覚え書:「今こそル・コルビュジエ:機能的な建築にも詩情と歓び」、『朝日新聞』2015年11月30日(月)付。

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今こそル・コルビュジエ:機能的な建築にも詩情と歓び
2015年11月30日

 モダニズム建築を定義し、世界に作品を残した巨匠は、使う人の心地よさも考え続けた。

 建物より土地の価格が注目されがちな現代。ル・コルビュジエは、こんな状況に眉をひそめるかもしれない。住んで心地よく、見て楽しい建築の存在がないがしろにされていないか、と。

 コルビュジエといえば、東京・上野の国立西ログイン前の続き洋美術館など、装飾を排した、ぶ厚いコンクリートやガラス窓が特徴の建築物が思い浮かぶ。ともすれば、機械主義・合理主義の権化であり、「住宅は住むための機械である」という本人の言葉とともに、「白い箱」と批判されることもある。

 しかし、東京理科大の山名善之教授(48)は「『ための』は誤訳。工業化全盛だった20世紀初め、コルビュジエはその状況を真正面から受け止めて機能的な建築を造ったが、そこにはポエジー(詩情)やジョア(歓〈よろこ〉び)が必要であると言っている。機械に近づく一方で、どのように距離を保てるかも考えていたというのが正確な見方でしょう」。

 たとえば邸宅なら、内部の採光や色彩に気を配り、快適さを追求した。第2次大戦後のフランスの復興計画に参加したときのエピソードも象徴的だ。疎開先からの帰還や復員で新しい集合住宅の建設が課題になった時「数の話だけじゃだめだ。人間が太陽を浴びる時間はどれくらい必要なのか。どういう環境に触れたらよいかなど人間的な要素も考えねばならない」と訴えたという。実現した南仏マルセイユの集合住宅では、屋上に体を動かせるように体育館やプールを用意し、地中海の水平線を見渡すことができるような仕掛けもある。

 コルビュジエ最大の功績は、モダニズム建築の定義を広めたことだと言われる。柱で建物の1階を持ち上げる「ピロティ」や、環境に合わせ自由に配置できる壁・窓などが条件の「近代建築の5原則」を宣言。鉄筋・ガラス・コンクリートを使うことで世界中どこでも建てられる普遍性を生み出した。西洋のれんがや石積み建築のように、土地に縛り付けられる宿命にあった建築の枠組みを転換させる理論をつくったのだ。来年のユネスコ世界文化遺産登録を目ざす作品群が、世界中に広がっているのはこのためだ。

 「建築と社会との関係性を意識し、自分の理論を本や雑誌を通じて貪欲(どんよく)にアピールした。だからこそ、その理論が世界標準になり、作品も形になった」と言うのは美術評論家暮沢剛巳(くれさわたけみ)さん(49)。発刊した雑誌は、建築家以外にも銀行家や画商など社会に影響力のある読者がつき、遠く日本にも読者がいた。コルビュジエの元には世界中から建築家が集まり、彼らは学びの果実を母国に持ち帰り、師の影響を色濃く受けた建築物を造っていく。

 コルビュジエは、進取の気性にも富んでいた。工業化の次の時代を見ていたのか、後年になると曲線が印象的な作品も造るようになる。

 建築家の隈(くま)研吾さん(61)は、変わり続けた姿勢にひかれるという。「若い頃はかちっとしたモダニズム建築を造っていたのに、後にはロンシャン教会など有機的でざらざらした手触りの建築もやる。そのどれもがいい。時代の空気を読み、新しいライフスタイルを示唆する建築を造り続けたんです」(木村尚貴)

 <足あと> Le Corbusier 1887年、スイス出身。本名シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ。地元の美術学校などで建築を学び、1917年パリへ。祖先の名に由来するコルビュジエペンネームとして使い始め、22年に建築事務所を立ち上げた。55年には西洋美術館建設に向けた調査で来日。65年、海水浴中に心臓まひで死去。77歳。

 <もっと学ぶ> ル・コルビュジエの絵画や彫刻を収集する「大成建設ギャルリー・タイセイ」(横浜市中区)は、随時企画展を開催する。同ギャラリーの学芸員林美佐さんが書いた「もっと知りたい ル・コルビュジエ」(東京美術)は、格好の入門書。豊富な図版とともにその生涯が見渡せる。

 <かく語りき> 「建築は光線の中における巨大なフォルムの芸術であり、建築こそは精神を表現する一つの系である」(『今日の装飾芸術』から)

 ◆過去の作家や芸術家などを学び直す意味を考えます。次回は経済学者の河上肇の予定です。
    −−「今こそル・コルビュジエ:機能的な建築にも詩情と歓び」、『朝日新聞』2015年11月30日(月)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12093227.html





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