、確かに歴史的な出来事に違いない。

 私がこの見出しに感慨を覚えたのは、1992年ごろに、台北に赴いて存命していた国民党首脳ら5人に会ったからだ。日中戦争の折、蒋介石の国民党政府は日本の軍事侵略をどのように見ていたのか、どういう戦略を立てていたのか、そのことを確かめたくて、92年と93年に5回ほど台北を訪れて取材を進めた。

 ある月刊誌で「昭和陸軍の興亡」を連載していて、当時台湾政府の総統府の資政(邦訳では顧問の意味か)のポストにあった陳立夫や三軍大学の学長・蒋緯国(戸籍上は蒋介石の次男)、それに軍を率いていた2人の将軍に、中国人ジャーナリストに紹介されて会うことができた。

 このなかで当時92歳だった陳立夫と76歳の蒋緯国には、丁寧に日中戦争下の国民党の立場を教えてもらった。30年代、陳立夫アメリカ留学から戻り、蒋介石の秘書を務めた後、国民党組織部長や情報部門の責任者を務めた。対共産党交渉をはじめ、兄の陳果夫とともに国民党を動かした指導者である。私が会ったときは、さすがに老いは肉体に表れていたが、頭脳明晰(めいせき)、雄弁、決断の早さなどは壮年期とかわらぬ状態であった。

 台北郊外の自宅は屈強な青年が護衛していて、政治的役割は衰えていなかった。15畳ほどの応接間には、尊敬している2人、孫文肖像画蒋介石デスマスクがあった。

 「あなたは中国国民党の要人として、30年代の日本をどのように見ていましたか」

 92年5月、その応接間で私はこの質問を最初に行った。

 「あのころの日本人は傲慢そのもので、私の見るところ東アジアの文化をまったく理解していなかった。武力に頼る西洋文化に価値を置いて、徳を積む東アジアの文化を理解していなかった」「我々と日本が戦うことは誰を利することになるのでしょう。あなたの国の軍人にはスターリンの戦略を読み抜く能力がないのです。30年代はどの国も高度な政略と戦略をもっていて、その衝突が歴史をつくっていました。日本の軍人は政戦略を持っていなかった」と話していた。

 (蒋介石が監禁された)西安事件を語るときは、監禁した張学良への不信を隠そうとしなかった。蒋介石釈放のためスターリンに電報を打った件、さらに共産党周恩来トウ小平とは中国の針路をめぐって論争を続けた件、そういう史実について冷静に論を進めるのが印象的だった。

 93年の春であったか、陳立夫の関係者と話している折に意外なエピソードを聞かされた。中国の最高指導者であるトウ小平が、ひそかに陳立夫に連絡してきて、「直行便を飛ばすから北京に来ないか。昔のよしみがあるから統一の話をしよう」との伝言を寄せた。陳立夫は、我々の戦いには多くの犠牲者がでた、それを思うとこの世では会わないことにしようと回答したという。

 このエピソードを聞きながら、30年代に同世代の2人が孫文三民主義共産主義かをめぐって議論した光景は思い描くことができた。陳立夫は、共産主義思想は「重物而軽人」(物を重んじるが人を軽んじる)だと言い、資本主義は「重財而徳軽」(財を重んじるが徳を軽んじる)であり、両者はコインの表と裏だという言い方もしていた。

 蒋緯国と会ったのはかつて日本軍の台湾司令部が置かれた建物の中であった。日本人の血が入っているとされるが、しかし日本軍を見るときの目は冷徹である。戦争には三つの段階があると言い、日本軍はそんなプロセスを考えていない、哲学なき軍隊の進む道をやみくもに進んだだけとも補足した。別れ際に「結局は、あなたの国と私たち(いずれ統一するでしょうが)とはお互いに和を求める時代になるのです」となんどもくり返した。

 孫文の孫・孫治平(実業家)は「あの時代の日本の侵略については恨(こん)の一字です。今も私は怒っている」と低い声でつぶやいた。自分は政治や歴史を語らないことを信条としているが、今日はそれを破ったと笑った。

 国民党の指導者たちは、今、泉下でどう考えているだろうか。一方で2000年代に会った中国の共産党幹部たちは、「中国は一つ」の原則を守っている国民党は信頼できると語った。今回の首脳会談の背景には、歴史上の思想や感情が宿っていることに思いをはせたくなるのである。

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 ■人物略歴

 ◇ほさか・まさやす

 ノンフィクション作家。次回は12月12日に掲載します。
    −−「昭和史のかたち:中台首脳会談=保阪正康」、『毎日新聞』2015年11月14日(土)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20151114ddm005070008000c.html





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