覚え書:「私だけの東京・2020に語り継ぐ=酒場詩人・吉田類さん 横丁酒場のラビリンス」、『毎日新聞』2015年12月09日(水)付夕刊。

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私だけの東京・2020に語り継ぐ
酒場詩人・吉田類さん 横丁酒場のラビリンス

毎日新聞2015年12月09日 東京夕刊


 その昔、ずっと僕はヨーロッパをさまよっていた。絵描きになりたくてね。20代−30代初めまで、拠点はフランスのパリ、アパートの屋根裏部屋で寝泊まりし、ちっちゃなアトリエもあった。働くなんて意識はなく、夜になれば、ごちゃごちゃした裏町酒場で飲んだり。お金はさて、どうしてたんだろう。

 そんな僕は放浪癖が抜けないまま日本に戻った。イラストレーターになろうと東京にやってきたものの、住まいは国立かいわいから始まり、下町をあちこち。ようやく門前仲町あたりがホームグラウンドになると、気のあう友人たちと「立ち飲み愛好会」を結成して遊んでいました。1990年代のおしまいの頃ですね。でも、ただ飲むだけじゃつまらない。「酒場詩人」と称して俳句をひねったりしながら、味ある酒場文化が生まれたらいいなあ、と思っていました。

 東京の横丁、路地裏は盛り上がっています。戦後の闇市のにおいが残っている所に外国人が押し寄せています。もつ焼き屋などが軒を連ねる新宿駅西口の「思い出横丁」はその典型でしょうね。僕は通称、しょんべん横丁の方がしっくりくるけど、足を踏み入れたとたん、無性に日本酒か焼酎が飲みたくなる。飲んべえの獣道っていうのか、みんな行きつけへ、それぞれ決まったコースで通う。半身にならなければすれ違えない細い路地の奥、そのまた奥へ。まるでラビリンス、迷宮そのものです。

 とりわけ僕が好きなのは「カブト」。珍しいウナギの串焼きを食わせてくれるのですが、もうもうと立ち上る脂煙が裸電球のかさにこびりついて、鍾乳石みたいに垂れている。縄のれんとわびたカウンター、串焼きをつまみ、キンミヤ焼酎をちびちびやれば、もうたまらない。

 いつだったか、思い出横丁で火事があり、しばらく休んでいたことがありました。休業を知らせる張り紙に常連らが激励の言葉なんかを書き付けていた。そんな人間くさい景色がまたいいんです。大都会で知らない同士が同じ酒場で飲んでいる。でも、そこには語らずとも癒やされたい男のつながりがある。女性ファンも大勢いますがね。

 もうひとつ外国人が増えたのは新宿ゴールデン街です。僕が通い出したのは作家や映画関係者らが飲んでいた「まえだ」なんかの有名店がなくなった後ですが、さびれていくどころか驚くほど活況を呈しています。若い店主が経営しているところも多い。僕がしょっちゅう行くのは「ばるぼら屋」かな。10年ほどになるけど、通りから内側が丸見えのアジアの屋台風で、関西流の牛すじ煮込みやお好み焼き、焼きそばがうまくて。すごく狭いんだけど、袖すりあうも多生の縁、カウンター席ですぐ誰とでも親しくなれる。大阪出身のマスターもやさしくて。ここで胃袋を満たして、はしご酒がおすすめコースです。

 思い出横丁にしろ、ゴールデン街にしろ、目につくのはフランス人なんですね。聞けば、東京在住のフランス人ジャーナリストが盛んに写真付きで情報を発信してるらしい。すごく面白いところだよって。しかも安全だよって。僕もパリにいたからよく分かる。芸術家たちがたむろするモンマルトルの古い路地裏酒場とか、雰囲気が似てる。でも、パリもだんだんと都市化が進み、昔ながらの酒場が少なくなってきた。そんな時代に東洋の、東京の横丁にふとノスタルジーを感じているんじゃないかなあ。そもそも高知生まれの僕は東京人じゃない。旅から旅の旅人。だから東京の酒場とも距離を置く。べったりしない。こんな句を詠みました。<グッバイを鞄(かばん)に詰めて冬の旅>

 そういえば、近ごろ、東京にネオ横丁っていうか、ビルの一角などに新しい横丁が次々と生まれている。まあ、居酒屋テーマパークですよ。ちょっと僕は遠慮したくなるなあ。横丁はね、長い年月をかけ、酒のしみと人間の喜怒哀楽が作り上げていくもの。旅人のフランス人はホンモノを見抜く目を持っているんじゃないかな。2020年の東京五輪へ向けてこの大都会も変わるんだろうけど、横丁こそが東京文化。毎日新聞の万能川柳で、こんな句を見つけました。<知らぬ土地俺も今宵は吉田類>。たくさんの吉田類がいれば、大丈夫だよ、きっと。【聞き手・鈴木琢磨、写真・丸山博】

 ■人物略歴

よしだ・るい

 1949年、高知県生まれ。酒場や旅をテーマに執筆を続ける。2003年にスタートしたBS−TBSの「吉田類の酒場放浪記」が人気。「酒場詩人の流儀」など著書多数。
    −−「私だけの東京・2020に語り継ぐ=酒場詩人・吉田類さん 横丁酒場のラビリンス」、『毎日新聞』2015年12月09日(水)付夕刊。

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