覚え書:「社説余滴:「核権力」に立ち向かう 加戸靖史」、『朝日新聞』2015年12月04日(金)付。

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社説余滴:「核権力」に立ち向かう 加戸靖史
2015年12月04日

社会社説担当・加戸靖史
 「朝日新聞の社説はなぜ『核の傘』を認めているのか」。広島で原爆報道を担当していた頃、反核運動に取り組む人に何度か聞かれた。

 東京電力福島第一原発事故後には「なぜ社説で『原発即ゼロ』を主張しないのか」と問われたこともあった。

 「一記者なので」とそのつど答えを濁してきた私は今、くしくも論説委員室にログイン前の続きいる。

 周辺に核保有国があり、米国の核兵器に頼らざるをえない現状で、日本がすぐその傘から出るのは難しいというのが社説の立場だ。原発は「ゼロを目指す」と4年前に宣言したが、電力不足の懸念から、めどは20〜30年後だ。

 ともに長い議論を経て固まったものだ。私が社説を書く時ももちろん踏襲してきた。

 ただ、核兵器原発も、それを支えるのは巨大な権力だ。「いずれ脱却を」との主張は結局、権力側の現状維持を肯定しているのでは、との歯がゆさは否めない。

 もっと強く、人権優先の思想を打ち出すべきではないか――。先月下旬、広島で開かれた世界核被害者フォーラムを取材し、そう思った。

 会議には、ウラン採掘、核実験、原発事故などの被害を訴える人たちが結集した。共通するのは、核利用の陰で人権が軽んじられる構図だ。

 インド東部の先住民の青年は「ウラン鉱山周辺で先天性の病気が多発しているが、政府は取り合わない」。米国の核実験被害を追ってきた女性作家は「米政府は冷戦を名目に、多くの人々を知らずに被曝(ひばく)させた」と語った。

 放射線は目に見えず、よほど大量に浴びない限り、健康影響はすぐには出ない。被害者が因果関係を立証するのも難しく、権力側がすすんで責任を認めることはまずない。

 核の利用には大義名分がある。核兵器は「国の安全のため」。原発は「エネルギーの安定供給のため」……。

 だからといって、誰かに犠牲を強いていいはずがない。

 フォーラムは、この時代の誰もが不要な被曝を拒む権利を持つとうたう「権利憲章要綱」を採択した。

 主催したNGO事務局長の森滝春子さん(76)は「私たちは、人間として当たり前の要求を権力に突き付けていくしかない。あきらめるわけにはいかない」と私に言った。

 そう、あきらめてはいけない。被害の実態を見据え、人間がこれ以上、核に脅かされることを防ぐ。そういう主張を、もっと研ぎ澄ましたい。

 (かどやすふみ 社会社説担当)
    −−「社説余滴:「核権力」に立ち向かう 加戸靖史」、『朝日新聞』2015年12月04日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12100147.html





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