覚え書:「特集ワイド:ミャンマー民主化への祈り スーチー氏と40年来の友人・大津定美さん、典子さん夫妻」、『毎日新聞』2015年11月24日(火)付夕刊。
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特集ワイド:ミャンマー民主化への祈り スーチー氏と40年来の友人・大津定美さん、典子さん夫妻
毎日新聞 2015年11月24日 東京夕刊
(写真キャプション)総選挙後に国民民主連盟本部のバルコニーで演説に臨むアウンサンスーチー氏=ヤンゴンで9日、AP
(写真キャプション)スーチー氏について語る大津定美さん、典子さん夫妻。典子さんの手には白檀の仏像が=大津市和邇で、鈴木琢磨撮影
ミャンマー(ビルマ)の総選挙で、民主化運動を続けてきたアウンサンスーチー氏(70)率いる「国民民主連盟(NLD)」が勝利した。これで半世紀に及ぶ国軍支配の流れに本当にピリオドを打てるかどうか。遠く日本で、スーチー氏とミャンマーの未来を見つめている夫妻がいる。【鈴木琢磨】
◇「あなたはビルマに帰るべきだ」と説得/NLD勝利は国民の決意の表れ
「すぐにでもスーの大好きなウナギのかば焼きを持って駆け付けたいんだけど」。「アウンサンスーチーへの手紙」の著者で、元同志社大非常勤講師の大津典子さん(76)が、琵琶湖を望む大津市内の自宅で語りだした。彼女がミャンマー民主化のシンボルで、ノーベル平和賞を受賞したスーチー氏を妹みたいに「スー」と呼ぶのにはわけがある。
1974年、チベット語を学ぶため、英国のロンドン大に留学していた典子さんは英国人のチベット研究者、マイケル・エアリス氏に出会う。「僕の妻はビルマ人です」。スーチー氏だった。
翌年、経済学者である夫、定美(さだよし)さん(77)=神戸大名誉教授=がオックスフォード大で研究することになり、そこでたまたまスーチー夫妻と再会、家族ぐるみの付き合いが始まった。「英国人に父がビルマ建国の父、アウンサン将軍だといっても誰も知らない。東洋人への差別意識もありますから。何よって、2人して反発を抱いていました。民族衣装のロンジーを自分で縫っていたこともありました」
それから10年後、スーチー氏が京大東南アジア研究センターの客員研究員として来日。大津に居を構える夫妻の家にも度々やってきた。秋、湖国三大祭の一つ、大津祭へ。町家の2階から曳山(ひきやま)巡行を楽しんだ。厄よけのちまきが投げ込まれても、スーチー氏は手を伸ばさない。「幸せはもらうんじゃなく、与えるもの。彼女自身が幸運の象徴なんですから」。スーチー氏は山車をひく男たちの足元に目をやった。地下足袋だった。「スーは、どこでジカタビが買えるのって聞くのよ。すべらず機能的だから、あれをはいて自転車で通いたいって。合理的な考えをするの。思いとどまらせるのに苦労したわ。アハハ」
年が明け、そろって比叡山のふもと、日吉大社へ初詣した帰り、延暦寺の里坊(さとぼう)、霊山院へ立ち寄った。本尊が日本には珍しい金箔(きんぱく)を押したビルマ仏だから。「スーが必死で拝む姿を初めて見た。仏前に何度もひれ伏し、手を合わせて。そんなしおらしい姿は見たこともなかった。いつも威張っているし、ちょっと生意気だし」。春、改めて自宅を訪れたスーチー氏に典子さんが切り出した。「このままなら、あなたはお茶の間のヒロインにすぎない。ビルマはあなたを必要としている。ビルマに帰るべきだと思う」。ここで? 「そう、この居間のテーブルで。黙って下を向き、聞いていた」
異国のビルマ仏に誓ったのだろうか、それから2年後の88年、スーチー氏は祖国に戻る。学生らの要請で反政府運動のリーダーとして立ち上がるが、民主化への動きは軍部が鎮圧、スーチー氏は自宅軟禁となる。通算15年にわたって自由を奪われた間、典子さんは英国を訪れてはスーチー氏の2人の息子を気遣った。自らも乳がんを患いながら、がんに倒れたスーチー氏の夫の死に立ち会った。
「これ、お守りなの」。典子さんは小さな白檀(びゃくだん)の木を彫った仏像を手のひらに乗せている。「スーの次男、キムがプレゼントしてくれた」。そう目を細めながら、NLD圧勝の選挙についてこう喜ぶのだった。「スーも頑張ったけれど、彼女に触発された国民たちの意志がすべて。もう後戻りしない、そうした強い決意の表れよ」。ただ一抹の不安も隠さない。2011年に民政移管したとはいえ、現テインセイン政権は大統領を含め多くが軍部出身。「さすがに今回は負けを認め、政権移譲すると言ってますけど、新政権が発足する予定の来年3月末まではわからない。クーデターが起こらないことを願っています」
NLDの圧勝にもかかわらず、党首のスーチー氏は大統領になれない。軍政下でできた憲法は、外国籍の家族がいると大統領になれないと規定している。英国籍の息子がいるスーチー氏は「大統領の上に立つ」と発言し、新たな独裁になるのではないかとの懸念も出ている。「スーは大統領という肩書に固執しているわけではないと思う。国を誰がリードしていくのか、今のところ事実上は私だ、と言ったにすぎない。むしろ心配なのは、軍部や現政権の中枢の利権構造が変わらないこと。これでは、庶民の不満は消えません。それがスーへの批判につながるかもしれない」
定美さんがミャンマーの素顔を追った1冊の写真集を見せてくれた。撮影したのはフォトジャーナリスト、宇田有三さん(52)。ろうそくの明かりの下で勉強する農村の子供の写真が目を引いた。「農村部の80%に電気がない。留学生に聞いたら、テスト勉強らしい。安くないろうそくを3本もともして、そばで母が見守っている」。そんな現状に心を痛めた定美さんは小規模水力発電の技術をミャンマーへ、と現地でセミナーを開いている。ミャンマーで再会したスーチー氏に「宿題だ」と英語版の論文も手渡した。
ミャンマーでの取材を終えたばかりの宇田さんに聞いてみた。「選挙の前、中、後でもシャン州やカチン州では銃火がやむことはありませんでした」。そして大津夫妻についてはこう語る。「スーチー氏にどれだけ近いかをアピールする人が多い中、長年の友人として、支援者として節度を持って付き合っている姿に感銘を受けます。ミャンマー国民のために何が必要かをよく知り、汗をかく。水力発電のプロジェクトもそうです」
13年春、自宅軟禁を解かれたスーチー氏は27年ぶりに京都にやってきた。定美さんは嵐山にある小水力発電の現場にスーチー氏を案内した。「ぜひとの希望があったからです。観光なんかじゃない。ロンジー姿のまま堤防を乗り越え、発電機を観察していました」(定美さん)。霊山院のビルマ仏にも再会し、その夜は久しぶりに夫妻宅で1泊した。「昔と同じ2階の畳部屋で。朝は近くの桜を見た。スーは桜より輝いていました」(典子さん)。その後、スーチー氏は毎日新聞東京本社を訪問し、私も編集局で歓迎の渦の中にいた。りんとした顔を覚えている。
典子さんが笑わせる。「ビルマは母系社会。女がしっかりしてるのよ。あっ、うちもそうだわね」。大津夫妻の自宅前から見える湖に大きな虹のアーチがかかっていた。スーチー氏も希望の虹を目にしただろうか。
−−「特集ワイド:ミャンマー民主化への祈り スーチー氏と40年来の友人・大津定美さん、典子さん夫妻」、『毎日新聞』2015年11月24日(火)付夕刊。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20151124dde012030005000c.html