覚え書:「今週の本棚 若島正・評 『雪の墓標』=マーガレット・ミラー著」、『毎日新聞』2015年11月22日(日)付。

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今週の本棚
若島正・評 『雪の墓標』=マーガレット・ミラー

毎日新聞2015年11月22日 東京朝刊

 (論創社・2376円)

人間の弱さを象徴する血の残像

 私立探偵リュー・アーチャーを主人公にしたシリーズで知られる作家ロス・マクドナルドの妻であり、自らもミステリ作家として、特に一九四〇年代から五〇年代にかけて活躍したマーガレット・ミラーの『雪の墓標』(一九五二年)が、このたび初めて翻訳紹介された。

 『雪の墓標』という、なにやらロマンチックなファンタジーを想(おも)わせる邦題が付いているが(原題を直訳すれば『一瞬に消えて』)、読者がそのような幻想を抱いたとしたら、その期待は確実に裏切られる。マーガレット・ミラーが好んで描くのは、幻想に囚(とら)われたがゆえに破滅していく人々の姿なのだ。

 アメリカの小さな町アルバナで、ナイフでめった刺しにされている男の死体が見つかり、その男と酒場にいるところを目撃されたヴァージニアという女性が逮捕される。弁護士のエリック・ミーチャムは、その母親から娘の弁護を依頼されるが、事件に首を突っ込んで間もなく、世をはかなんだロフタスという男が、犯行は自分がやったと自首してくる。ヴァージニアは釈放され、ミーチャムの弁護士としての仕事は一件落着したように見えたが、彼は次第に事件に関係した人々の人間模様の網にからめ取られていく……。

 この小説に登場する人間たちはすべて、しばしば古典的探偵小説に見られるような、謎解きの興味に奉仕するだけの、作者の操り人形では決してない。彼らはみな人間としての弱みを抱えているが、むしろそれゆえに、読者のなにがしかの共感を呼ぶ存在である。言い換えれば、彼らには人間の血が流れているのであり、そうした生身の人間たちが作り出している複雑な網の目が物語を動かす力になり、その網の目がミーチャムによって解きほぐされるときに殺人事件の真相が明らかになる。その意味で、マーガレット・ミラーの作品は作り物でありながら、まるで一個の生きた人間を見ているような独特の実感がある。その巧緻に仕立てられた複雑さは、人間が持つ複雑さなのである。

 この小説世界は、「白い聖人と黒い罪人」というような、白黒がはっきりと区別される世界ではない。それを反映して、この町を包んでいる雪も、美しい白ではなく汚れた白である。しかし、この『雪の墓標』は陰鬱な色一色に染められているわけではない。最も印象的なのは、モノクロの画面に朱を点じたような、鮮烈な赤の描写だ。

 それは刺殺死体から流れていたおびただしい血だけにとどまらない。ミーチャムが、娘に盲目的な愛情を注ぐ依頼人の娘の家に到着すると、そこにあるアイビーの鉢植えは水のやりすぎで、「まるで致命傷から滲(にじ)む最後の血のしずくのように」床に水滴がしたたり落ちている。自首してきたロフタスの指の付け根には歯の噛(か)み跡があり、血が滲んでいる。「しかしミーチャムはこの血が毒液であり、ロフタスが拳を噛みながら悶々(もんもん)と過ごした長い夜が、より長い夜の始まりでしかないことを知っていた」。ロフタスの母親はアル中で、ボトルを唇にあてると、「生気が回復し、肌に赤みが射(さ)す。まるで飲んだものが血であり、それが血管に直接流れ込んだかのようだ」。こうした人間の弱さを象徴する傷口としての赤い血の描写は、実はミステリとしてのトリックにもつながっているところが、マーガレット・ミラーのミステリが生きている証拠なのだ。そう思えるのは、代表作『狙った獣』の有名な結末部で流される、「二度と結び合わされることのない、無限に続く鮮やかなリボンのように」美しい血の残像が、わたしの記憶に取り憑(つ)いて離れないせいだろうか。(中川美帆子訳)
    −−「今週の本棚 若島正・評 『雪の墓標』=マーガレット・ミラー著」、『毎日新聞』2015年11月22日(日)付。

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http://mainichi.jp/articles/20151122/ddm/015/070/011000c








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