日記:日蓮をΑπολογίαとして普遍的叡智たらしめた池田名誉会長の思想を誰が屠ろうとしているのか。
市民社会を根底から覆す法的安定安定性の問題をスルーして、いまさら各論でけたたましくぱよぱよちーんとかいい初めても、その心性下劣さ、エアボクシング宜しくそのチキンぶりには、誰も信用しませんよ。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2015, 12月 14
信仰への道とは、その人にとってだけ絶対な訳ですからこれは「超越」。数値化されたランキングたよりに1番を買い物する訳ではない排他性・個別性です。しかしそれに対して未知であったその人が選択したという契機は同時に排他性とは対極の普遍という「超越」でもある訳。この二重構造失念するとアウト
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2015, 12月 14
現実的な運用として、その共同体の中だけでしか流通し得ない言語運用は否定しない。ツーカー的な楽さは効率的だから。しかし人間は複数の共同体に同時に存在する訳だから、異なる他者と言論が交差する場合において、エソテリックな物言いは慎むべきなんだろう。この倫理が今根絶やしになろうとしている
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2015, 12月 14
日蓮教学思想史において、最大の不幸は、初期教父の弁証家・弁証学(Apologeta)の伝統が皆無に等しかったことなのではないかと思う。教外の世界に対して当該宗教の真理性を丁寧にΑπολογίαしなかったツケというか、私見では池田名誉会長ぐらいだろう。それまでも今歪曲されつつある。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2015, 12月 14
日蓮をΑπολογίαとして普遍的叡智たらしめた池田名誉会長の思想を誰が屠ろうとしているのか。それはトインビー対談は「古くて使えない」という公明党支援を絶対化する創価学会アクティブ。平和に関して言えば日蓮も池田名誉会長にしてもどこをどう切り取っても絶対平和主義。何がしたいのかねえ
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2015, 12月 14
結局の所は、日蓮の御遺文も池田名誉会長の著作もまじめに読まない、「公明大好きネクストうんちゃら」みたいな「ファン」という「お花畑」が、創価学会特殊論を振りかざし、日蓮、そして創価教育学会を経た創価学会の民衆運動としてのΑπολογίαを屠ろうとしている。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2015, 12月 14
牧口常三郎の価値論は本来、権力迎合の知性を撃つ反知性主義。権力と宗教的権威のエソテリックをどこまでも相対化する為には、一人の人間が「学ぶ」他ない。人間が自立することが大切とすれば真理の憧憬よりも功利とは程遠い自立に「利」に価値を置く。日蓮の信も価値論にも牛に引かれて善光寺ではない
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2015, 12月 14