覚え書:「今週の本棚 小島ゆかり・評 『句集 冬青集』/『歌集 思川の岸辺』」、『毎日新聞』2015年11月22日(日)付。

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今週の本棚
小島ゆかり・評 『句集 冬青集』/『歌集 思川の岸辺』

毎日新聞2015年11月22日 東京朝刊
 
『句集 冬青集』=矢島渚男著

 (ふらんす堂・3240円)

『歌集 思川の岸辺』=小池光著

 (KADOKAWA・3240円)

生の感慨と死の悲しみの滋味

 現代俳壇、歌壇を代表する二人の九冊目の句集、歌集である。同じ九月二十五日刊行。八十歳を迎える日々の感慨を自在に詠んだ句集『冬青(とうせい)集』と、長年連れ添った妻を喪(うしな)った渾身(こんしん)の悲しみをうたう歌集『思川(おもひがは)の岸辺』。短詩型の滋味を、深く味わえる二冊である。

 句集『冬青集』の「冬青」は、モチノキ科の常緑樹(和名ソヨゴ)のこと。「冬青し」の含意を嘉(よみ)する思いも重ねるという。

フェルメール冬日の壁に釘の穴

秋晴や遠ければ友健やかに

よくひびく体さくらの峠来て

では剥いてやろ空豆の宇宙服

紅しだれ救世観音に扉開く

 一句目には「ミルクを注ぐ女」と前書きがある。ささやかな発見により、名画の中の永遠が寂しい日常へとほどかれるおもしろさ。季語と切字のゆたかさ、身体感覚の不思議さ。「空豆の宇宙服」という斬新なユーモアの一方、艶(なま)めかしい場面での絶妙な「扉開く」。

 古典から現代に至る俳句のふところの深さをよく知る作者ゆえの、自在な世界である。

骸骨(がいこつ)がものを申さば涼しかろ

 たとえばこの句の背後に、「骸骨の笛吹やうなかれの哉」(小林一茶)や「死骸(なきがら)や秋風かよふ鼻の穴」(飯田蛇笏)などを思うとき、はるかな枯野までも心は導かれる。

雪来るをどの木も気づきゐるらしき

白鳥に終生の白帰りゆく

 信濃に生まれ信濃に暮らす俳人は、雪の気配、木の気配をこんなにも自然に自分のものにしている。そして「帰りゆく」のは、齢(よわい)を重ねた渚男自身でもあるだろう。

 歌集『思川の岸辺』の「思川」は、栃木県を流れる川。歌人の悲しみに寄り添うような川の名が印象に残る。

夏雲のよるべなき下に抗癌剤(こうがんざい)点滴三時間の妻を待つなり

そこに出てゐるごはんを食べよといふこゑはとはに聞かれず聞かれずなりぬ

九十九になりたる母をみてをればわれにわが知らぬ笑ひはうかぶ

夏になりて水をたくさん飲む猫よのみたまへのみたまへいのちはつづく

 六十代の若さで逝った妻の病と死。もう意識もなく存(ながら)えつつ百歳に近づく母。一つ一つの切ない事実のなかの「わが知らぬ笑ひ」には、人間の心理の底知れぬ謎を見せられる思いがする。そしてそんな作者の日々に、ただ猫として生きる者の存在がひどくなつかしい。

古代インド人「0(ゼロ)」を発見し中世日本人「ん」を発見す偉大なるかな

夕つ日は疎林の中にきりこみてその中に在(あ)るひとりをてらす

 世界の捉え方に独特の視点があり、それをいかにも平易に表現するのが小池光である。

なくなりて三月(みつき)過ぎたるうつしよに「生きて負ふ苦」の雪ふれりけり

日だまりの中にたばこを吸ひてゐる十年のちのわれのごとくに

 前者は、若き日の秀歌「雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ」(第一歌集『バルサの翼』)への、後者は永田耕衣の句「少年や六十年後の春の如し」への、寂しい谺(こだま)のようだ。

秋天にやまばとのこゑひびくときおもかげたちて恋しかりけり

 深々とした韻律の美しさゆえに、はるか秋天(しゅうてん)にとどく相聞の哀悼歌である。
    −−「今週の本棚 小島ゆかり・評 『句集 冬青集』/『歌集 思川の岸辺』」、『毎日新聞』2015年11月22日(日)付。

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http://mainichi.jp/articles/20151122/ddm/015/070/005000c



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